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第一章 第六話

 魚を獲って帰る途中、保科と一緒になった。


「流様、鍋などを調達してまいりました」

 保科がむすっとした顔で報告した。

「俺が持とうか」

「いえ、結構です。それよりあの娘、喰わないならどうするおつもりですか?」

「どうって?」

 言ってる意味が分からなくて保科を見上げた。

「流様はただでさえ狙われてるのに、その上贄の印を付けた供部など連れていたら、自分の居場所を狼煙のろしを上げて教えてるのと同じですよ」

「なら尚更一人に出来ないだろ。水緒一人になった途端に襲われるのは目に見えてるじゃないか」

 流は自分に言い聞かせるように答えた。

「何も流様が守る必要はないでしょう」

「水緒は俺を助けてくれたんだ」

「あなたも助けたんですからおあいこです」

「水緒がいたからって困ることはないだろ」

 答えになってないのは分かっていたが子供が大人に口で勝てるわけがない。


「あの娘、本当に身寄りがないのですか?」

「え?」

 どきっとした。

 それは考えたくなくて無理矢理頭の隅に追いやっていたことだ。

「どういう意味だ?」

「あの娘の話し方、山奥の村の子供のそれではありませんよ。それなりに身分のある家の娘なのでは?」

 身分の高い家なら親族もいるだろう。

 格式のある家柄は家を存続させるために子供を沢山作るものだ。

 水緒の祖父母、あるいは伯父、伯母がいてもおかしくはない。


「一人に出来ないというのなら、あの娘の親族を捜しましょう。話し方でどの地方の人間かは分かります。それなりの家なら警護の人間もいるでしょう」

「……分かった」

 そこまで言われたら駄目だとは言えなかった。

 こんな山奥で化け物に襲われる心配をしながら暮らすのが幸せなわけがない。

 水緒のことを思うなら親族を捜した方がいいに決まっている。


 それでも……。


 心の中に重くて大きい石が置かれたような気がした。


「わぁ! お鍋! お茶碗! お米! あ、針と糸もある!」

 水緒は嬉しそうに顔を輝かせた。

「保科さん、有難うございます!」

「いえ」

「私もね、草、一杯摘んだの。これから夕餉を作るね」

 水緒は嬉々として台所に立った。

「流様」

 保科が流に声を掛けた。

 自分達も食事にしようというのだ。

「水緒、ちょっと出てくる」

「はい、行ってらっしゃい」


 外で食べて戻ってくると水緒がにこにこして待っていた。


「夕餉、出来たよ」

「私達は……」

 言い掛けた保科の脇腹を突いて黙らせた。

「三人分、あるのか?」

「うん、ちゃんと作ったよ」

「そうか。じゃあ飯にしよう」

 流が板の間に上がって座り込むと保科も渋々従った。

 水緒は三人分の器に身をほぐした魚と草を入れたお粥をよそった。

「お代わりもあるからね」

 その粥は前に水緒の家で食べたのと同じ味がした。

 水緒の家を出たのはそんなに前ではないはずなのに懐かしかった。


 翌朝、水緒が作った朝餉を食べ終えると保科に呼ばれた。

 水緒は竈で器を洗っている。

 その音を聞きながら板の間に保科と向かい合って座った。


「流様、読み書きはどれくらい出来ますか?」

「簡単な字なら」

 何しろ母に教わったのだから大分前だ。

「それでは、まずこれから始めましょう」

 そう言って古びた本を取り出した。

 どうやら昨日はこれを調達に行っていたらしい。


 背後に水緒の気配を感じた。

 洗い物が終わったのだろう。

 後ろから流が持っている本を覗き込んでいる。


「読めるか?」

 流は水緒に本を見せた。

「うーん、少しなら」

「女はその程度で十分です」

 保科が言った。

「そうか?」

 読めるものなら読めた方がいいと思うのだが。

「下手に賢いと嫁の貰い手がなくなります」

「え!」

 水緒が慌てて後ろに身を引いた。

「心配しなくても水緒なら貰い手はいくらでもいるだろ」

「そ、そうかな。でも、やっぱり、漢字読める子なんて生意気だよね。私、お掃除する」

 水緒は逃げるように竈の方へ行ってしまった。

 流は仕方なく本に目を落とした。


 水緒と一緒なら勉学も悪くないと思ったのに……。


 水緒が食事を作るようになってから流は兎や雉を喰わなくなった。

 流は生の兎や雉より料理された食事の方が好きだったからだ。

 保科には量が足りないらしく、流が魚を獲りに出ているときに動物を捕まえて喰っているようだった。


 ある日、流が魚を持って帰る途中、視線を感じた。

 咄嗟に身構えたが襲ってくる気配はなかった。


 数日過ぎた。

 相変わらず見られているような感じはするが襲ってくる気配はない。


 朝餉を終え水緒が食器を洗っている時、

「流様、お気を付け下さい」

 保科が小声で言った。

「分かってる」

 最可族なのか新しく村の人間が呼んだ鬼なのかは分からない。

 もしかしたら水緒に引き寄せられた別の鬼なのかもしれない。

 とにかく誰かが流達の様子を窺っているのは保科に言われるまでもなく気付いていた。

 しばらく水緒は外に出さない方がいいだろう。

 草が無くても魚と米さえあれば大丈夫だ。

 なんなら流が草を摘んでもいいのだ。


「水緒」

 流は水緒に声を掛けた。

「何?」

「しばらくこの家から出るな。草を摘みに行くのも駄目だ」

「うん、分かった」

 水緒は不思議そうな顔をしたが素直に頷いた。


 その日、流が魚を獲って帰ってくると水緒が本をぱらぱらとめくっていた。


「あ、お帰りなさい! 勝手に見てごめんね」

 水緒が慌てて本を元のところに戻した。

「一日中家にいたら退屈だろ。お前も保科に習えばいいじゃないか」

「でも……流ちゃんは、生意気だって思わない?」

「思わない。漢字が読めるくらいで生意気だなんて思う方がどうかしてるだろ」

「そう」

 水緒は安心したように微笑んだ。

 そのとき家の外に保科の気配がした。

 帰ってきたのだ。


「女だって字は読めた方がいいし、計算だって出来た方いいぞ」

 流は保科に聞こえるように言った。

「じゃあ、私も習おうかな」

「そうしろよ」

「あ、保科さん、お帰りなさい」


 その日から水緒も一緒に漢字や計算を習い始めた。

 保科は女に知識など必要ない、などと言っていた割りには水緒にも丁寧に教えている。

 流は最近になってようやく保科に気を許せるようになった。

 保科は頭が硬いが悪いヤツではない。

 真面目なだけなのだ。


 流のことを大事に思っていると言うことも分かった。

 自分の主の息子だからではなく流自身を思ってくれている。

 だから危害を加えられるかもしれないと警戒する必要はない。

 それが分かったから気を許せるようになった。

 流のことを大切に思っているから、流の気持ちを尊重して水緒を側に置いておくことを許しているし喰おうとしたりもしない。

 もっとも保科はかなり我慢しているようだ。

 外で動物を喰ってくるのも水緒の代わりなのかもしれない。

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