明日の晩は三の姫と四の姫を私の部屋で寝かせるように
中の君にも一応忠告しておいた方がいいかしら?
私は迷った。
中の君はもう子供ではないから春宮が幼い子供にしか興味がないなら大丈夫だと思うけど……。
春宮を
信じてくれたら信じてくれたで美しい思い出を壊してしまうわけだし――。
「宴?」
中の君が聞き返した。
「ええ、殿方がたくさん来るでしょ。中には不心得者もいるし。だから、よければ私の部屋に……」
春宮ではなく来客全員を警戒しているなら誰の悪口にもならないはずだ。春宮も含めて。
「ありがとうございます。でも大丈夫だと思います」
中の君はそう答えた。
「そう」
私は引き下がった。
一応出来ることはやったんだし、もしもの時は中の君を入内させてもらおう。
そうすれば私は入内しなくてすむかもしれませんわ。
次の夜――
コン、コン……。
聞き慣れない音がしたような気がして目が覚めた。
コン、コン……コン、コン……。
奇妙な音が断続的に続く。
私は妻戸を少しだけ開いて外を覗いた。
その瞬間――!
絶句……。
嘘でしょ……!
コン、コン……。
春宮が変な声を出しながら庭をうろついてる!
だ、大丈夫なの、あの方……!?
別の意味で心配になってきましたわ!
私、ホントにあの人の子供を産まなきゃいけませんの!?
思わず気が遠くなりそうになった時――。
コン、コン……。
別のところから似たような声が聞こえてきた。
そちらを見ると――。
中の君……!?
コン、コン……。
夜中に
どうなってますの!?
陰陽師を呼んで
途方に暮れていると中の君の声を聞き付けた春宮がやってきた。
二人は
あの二人、
その時、
〝春宮様は狐もお好きみたいでよく狐の鳴き真似をなさっていました〟
中の君に聞いた話が脳裏をよぎった。
あっ……!
これは狐の鳴き真似なのね……。
どうやら春宮は中の君を呼び出すために狐の鳴き真似をしていたらしい。
高欄を挟んで縁と庭で再会を喜び合っている様子は物語のようですけど――。
私は危うく世を
春宮と中の君は二人でどこかに向かう。
中の君の寝所にでも行ったのかしら?
思わず
しかし――。
はしたないですわね。
少し歩いてから、そう思って引き返そうとした時、
「大君」
曲がり角の向こうから知らない男の声が聞こえてきて凍り付いた。
柱の陰に身を隠して覗いてみると妻戸のところに男が立っている。
信じられませんわ!
ホントに不届き者が忍んできた――私のところに!
どうしたらいいんですの!?
夜はどこも
だから今は隠れられる場所がない。
妻戸が開いているのは不届き者がいる私の寝所だけだ。
と思っている間に不届き者がこちらに向かってくるのが見えた。
どっ、どうしたらいいんですの!?
ああ、外に出るんじゃなかった……!
思わず頭を抱えた時、橘の香りと共に誰かが私の前に立って不届き者の目から隠してくれた。
「少納言殿、
若い男性の声がそう言った。こちらに背を向けている。
樋殿というのは殿方や使用人が用を足すところである。
貴族の姫? 姫は用なんか足しませんのよ。
それはともかく――。
この声、この前の……。
「こちらは姫様方がお住まいになられているところですので……」
「そ、そうか。暗くて間違えたようだ」
少納言と呼ばれた男はそう言うと慌てた様子で行ってしまった。
「
少納言が行ってしまうと橘の香の男性がこちらに背を向けたまま言った(私の顔を見ないように配慮してくれているんですわよ)。
「そんなわけありませんでしょ! ていうか、少納言? 今日招かれてる少納言って女好きで有名じゃない。冗談ではありませんわ!」
私が答える。
「春宮がいるからですか? その春宮は中の君と逢引してるようですが。今回も三日続けて通えませんよ」
橘の男性が言った。
「中の君は良いの。いざとなったら中の君を入内させてもらうから。それより、ありがとう。助かったわ」
私は礼を言うと急いで妻戸から中に入った。
もちろん一人で!
「どういたしまして」
妻戸の外で橘の男性がおかしそうに忍び笑いをしたのが聞こえた。
数日後――
庭で白い
花の重みで枝が
「ひさかたの 光みだれし 卯の花の 枝の白きは 夏の雪かと」
私は歌を詠んでみた。
しばらく待ってみたが男性の歌は聴こえてこない。
と言うことはこの前の歌はうちに来ていた客だろうか?
あの日は来客はなかったはずだが――。
「姫様、
三の姫の乳母が、三の姫に言った。
乳母が紙を抱えているところを見ると字の練習の方らしい(楽器のお稽古も手習いと言うんですのよ)。
貴族の姫の教養の一つが字がきれいなことである(それと歌と楽器ですわ)。
最初は親や乳母などが代わりに返歌を送るとは言っても最後は自分で返事をしなければならないのだ。
そのとき字が汚くてがっかりされて良い婿(になりそうな殿方)に振られてしまうかもしれない。
まぁ物語には下手な字を見て逆にやってくる殿方も出てきますけど(一人ならず)。
逃げ回っている三の姫を追い掛けている乳母の手から手習い用の紙が落ちる。
私の目の前に紙が飛んできた。
多分、誰かからの文なのでしょうけど――。
紙は貴重だからいらない
こうやって使ってしまうから、よほど面白い物語以外は後世に残らないのである。
そして、こうやって他の用途に使われるから誰に見られるか分からない。
だから人に知られて困るようなことは文でも日記でも書かないのだ。
それはともかく――。
私は紙を拾い上げて目を落とした。
〝
(文を)書いた(けれど)寝られなかった。人が来るだろう。橘の花のような君に問いかけた。
意味が通ってるような通ってないような……。
私は首を傾げた。
名前が書いてない。
誰からかしら……。
文を持ってきた使者が
読まれて困るからといって文を送らないわけにはいかないので宛名や差出人などを書かなかったり、受け取った相手にだけ分かるようにしたりするのだ――濃い色の紙に見えづらいように名前を書いたり。
まぁ、それはおいとくとして――。
『人が来るだろう』ってどういう意味?
『人は
私は小さな声で詠じてみた。
「……書
〝コン、コン……〟
狐の鳴き真似……。
これ、春宮から……!?
となると私宛ではない。
中の君宛だ。
お母様ったら、なんで中の君に渡さないのかしら……。
私は文を持って北の対に向かった。