「とてもお優しくしていただきました」
中の君が懐かしそうな表情で言った。
優しかった理由が
「姫様」
トメの声で我に返った。
私が身振りで中の君に渡すように指示する。
トメが中の君に孔雀の羽を差し出した。
「見事と言うほどではないけど……」
「いいえ! とてもきれいです! ありがとうございます!」
中の君が嬉しそうな表情で受け取る。
「春宮様から孔雀の話をうかがって以来、ずっと見てみたいと思っていたんです」
ああ、なるほど……。
内裏には孔雀がいるから……。
だとしたら猫を飼っていた幼馴染みというのも春宮だろう。
帝は猫を飼っているから春宮も飼っていてもおかしくない。
「春宮様は狐もお好きみたいでよく狐の鳴き真似をなさっていました。だから狐狩りもお好きではないとか」
中の君が遠くを見るような表情で言った。
もしかして狐を射殺した武士を処罰しろって言ったのは春宮なのかしら……。
春宮は
誰かに処罰しろと詰め寄ったとか……?
それはともかく――。
中の君が春宮のことを好きならお父様を説得すれば入内は中の君の方にしてくれるかもしれない。
春宮のことが好きなんだから押し付けることにはならないわよね?
美しい思い出を壊してしまうことになるかもしれないけど――。
キヨが物語を読んでいた。
「ある日、姫君のところに幼馴染みの男がやってきました。
『遠くに引っ越すことになったのでもう会えません』
男はそう言って桜の花が咲いている枝を手折って姫君に渡しました。
『この花を見る度にあなたのことを思い出すでしょう』
男はそう言いました」
キヨが読んだのを聞いた妹達と私(少納言の大姫の方)がうっとりして溜息を
「男と会えなくなってしばらくして母君が
キヨが続ける。
ツユは乳母子だから姫君が父親に引き取られたとき一緒に行ったのである。
乳母子は
養君というのは乳母がお乳をあげている若君や姫君で乳母子から見たら乳兄弟に当たる若君や姫君のことで、トメやキヨにとっては私、ツユなら中の君が養君ということになる。
継子いじめ譚では乳母や乳母子が継子の味方をして助けてくれるのだ。
「男に会えなくなった上にお母様までいなくなっちゃうなんて」
三の姫が悲しそうに言った。
妹達の表情が暗くなる。
ここから姫君のツラい日々が始まるからだ。
そこで話が終わったらしい。
物語の一話一話はあまり長くない(稀に長いこともあるという程度)。
キヨが別の本を手に取って読み始めた。
「女は男からの文を姫君に渡さないよう(使用人に)お命じになられました」
キヨは別の話を読み始める。
女の嫌がらせが始まっているから大分後の話だ。
順番通りに借りられるわけではないから話が飛ぶことはよくある。
「なんてひどい。これじゃ、姫君は男に捨てられたと思ってしまうわ」
「男の方だって振られたと思っちゃうわよ」
二の姫と三の姫がキヨの言葉に耳を傾けながら感想を言っている。
「姫君は男に捨てられたと思い夜一人で泣いていました」
「やっぱり!」
「可哀想に!」
二の姫と三の姫が同情して声を上げる。
同じ邸に住んでると、こういう邪魔が出来るのよねぇ……。
ん……?
何故か女(左大臣家)に届いた桜。
そうか、同じ邸に住んでいるなら当然よね……。
別に手違いではなかったのだ。
それに一緒に住んでいるということは〝
兄弟姉妹なのに何故一緒に住んでいるかどうか知らないのか?
貴族、特に大貴族は家族それぞれが別々に住んでるからですの。
一人一人の部屋がある建物が違うから兄弟姉妹どころか親子ですら会うことは稀ですの(裳着が住んだらお父様ですら御簾越しなのでお顔もはっきりしませんし)。
それはともかく――。
疑問が解けてすっきりしましたわ。
などと、この時は
朝――
私(左大臣の大君の方)が目を覚ますと外では鳥が鳴いていた。
トメがやってきて
なんかいつもと鳴き方が違うような……?
外を覗いて驚いた。
庭で中の君が鳥に餌をやっている。
「中の君、おはよう」
私が
「お、おはようございます」
と言って慌てて部屋に戻ってくる。
本来、貴族の女性は人に顔を見られてはいけないため庭にすら軽々しく出てはいけないんですのよ。
「あの、申し訳ありません」
中の君が決まり悪そうに謝る。
「別に謝る必要はないけどお母様に知られると怒られるかもしれないから誰か見られないようにした方がいいわ」
私が笑いながら言うと、
「はい」
と顔を赤らめた。
「今、鳥にやっていたのは?」
夕辺の
強飯というのは固めたご飯のことですの。
食事は一日二回、ご飯はお粥か強飯、それとおかずなんですのよ。
「木の実です」
と言って中の君が手を開いて赤い実を見せてくれた。
乾燥してない……。
つまりたった今、庭から取ってきたのだ。おそらく自分で。
ここから見える範囲に赤い実が付いている木はない。
ということはかなり離れた場所まで出ていったと言うことになる。
これは人に見られていたらお母様に叱られるだろう。
使用人達に口止めするか迷ったが、もし誰にも見られていなかったのなら逆に外に出たことを教える事になってしまう。
中の君も貴族の姫なのだから人に見られないようにはしていただろう。
だったら下手に口止めするのは言い触らすことになりかねない。
迷った末、黙っていることにした。
お昼過ぎ――
ふと顔を上げると中の君と目が合った。
どうやら北の対から戻ってきたところらしい。
なんだか落ち込んでるみたいだけど、どうしたのかしら……。
中の君は視線を
「どうやら北の方様に叱られたようですね」
女房の一人が言った。
「え、どうして?」
「なんでも今朝、お庭に出られたとか……」
しまった……!
お母様の耳に入ってしまったのね……。
やはりトメに言って使用人達に口止めさせておけば良かった。
失敗したわ……。
「姫様、本を借りてまいりました!」
キヨが目を輝かせてやってきた。
妹達が来るとキヨは物語を読み始めた。
「北の方は姫君が外に出たことを叱りました。女が告げ口したのです」
キヨが本を読み始めた。
えっ……!?
「告げ口をするなんてひどいわ!」
「女はホントに意地悪よね!」
二の姫と三の姫が口々に言う。
「違いますわ! 私ではありませんのよ!」
私(左大臣の大君の方)は自分の声で目が覚めた。
「姫様、いかがされました!?」
トメが駆け付けてくる。
「あ、なんでもないの。驚かせてごめんなさい。寝言よ」
私は慌てて答えると横になった。
まさか……。
中の君は私が言い付けたと思って目を
偶然よね……。
そう思いながらも胸がどきどきしてイヤな汗が伝った。
「明日の晩、春宮様が
お母様が私(左大臣の大君の方)に言った。
「またですか?」
と、つい言ってしまい、
「
お母様の雷が落ちた。
帝が内裏からお出掛けになることを〝
〝
普通の貴族の姫なら使う機会などないから覚える必要はないのですけど、私は入内が決まっているので絶対に覚えないといけないんですのよ。
まだ帝や春宮とはお目にかかったこともないのに(以前、春宮が行啓されたときはお目にかかったとは言えませんわ)。
それはともかく――。