ふたりは再び歩き出す。
「ファナさん、ノエルナ村って、どんなとこ?」
「小さな村ですけど、ちょっと特殊というか⋯⋯あ、パンが美味しいんですよ?」
「パンかぁ⋯⋯」
その響きだけで、大輔の腹がぐうと鳴った。
思わず照れ笑いを浮かべ、ファナも小さく笑う。
ふたりの足音が、森の小径にゆっくりと重なる。
その先には、木立の切れ間から姿を見せ始めた──素朴な屋根と煙突の並ぶ、小さな村の影。
ファナが指差しながら言う。
「勇者様、あれがノエルナ村です」
「わぁ、本当にファンタジー世界の村って感じだなぁ」
胸に漂っていた“ここはどこなんだ”という不安が、少しずつ和らいでいくのを感じる。
この世界も、悪くないかもしれない──そんな錯覚すら抱きかけた、そのとき。
──カツン、と空気が変わった。
村の目前で、見えない何かが空を切り裂いたような音。
次の瞬間、村の境界を包むように、淡く揺らめく透明なドームが展開された。
光の膜が陽に反射し、幻想的でありながら、どこか拒絶の意志を感じさせる。
そして──そのバリアの中から、ひとりの男が現れる。
切れ長の目。
銀髪を後ろで束ねた長身のエルフ。
その顔には明らかに、見下す者の表情があった。
「ファナ、遅かったじゃないか」
その声に、ファナの表情が固まる。
「リーシュ⋯⋯これはどういうつもり?」
「部外者をすんなり村に入れるわけないだろ?⋯⋯本当にそいつは勇者なのか?」
彼の視線が、大輔を値踏みするようにすっと流れる。
その視線に、冷たい何かが混じっていた。
「ファナさん、この人⋯⋯誰?」
戸惑いを隠しきれずに問う大輔。
ファナは小さく息を呑み、少しだけ声を落とした。
「リーシュは、この村の兵をまとめる団長なの。この世界で唯一の“聖戦帰り”よ」
「“聖戦帰り”⋯⋯?」
言葉の意味を咀嚼しきれないうちに──リーシュが、低い声でファナに向き直る。
「ファナ⋯⋯これで“何人目の勇者”だ?」
その言葉に、ファナはわずかに目を伏せる。
答えは、静かだったが、重かった。
「⋯⋯7人目」
「ちょっと待って⋯⋯ファナさん、どういうこと⋯⋯?」
「お前は黙っていろ」
リーシュは切り捨てるように言い放ち、言葉を重ねる。
「他の地域のエルフの村は襲撃され、既に壊滅した。それだけではない。周辺の街や村も同様だ。奴らはすぐそばまで迫っている。お前もそれは分かっているはずだ。そして、このノエルナ村が陥落すれば──我々エルフは絶滅する。恐らく、これが最後の戦いになるだろう⋯⋯」
一拍置いて、鋭く問う。
「それでも、この男に賭けるのか?」
ファナの目がわずかに揺れる──が、すぐに真っ直ぐ前を見据えて、言った。
「⋯⋯何もやらないよりかマシでしょ」
(あ、俺「マシ」ってレベルなのか⋯⋯ってこれ、エルフ狩りどころか世界征服だろ⋯⋯)
そんな内心のぼやきも束の間──
リーシュの手に、火球が灯る。
「え?」
──その火球を突然、容赦なく大輔めがけて放った。
「ぐっっっっっ!!!」
大輔はとっさに“マスターソード”を抜き、なんとか受け止める。
だがその勢いのまま、背後の結界──村を守るバリアへと吹き飛ばされ──
「勇者様ぁぁぁ!!」
ファナの悲鳴と同時に、大輔は空中でぐるりと回転しながらバリアへ突っ込む!
「⋯⋯もう終わりかぁ。早っ」
──そう思った瞬間、
バリアに触れた大輔の背中に、奇妙な感触が走る。
ぐにゃっ、と柔らかく、波のようにバリアが“破れた”。
次の瞬間、大輔は反動で地面に叩きつけられ、勢いよく尻もちをつく。
「いってぇ!!ケツ割れた!!それに⋯⋯背中がサランラップに突っ込んだみたいな感覚⋯⋯」
リーシュは、愕然とその様子を見ていた。
「何っ!?この世界では誰も破れなかったバリアを⋯⋯破った⋯⋯」
──その瞬間、彼は初めて“大輔”という存在を、ただの異邦人ではないと理解した。
「勇者様!大丈夫ですか?」
ファナが駆け寄り、大輔の手を取りながら心配そうに覗き込む。
「う、うん。大丈夫⋯⋯たぶん。でも、バリアっぽいの破っちゃったんだけど⋯⋯リーシュ怒ってない?また火の玉飛んでこないよね⋯⋯?」
すっかり弱気になった大輔の横に、リーシュが静かに歩み寄る。
「あらー、これは流石にいよいよゲームオーバーかも⋯⋯」
ぐったりと尻もちをついたままの大輔の前に、すっと影が差した。
「⋯⋯貴様、認めたくは無いが、“本物”のようだな」
そう言って、リーシュは静かに手を差し伸べた。
一瞬、信じられないというような顔でその手を見る大輔。
けれど、戸惑いながらも、その手を取る。
「⋯⋯ありがと。でも、もうちょい柔らかく迎えてくれても良かったんじゃないかな?」
「この程度で死ぬ勇者など、勇者ではない」
どこか苦笑しながら立ち上がった大輔の顔に、ようやく“村の一員”としての色がにじみ始める。
「ようこそ、ノエルナ村へ──第7の勇者殿」
その瞬間、村のバリアがふわりと波打つように光り、透明だったその結界が、まるで“歓迎の門”のようにゆっくりと消えていった──。