目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報
追放された聖女は、隣国で愛されながら救済を始める 〜黒薔薇の偽聖女が破滅した後、今さら戻ってほしいなんて遅すぎます〜
追放された聖女は、隣国で愛されながら救済を始める 〜黒薔薇の偽聖女が破滅した後、今さら戻ってほしいなんて遅すぎます〜
ゆる
異世界恋愛ロマファン
2025年07月31日
公開日
2.7万字
連載中
女神に選ばれ、癒しの力を持つ聖女ミレディアは、王国に奇跡をもたらし人々に慕われていた。 だが、王太子に取り入った性悪女・モルガーナの策略により「偽聖女」と告発され、無実のまま追放されてしまう。 新たな“聖女”に収まったモルガーナは、女神を騙りながら贅沢に溺れ、人妻だろうと婚約者持ちだろうと男を誘惑する破廉恥な日々を始める。王太子すら破滅へと導かれ、王国は崩壊の危機へ。 その時、真の聖女――いや、“女神の御使い”であったミレディアが、静かに舞い戻る。 堕ちた偽聖女に下されるのは、永遠の呪いと女神の天罰。 人の欲と欺瞞が招いた災いの果てに、真実の光が再び地に降り注ぐ――!

第1話 聖女追放――黒薔薇の罠

 王国の中心にそびえ立つ大神殿。その白亜の石造りは、いつ見ても荘厳で、天上の光を受けて輝いていた。祭壇の奥には女神の像が鎮座し、民衆は日々、この像に祈りを捧げる。国の繁栄はすべて女神の加護に支えられており、その加護を最も強く受ける存在が「聖女」と呼ばれていた。

 その聖女として国中から敬意を払われてきたのが、ミレディア。彼女はただひとり、女神から直接のお告げと奇跡の力を授けられており、病に苦しむ者や飢えに泣く者たちを幾度も救ってきた。あどけなさの残る可憐な容貌に、柔らかな微笑をたたえて、常に人々へ手を差し伸べる。そうした姿は万人から慕われ、尊ばれていた。


 しかし――彼女は、実は単なる「聖女」ではなかった。幼い頃から特別な力を示していた彼女を、大神殿の高司祭たちは「女神の御使い」として崇めていたのだ。神と人の橋渡しをする者、それがミレディアの真の役割である。

 国を導く高司祭たちでさえ、ミレディアの持つ力のすべては測りきれていなかったが、間違いなくこの国にとって、そして世界にとって、彼女はかけがえのない存在だった。だからこそ、高司祭たちは彼女の身辺を厚く護り、決して邪な者たちの手に触れさせてはならないと心に決めていた。

 もっとも、ミレディア自身はそんな自分の立場を理解しながらも、特権を振りかざすことなど決してしない。いつも謙虚で、教会の使いとして忙しく働き、街の孤児たちに食事を与え、心優しい笑顔で全員を抱きしめる。その姿は人々の希望であり、誇りでもあった。


 そんなミレディアを、ある者は羨望の眼差しで見つめていた。ある者は尊敬や感謝の念を抱き、またある者はその美しさに憧れを抱く。それが世の常であり、ミレディア自身も多くの好意を向けられることを知りつつ、丁重に扱ってきたのである。

 だが、その中には純粋な憧れや尊敬だけでなく、嫉妬や悪意を抱く者も存在した。彼女の名はモルガーナ。

 闇夜を思わせる漆黒の髪と、艶やかな唇を持つ妖艶な美女。まるで黒薔薇のように、その姿は美しいが、刺を持つ危険な香りを放っていた。彼女は自らの美貌を巧みに利用し、欲しいものをすべて手に入れてきた女性だ。欲しい男、欲しい地位、欲しい富――そのためには手段を選ばない。その行動力と狡猾さ、そして執念深さは周囲の貴族たちを震え上がらせるほどであった。


 モルガーナが王宮に出入りするようになったのは、ほんの数か月前のこと。出自はよくわからないが、美貌と大胆さで次々と有力貴族や廷臣たちの心を奪い、いつしか王宮のサロンの華となっていた。最初は「あの妖艶な女性は誰なのか」と皆が噂する程度だったが、モルガーナはすぐに王太子の目に留まり、その言葉巧みな話術と濃厚な魅力によって、あっという間に王太子の寵愛を勝ち得たのだ。

 王太子の名はレオポルド。まだ若く、同時に優柔不断で、女性の甘言に弱い面があると囁かれていた。しかし、ミレディアの存在があったせいか、これまでは大きな失敗もなく、民衆からも一定の支持を得ていた。彼自身、ミレディアの聖なる力を尊敬し、彼女の慈悲深い行いを素晴らしいと思っている……そう信じられていたのだが、モルガーナの出現がすべてを変えていく。


 モルガーナは初めて王太子に謁見したその日から、彼を誘惑してみせた。

「お初にお目にかかりますわ、レオポルド殿下。ああ、失礼。まだ殿下とお呼びする方がよろしいのかしら……? 私、貴方のお顔を拝見しているだけで胸が高鳴ってしまいますの」

 上目遣いで彼を見つめ、その小悪魔的な微笑を向ける。王太子は頬を紅く染めてしまった。世慣れていないわけではないものの、ミレディアのような清らかな女性しか近くにいなかった彼にとって、モルガーナの刺激的な言動はあまりにも強烈だったのだ。

 最初は戸惑っていた王太子も、モルガーナの甘く囁く言葉に次第に溺れていく。彼女の瞳は深い夜のように神秘的で、一度引き込まれたら逃れられない。やがて、王太子の耳にはモルガーナの囁く言葉だけが心地よく響き、彼女の提案や意見を無条件で受け入れるようになっていく。


 モルガーナが欲したのは、王太子の心だけではない。彼が持つ“権力”もまた、彼女にとっては魅力的だった。王族の後ろ盾を得れば、この国で手に入らないものなどなくなる。

 そして、モルガーナが王太子の寵愛をほぼ手中に収めた頃――彼女は次なる行動を起こす。それは、ミレディアを失脚させること。

 なぜなら、この国で最も尊ばれ、実質的に民衆からの信頼を集めているのは「聖女ミレディア」である。王太子さえも、内心ではミレディアへの敬意を拭えずにいた。それを目障りに思ったモルガーナは、最終的に“自分こそが聖女の座に就く”ことを望んだのだ。

 女神から選ばれしミレディアを、どうやって引きずり落とせばいいのか――モルガーナは王太子の弱みを握り、彼が最も信頼している神官たちを自分の思うように動かす工作を始める。


 最初の工作は「ミレディアが実は教会の力を独り占めしている」というデマを流すことだった。巧妙に広まった噂は少しずつ民衆の耳に入り、教会の内部にまで浸透していく。

「どうやら、聖女様は裏で相当な寄付を集めていらっしゃるとか」「貴族の援助がすごいらしいわよ。もしかして、そのお金はどこへ流れているのかしら……」

 もちろん、真実ではない。ミレディアは貴族から受け取った寄付金のすべてを神殿の維持費や、孤児院の拡充、貧困地域の支援に回していた。だが、一度広まった噂は簡単には消えない。人々の中には疑心暗鬼にとらわれる者が増え、何か事件が起こるたびに「聖女は本当に正しいのか?」という陰口がささやかれるようになっていく。


 ミレディア本人は、そうした不穏な空気を感じてはいたが、自分が女神の御使いであることを考えれば、いずれ真実が明るみに出ると信じていた。彼女はゴシップや悪意を胸に留めず、いつもと変わらない日々の活動に励む。

 だが、モルガーナは一筋縄ではいかなかった。自らの策略が効果を上げていると確信すると、次は直接的にミレディアを貶める計画を練り始める。王太子との密会の場で、その甘い声を耳元に響かせながら彼を扇動するのだ。

「殿下、なぜあの女を信じていらっしゃるの? ミレディア様が本当に女神の御使いだなどと、本気で思っているの?」

「しかし、ミレディアの力は……。幼い頃から、神の奇跡を見せてきたのは事実……」

「奇跡? そんなもの、我々には検証のしようがありませんわ。教会の者がそう言っているだけではなくて?」

 王太子は口ごもる。確かに、ミレディアが人々を救ったという事実を否定はできない。だが、モルガーナの妖艶な眼差しに見つめられると、次第に思考が曇ってしまう。彼女の言葉が正しいような気がしてくるのだ。

「それに……もし彼女が嘘をついていたらどうなさるおつもり? 殿下は“偽聖女”を国の中心に据え続けるの?」

「そ、それは……」

「殿下の御代になってから、国が取り返しのつかないことになる前に、はっきりさせておいた方がよろしいのではなくて?」

 スルリと、モルガーナの白い指が王太子の顎をなぞる。王太子の心臓は高鳴り、理性がぼやけていく。そして、彼は決定的な一言を発するのだった。

「……そうだな。確かに……。ミレディアが本当に女神の御使いなのか、証拠はどこにもない。いったん、彼女を調べる必要があるかもしれない……」

 その言葉を聞いた瞬間、モルガーナの瞳が妖しく輝いた。――彼女の狙いが、正にこの答えを引き出すことだったのだ。


 こうして王太子の名のもとに、ミレディアが“真の聖女”なのかどうかを調査するという名目で、神官たちや王宮の役人が動き始める。

 高司祭たちは当然反発した。ミレディアが幼い頃から示してきた奇跡の数々、その真実性は彼らが最もよく知っている。

「いまさら何を言うのか! 王家もミレディア様の功績を知っているではないか!」

「そうですとも! 多くの民が彼女の力で救われているのですよ?」

 だが、既に王太子がゴーサインを出した調査に対して、教会側は強く反対できる立場になかった。何より、教会運営の資金源の大部分を握っているのは王宮の財政である。高司祭たちは渋々ながら、調査委員を迎え入れることを余儀なくされた。


 ミレディアは、調査が行われると聞いても動じなかった。

「私にはやましいことは何もありません。女神がすべてを見ていてくださると信じていますもの。ですから、どうか心配なさらないでください」

 彼女は不安げに訴える神官たちを安心させるように微笑む。しかし、その裏でモルガーナの手はさらに周到に伸びていた。

 王太子の指示によって選ばれた調査委員には、何人ものモルガーナの“関係者”が入り込んでいたのだ。彼らは王太子の命を受けていると称しながら、モルガーナのささやかな指令に従い、証拠を歪めたり、嘘の証言をまとめあげたりしていく。

 そして、あたかもミレディアが“奇跡の力”を裏で操作していたかのように書類が捏造され、各地から寄せられるミレディアへの感謝の手紙さえも「実は金で書かせた偽装ではないか」と疑いをかける報告書が積み上げられる。


 それでも、教会内部には彼女を信じる者たちが大勢いた。彼らは調査委員に対して反証を用意し、ミレディアが本物の聖女であることを証明しようと奔走する。

 しかし、モルガーナの最も恐ろしい点は“人心を操る力”である。彼女の裏工作は巧妙極まりなく、いつの間にか教会内部の一部の神官さえも味方につけていた。

「これまでミレディア様を信じてきたが、王太子殿下がそこまで仰るのなら……」

「ミレディア様は確かに素晴らしい方だが、近頃はあまりにも偶像化されすぎている。何か裏があるかもしれない……」

 不安と疑念を掻き立てられた神官たちが次々に動揺し始め、団結力を失っていく。そこに、モルガーナが吹き込んだ金や誘惑――「私の後ろ盾があれば、将来、教会内で出世が約束されるかもしれないわ」という甘言もあったという。


 やがて、追い詰められた形となった高司祭たちは、ミレディアへの厳重な対策を強いられた。

「ミレディア様、あまり外に出歩かれぬよう……。どこで何を言われるかわかりません」

「しかし、病に苦しむ人々が待っています。私は彼らを見捨てるわけには……」

「我々に任せてください。ミレディア様は、今はひたすら嵐が過ぎ去るのを待たれるのが得策です」

 結果的に、ミレディアは半ば軟禁のような形で教会内に留め置かれ、外部との接触が制限されることとなった。それはモルガーナの狙い通りでもあった。人々の前に姿を見せないミレディアは、次第に「やはり何か後ろ暗いことがあるのでは」という噂を加速させてしまうからだ。


 そして、疑惑が極まった頃合いを見計らって、モルガーナは最後の仕上げに出る。王太子の前で涙を浮かべ、こう訴えたのだ。

「レオポルド殿下……。私、ミレディア様のことで、恐ろしい噂を耳にしてしまったのです」

「なんだ? 言ってみろ」

「彼女が、殿下を毒殺しようとしている……という噂を」

 王太子は目を見開く。

「な……! ミレディアが、俺を殺そうとしているとでも……?」

「ええ。もちろん噂です。でも、このところ殿下が私とのご関係を深めていらっしゃるのを、ミレディア様が快く思っていないのではないか、ですとか……。嫉妬心が暴走して、殿下をどうにかしようとしているとか……」

「……嘘だ。ミレディアに限ってそんなことは――」

 王太子はそう言いかけたが、モルガーナはさらに憐れむように瞳を伏せる。

「私もそう思いたいですわ。ですが、実際に調査委員から報告があるんです。彼女の部屋から怪しい薬草が大量に見つかった、と」

「薬草……?」

「ええ。もし、その薬草が毒のような効果を持っているとしたら……。王太子殿下、本当に大丈夫なのかしら?」

 王太子の表情が苦しげに歪む。薬草の件はおそらく捏造に違いない。ミレディアの部屋に仕込まれたものだろう。しかし、王太子はすでにモルガーナの言葉に心を惑わされており、“ひょっとしたらミレディアが自分を疎ましく思っているのでは”という思考に取り憑かれてしまう。

「だが、ミレディアが俺を殺す理由など……。いや、まさか……。モルガーナ、お前はどう思う?」

「私にはわかりません。けれど、人はどんなに清廉に見えても、裏にはわからない部分があるものですわ。国の頂点に立つ王太子殿下が邪魔になったとすれば……」

 そこまで囁かれれば、王太子は完全に動揺し、恐怖さえ感じ始める。もしミレディアが王位を奪うつもりだったとしたら……。そんなありえない仮説が、彼の頭の中で巨大な疑惑に変貌していく。


 そしてついに、王太子は教会の高司祭たちに「ミレディアの身柄を拘束せよ」という命を発するに至ったのだ。

「彼女が真に聖女であるならば、潔白を証明できるはずだ。もし罪があるなら、その時は罰せられねばならない……」

 この勅命が下された瞬間、ミレディアの運命は大きく暗転する。


 ミレディアは教会の修道女たちの手によって、大神殿の地下にある小さな独房へと連れて行かれた。そこは普段、教義を大きく破った神官や、不正を働いた修道士が入れられる場所である。

 女神の御使いである彼女が、よりにもよってそんな地下牢に――。高司祭たちは王太子の命令に逆らえず、唇を噛みしめながら言葉少なに指示を下すしかなかった。

 独房は冷え込み、石壁は湿っている。そんな部屋に閉じ込められても、ミレディアの瞳には悲しみよりも祈りの光があった。自分を信じ、支えてくれる人々のために、彼女は何も取り乱すことなく、ただひたすらに女神への祈りを捧げる。


 一方で、この国の民衆の多くはまだミレディアへの深い敬意を抱いていたが、王太子の一連の通達や教会内のゴタゴタが大々的に報じられると、「もしかすると本当に……」という疑念が少しずつ広がり始める。

 モルガーナはその空気を見逃さず、人々の混乱を更に煽った。

「私はミレディア様を責める気はないんです。けれど、調査委員があれだけ証拠を見つけたのなら、疑わざるを得ませんよね……」

「まさかミレディア様が。信じられない……でも、王太子殿下が調査を許可なさったのなら……」

「もし彼女が偽りの奇跡を演出していたとしたら、ああ、恐ろしい……」

 こうした囁きは瞬く間に街に拡散し、かつてミレディアによって救われた人々の間にまで届き始める。人々の不安が募り、疑念が覆いかぶさるように積み重なると、やがて真実よりも「噂が真実であるかもしれない」という空気が優勢になってしまうのだ。


 そして、運命の日。

 教会は大聖堂に全ての神官と修道士を集め、その場に王太子とモルガーナも臨席し、ミレディアの「裁判」が行われることとなった。

 冷たい石の床の上に、ローブ姿のミレディアが立たされる。彼女の両脇には逮捕の任を負った神官兵が控え、下を向いて沈黙していた。誰もが心の中で「こんな茶番、早く終わらせて欲しい」と思いながらも、王太子の意を受けて動かざるを得ない。

 高司祭たちも列をなしながら困惑の表情を隠せない。

「……では、これよりミレディア様の処遇を決定いたします」

 教会で最も地位の高い大司教が重々しい声を響かせると、王太子が席から立ち上がる。

「ミレディア、お前は聖女を名乗りながら、実は嘘をつき、この国を混乱に陥れようとしているのではないか……。お前の部屋からは怪しい薬草が見つかったし、寄付金の流れにも不可解な点がある。さらに最近、俺に対して危害を加えようとしていたのでは、という報告まであるのだぞ」

 王太子は険しい表情を見せるが、どこかその目は泳いでいる。モルガーナの一言によって煽られ続けてきた不安が、彼をこうした表情に追いやっていた。

 ミレディアは静かに目を伏せる。

「私は、何も嘘をついておりません。寄付金の使い道は、すべて教会の記録に残っています。怪しい薬草というのも、きっと何者かによって仕込まれたもの。私は決して王太子殿下に危害を加えようなどと思ったことはありません」

 その声は澄み渡るように清らかで、まるで朝の光のようだった。だが、王太子はその声を遮るように腕を振り払う。

「ならば、その証拠を示せ!」

「証拠……。私の言葉を信じていただけないのですか。今まで私は、人々を癒すため、助けるために――」

「証拠だ! 言葉で何とでも言えるだろう!」

 王太子は苛立たしげに叫び、大聖堂に重苦しい空気が漂う。周囲には、モルガーナが用意させた捏造文書や証言が並べられていた。

 ミレディアが何を言っても、それが嘘だと“でっち上げ”られる資料が揃っている以上、彼女の潔白が証明されることはない。

「……ミレディア様、あなたが聖女ではないという結論に至った場合、あなたには相応の罰を与えねばならない。もう一度、何か弁明はありますか?」

 大司教が恐る恐る尋ねる。だが、ミレディアはどこか悟りを得たような穏やかな眼差しを返すだけだった。

「女神はすべてを見ておられます。私が嘘をついていないことも、いずれ必ず明らかになります。ですが、今は私に罰を与えるというのなら、それも受けましょう」

「……っ」

 その言葉に、周囲の多くの神官や修道女たちが涙を浮かべる。ミレディアがどれだけ清廉な存在かを知る彼らにとって、この場は地獄のようだった。

 しかし、モルガーナは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、王太子の腕にしなだれかかる。そして、王太子はその笑みに引き寄せられるように、最悪の判決を宣言した。

「ミレディア、……お前をこの国から追放する!」

 その瞬間、どよめきが大聖堂を包む。

「追放……なんて……!」

「あのミレディア様が……」

 あまりに過酷な宣告に、人々は驚愕するしかなかった。だが、王太子の言葉は絶対だ。そしてモルガーナは“さも当然”とばかりに深く微笑んでいる。

「偽聖女よ。これであなたも終わりね」

 その囁きはミレディアに向けられたものなのか、あるいは自分自身へ向けた勝利の宣言なのか。黒薔薇のように妖艶なモルガーナの瞳は、燃え盛る欲望を映していた。


 こうして、真の聖女――いや、女神の御使いであるミレディアは、無実の罪を着せられ、この国を追放されることになる。

 誰もが知る偉大な聖女の悲劇的な結末は、国中を震撼させた。しかし、その決定に公然と異を唱える者はほとんどいなかった。何故なら、モルガーナが王太子の心を完全に掌握してしまったから。逆らえば、自らがどのような目に遭うか分からない。それほどまでに、モルガーナの影響力は強大になっていたのだ。

 人々の中には、ミレディアの追放を嘆き、こっそりと泣く者もいた。けれど、世間一般の空気は「女神の裁きは必ず下されるだろう」という漠然とした言葉にすがるだけで、積極的に行動を起こすほどの勇気を持つ者は少なかった。


 ミレディアは、追放処分が言い渡されてからわずか数日後、わずかな私物と聖典だけを携えて、王宮近くの教会を後にした。見送りに集まったのは、ほんの数名の修道女たちと一握りの庶民だけ。彼らは泣きながらミレディアに許しを乞う。

「ミレディア様……私たち、何もできずにごめんなさい……!」

「どうか……お身体に気をつけて……」

 ミレディアは微笑みながら、それぞれの手を握りしめた。

「大丈夫です。女神は必ず真実を明らかにしてくださいます。私も、あなたたちのことを忘れません。いつか、また会いましょう」

 こうして彼女は、王太子の兵士に見張られながら国境を越えることを余儀なくされたのだった。


 ――これが、すべての悲劇の始まり。

 女神の御使いを追放した国は、やがて取り返しのつかない闇へと堕ちていく。それをまだ誰も知らなかった。

 ミレディアのいない王都。そこでは、新たな聖女を名乗るモルガーナが、黒薔薇のような微笑を浮かべながら高らかに宣言する。

「これからは、私が聖女として、この国を導いて差し上げますわ」

 この言葉に、多くの貴族たちは酔いしれ、王太子はもちろんのこと、権勢を目指す者たちがこぞってモルガーナに取り入ろうと画策する。ミレディアの追放後、混乱を極めるこの国に、女神の加護などもはや存在しないとも知らずに――。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?