ファナのいる世界にやって来た大輔。
視界が一瞬、真っ白に染まり──気づいたときには、空だった。
かなり高い場所。雲が下に見える。
大輔の体は、まっさかさまに森へと落ちていく。
「うわああああ!」
風が耳を裂き、木々が迫ってくる。
枝葉が顔や腕をかすめ、葉がバサバサと巻き込まれる。
何度もバウンドするように枝に当たりながら、勢いを殺すように──最後は草地に、綺麗に着地した。
土と草の香りがむわっと鼻にくる。
脚がじん、と痺れ、全身が軽く震える。
「⋯⋯痛ってぇ⋯⋯けど、全然ダメージを感じない」
重力に耐えたはずの体に、骨も皮も異常なし。大輔は、信じられないというように自分の腕や脚をさすり、服の埃を払う。
「流石勇者様!頼もしいです!」
上空から声がして、大輔が顔を上げると──ふわりと降りてくるファナの姿が見えた。
金色の髪が風に揺れ、彼女の体はほんのりと輝いている。彼女の足元には魔法陣のような薄い光の輪が浮かび、まるで羽根のように空気をつかむ。
そして、彼女は音もなく、草の上に着地した。
「⋯⋯ファナさん、その魔法、何ていうの?」
「えっ?フワットです」
「胡散臭ぇけど⋯⋯俺にもかけてほしかったな⋯⋯ん?」
突然、大輔の目の前にウィンドウが現れて、ステータスを表示した。
大輔がまじまじと、空中に浮かぶウィンドウを見つめる。
ぼんやりとした光を放つその画面は、まるで半透明のホログラムのようで、風が吹いても揺れもせず、静かに彼の前に浮いている。
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だいすけLv.99
しょくぎょう:ゆうしゃ
こうげき:999
ぼうぎょ:999
すばやさ:999
たいりょく:999
かしこさ:999
うん:999
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「これ⋯⋯あのゲームの勇者のステータスだ」と呟いたその瞬間──
ピコン、と電子音が鳴り、すぐ隣にもうひとつウィンドウが出現する。
先ほどよりも少しだけ青みがかったその枠には、のろのろと文字が現れていく。
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「ゆうしゃさま じっしつ にしゅうめ なので パラメータは ひきつがれていますぞ!」
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文字のスクロールは、まるで昔のRPGさながらに遅い。
一文字ずつ、じっ⋯⋯じっ⋯⋯と浮かび上がるたびに、大輔の眉がじわじわと寄っていく。
「⋯⋯これジョルジュだな。セリフ流れるのめっちゃ遅い。わざとか?」
草木が揺れる静かな森の中で、ぽつんと響いたそのツッコミだけが、やけに鮮明だった。
「あ、ファナさん、これ見える?」
大輔は空中に浮かぶウィンドウを指差す。
そこには、相変わらず輝くようなステータスが並んでいる。
ファナはその指の先を見つめ、くりくりとした瞳で首をかしげた。
「何も見えないですけど⋯⋯」
(そっか、見えるのは俺だけか)
「そう、ならいいんだ。じゃあ、ノエルナ村⋯⋯だっけ?案内してくれる?」
「はい、こちらです」
ファナは森の奥へと歩き出す。
風が枝を揺らしていく。
すると、ジョルジュウィンドウから、
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「さすが ゆうしゃさま! じょうきょうの のみこみが はやい!」
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と、メッセージが来た。
「⋯⋯はぁ。やらない選択肢は無いんだろ。しょうがないじゃん」
大輔はファナの背中を追いながら、深く息を吸った。
土と緑の匂いが肺に染みる。
(なんか⋯⋯ゲームの中ってより、本当にどこか知らない世界に来たみたいだ。でも、服装がスウェットのままだし、裸足なんだけど⋯⋯)
ファナの金の髪が、陽の光にに照らされてきらきらと揺れる。
(ファナさんも本物っていうか、“生身”って感じだし)
「⋯⋯しかし、このウィンドウさっき出っぱなしなんだよな。消えろって言ったら消えるのかな⋯⋯消えろ!」
ウィンドウが、ふっと消えた。
「単純だな⋯⋯でも、いちいち消えろって言うの、人としてどうなんだろ⋯⋯」
ぽつりとこぼしたそのひと言に、ファナがぴたりと足を止め、ゆっくりと振り返った。
彼女の表情は、少しだけ曇っていた。
「勇者様⋯⋯私は、消えたほうが⋯⋯」
「えっ!?違う違う!ファナさんは生きて?俺が守るから!」
反射的に、そんなセリフが口をついて出た。(あ、やべ。つい⋯⋯)
ほんの一瞬、風がふわりと吹いた。
ファナは、頬を赤らめながら呟いた。
「⋯⋯約束、ですよ?」
(いやいや、可愛すぎるし。守らないといけない気がしてきた)
大輔のやる気が3割増した。
しばらく歩いていると、ファナが気配に気づく。
「⋯⋯勇者様、敵です」
それまでほんわかした口調だったファナの声が、一瞬で凛としたものに変わった。
空気がぴたりと止まり、森のざわめきまでもが息を潜めたようだった。
「え?どこに?」
大輔があたりを見渡す。
陽の光が木漏れ日となって降り注ぐ静かな森。風の音しか聞こえない。
「何もいないけど⋯⋯」
その瞬間──
「グギャアアッ!!」
上空から、裂けるような声と共に影が落ちる。
木の枝をかき分け、ゴブリンの群れが雨のように襲いかかってきた。
「うわっ、マジかっ!?」
大輔は反射的に飛び退く。
バサッ!ドサッ!
あたりにゴブリンがぞろぞろと着地し、武器を構え、不気味に笑う。
大輔は“マスターソード”を構える。
「やっぱりやるしかないのか⋯⋯」
すると、背後からファナが一歩前に出て、両手を翳す。
彼女の周囲に魔法陣のような光が瞬き、風が渦を巻き始める──
「清き風の流れのもとに、邪気を払い給え──スターキヴィン!」
ファナが詠唱を終えると同時に、風が森の空気を裂いた。
地をなぞるような光が広がり、巨大な暴風が生まれる。
ゴオォォォッという轟音とともに、ゴブリンたちはなすすべもなく吹き飛ばされた。
「えっ?強っ。俺来た意味ある?」
大輔は剣を持ったまま、その場に立ち尽くしていた。
思わず漏れた本音。
目の前で繰り出された魔法は、想像以上だった。
「勇者様──後ろ!」
ファナの声に反応し、大輔は条件反射で振り返る。
「うわっ!?」
ゴブリンの一体が、ボロボロになった体で立ち上がり、棍棒を高く振りかぶって大輔に襲いかかってきた。
「ぐっ! 危ねぇ〜っ!」
ギリギリで“マスターソード”を掲げ、棍棒を受け止める。
「お、おもっ⋯⋯っ!」
歯を食いしばりながら、じりじりと押される。
(うわ〜! モンスターもリアルだな〜! 臭っ、てか見た目キッツ! 気持ち悪っ!)
だが、その一瞬──大輔の中で、何かが“スッ”と整った。
(これ⋯⋯あのゲームと同じ。敵の腕の角度、振り下ろすタイミング──)
「ッらあぁっ!!」
大輔は剣を捻り、ゴブリンの攻撃をいなすと同時にカウンターで斬りつけた。
一閃。
ゴブリンは呻き声を上げ、そのまま地に崩れ落ちた。
「⋯⋯やっべ、俺ちょっとカッコよかった?」ほんの少しだけ、勇者の自覚が芽生えた気がした。
「流石勇者様!と言いたいところですが⋯⋯ゴブリン相手に苦戦してませんでした?」
ファナは懐疑の目を向ける。
「いや、まぁ⋯⋯実戦は久しぶりで⋯⋯ハハハ⋯⋯」
(こんなにリアルだなんて聞いてないぞ!)
すると、ジョルジュウィンドウが現れ、
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「ゆうしゃさま チュートリアル かんりょうです グッドラック!」
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「今のはチュートリアルだったのか⋯⋯ってグッドラックって何だよ。いちいちノリが軽いんだよ」
そして、大輔は小声で呟く。
「⋯⋯消えろ」
ウィンドウはふっと静かに消える。
確認するようにファナの顔をちらりと見る。
「勇者様、どうしました?」
「いや、なんでもない!うん、風が気持ちいいなって!」
(バレてない。よし、これからはこのスタイルでいこう)
大輔はわざとらしく空を見上げ、背伸びをした。
木々の隙間からは、淡い陽光が差し込んでいる。
さっきまでの戦いが嘘のように、森は再び穏やかな気配を取り戻していた。