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第4話 矜持

「一度、長老に挨拶しておいてほしい。私は外すから、ファナ、案内してくれ」


「分かった」


ファナに案内され、大輔は村の奥へと進む。

屋根に苔の生えた木造の家々が立ち並び、どこか懐かしい風景が広がる。


(なんかジブリの世界みたいだ⋯⋯)


やがて、ひときわ大きな古木の根元に、ぽつんと建つ小屋へと辿り着く。


「ここが、長老様のお宅です。長老様は昔、大陸を旅していたらしいですよ」

「いかにもって感じだな⋯⋯」


大輔が緊張しながら扉に手をかけると、ファナがふと付け加える。


「ちなみに、長老様⋯⋯ちょっと独特なので、驚かないでくださいね」

「⋯⋯独特って何?すでに嫌な予感しかしないんだけど」


ギィィィィィッ⋯⋯


扉を開けた瞬間──もさっとした白髭、まるで寝癖のように跳ねた髪、そして、まぶたが重そうな顔で、妙にゆっくりと喋り出そうとしたそのとき。


「ぶっ!!!」

大輔はその顔を見た瞬間吹き出した。とてつもない既視感に襲われたからだ。


(⋯⋯佐藤二朗だ!)


「ちょっ、あの、あのね、初めて会って顔見て吹き出すのって失礼じゃない?ねぇ、今さぁ、ちゃんと長老やろうとしてるからさぁ、頼むよ?」

「くくくく⋯⋯はい⋯⋯」

大輔は前屈みになり、肩を震わせる。


ファナが不思議そうに小声で、

「何が面白かったんですか?」


「⋯⋯いきなり『笑ってはいけない』が始まったかと思った⋯⋯」


「???」


長老は妙にハキハキと話しだす。

目線は少し上を見ながら。


「よいか、若き勇者よ。わしはシリ⋯⋯シリウス⋯⋯あれ何だっけ⋯⋯あぁ、ファナちゃん、わしの名前、あのー」


ファナはまた小声で、

「シリス、モルフィン、グラットン八世です」

「えっ?シリュス?モルヒネ?グラヴィトン?」


(これは「勇者ヨシヒコ」の「仏」みたいなキャラだな⋯⋯ちょっと嬉しい)


「うんうん、⋯⋯八世の、長老である!」

「ドヤ顔してるけど全然名前分からん」


「いやね、さっき台本貰ったばっかりでね、いきなり本番だっていうからさ〜。まだシャワーも入ってないのに」


大輔はファナに耳打ちする。

「ファナさん、これはエルフ滅びてもしょうがないかも⋯⋯」


ファナは目を見開く。

「勇者様!言っていいことと悪いことがあります!」

「そうだそうだー!ファナちゃんもっと言ってやれー!」

「おい長老、悪ノリするな」


大輔がため息をついたとき──部屋の奥から、ひとりの小柄なエルフの子供が走ってきた。


「じっちゃー!またお薬の時間だよー!」

「ん?おぉ、そうかそうか、ではファナちゃん、勇者よ、ちょっと今からボラギノールを⋯⋯ドロン!」

そう言って、長老は真顔で部屋を出て行った。


「⋯⋯絶対俺の世界の人だ。今ボラギノールって言ったし。挨拶必要だったか?」

「⋯⋯勇者様?長老様、変わってますよね⋯⋯」

「変わってるどころじゃない。怪演だよ」

「かいえん?」

「まぁ、いいや⋯⋯ファナさん、ちょっと話そう?」

「⋯⋯はい」


ふたりは長老の家を出て、川のほとりへと向かった。


日が傾きかけた空は茜色に染まり、川面には揺らぐような光の筋が映っている。

風が草をなでるたび、ひそやかに揺れる葉擦れの音。


せせらぎは穏やかで、森の奥では鳥のさえずりが時折重なっていた。

ふたりは岩場に腰かけ、しばらく無言で水面を見つめていた。


その沈黙は、ただ静かなだけではなく──何かを確かめ合うような、微かな緊張を孕んでいた。


大輔が、そっと口を開く。


「ファナさん、俺が7人目って言ってたけど⋯⋯」


ファナは目線を動かさず、川の流れを見つめたまま答える。


「はい。リーシュが戦った“聖戦”のあと、異世界の勇者様を呼び寄せて一緒に戦ったんですが⋯⋯皆死んでしまいました」


川辺に差し込む光が、少しだけ陰る。

空に雲が流れたのか、それとも、語られた言葉のせいか。


「⋯⋯異世界の勇者?」


「はい。長老の家にある古文書に、異世界勇者召喚術に関する事柄が書いてあるんです。本来は禁忌とされていましたが⋯⋯」


「⋯⋯世界の均衡が崩れるから、とか?」


「それもあるかもしれません⋯⋯理由は分かりませんが、良くないことだというのだけは確かです」


大輔は少し目を丸くする。

川の音がふたりの間を流れ、遠くで小鳥が囀る。


「えっ?ファナさん、理由も分からないのに禁忌を犯してるの?」


ファナは、空を見上げる。

沈みゆく陽の輪郭が、瞳に反射していた。


「もう、村を守るにはそれしかないですから。最悪、私が死んでも、村が残ればそれで⋯⋯」


その言葉の途中、大輔が声を張る。


「よくない!!」


「勇者⋯⋯様?」

ファナは驚いた表情で振り向いた。


「俺も⋯⋯いきなりここに来てさ、ゴブリンに苦戦して、リーシュにふっ飛ばされて⋯⋯7人目の勇者だって言われて訳分かんねぇよ?でも⋯⋯やるしかないって思ってる。敵はめちゃくちゃ強いだろうし、怖くないって言ったら嘘になる。自信なんか全然無い。それでも⋯⋯さっき、ファナさんを守るって言ったんだ。だから⋯⋯絶対に死なせない」


川のせせらぎが、少しだけ強まった気がした。ファナは目を潤ませ、小さく息を飲む。


「⋯⋯勇者様、ありがとうございます。私の我儘に付き合わせて⋯⋯あと、さっきマシだなんて言ってごめんなさい⋯⋯」


「⋯⋯気にしなくていいよ。あ、さっきの世界の均衡が崩れるって話が本当だとしたら⋯⋯俺が来たらおかしくなっちゃうんじゃない?」


ファナはゆっくりと首を振る。


「それが不思議なことに⋯⋯まだ何も起きてないんです。今までは、異世界の勇者様が来た瞬間に、目の前に大勢の敵が必ずいたんです。それに、今回は『アウルーラ』を使ったとき、移動途中に腕を引っ張られるような感覚があって⋯⋯脇道に引き込まれるような⋯⋯そしたら、勇者様のお家にいたんです」


「今までとは違う、ってことか⋯⋯」


──そのとき、後ろから声がした。

「異世界勇者の中でも、特異なのかもしれないな」


振り返ると、木々の間からリーシュが現れた。

夕陽に照らされ、赤銅色の鎧がぼんやりと光を返していた。

その表面にはいくつもの小さな傷があり、まるで刻まれた記憶のように沈黙していた。


「あれ、リーシュ、何で鎧着てるの?」

不意に口をついた大輔の問いに、リーシュはほんの少し目を細めて応じた。


「これはな、勇者の形見なんだ」

「⋯⋯形見?」


風が通り抜け、木の葉が揺れる。

川のせせらぎがふたりの間の沈黙を埋めていた。


「この世界にも勇者のパーティーはいた。魔王を倒し、平和が訪れた。だが⋯⋯」


リーシュは拳を握る。

その手が微かに震えているのを、大輔は見逃さなかった。


「この世界の最南端の孤島、『シュルツピア』から、奴らは来た。そして、大陸の中央にある、ストラガン王国で“聖戦”が起きた。勇者のパーティーは、私の目の前で⋯⋯全員死んだ」


「目の前でって⋯⋯リーシュは⋯⋯」


「⋯⋯私もそのパーティーの一員だった。“聖戦帰り”だと言われるが、ただの敗走だ」


静かに、しかし確かに重さを帯びた声だった。大輔は息を呑む。


「そうなのか⋯⋯あっ、さっきファナさんに聞きそびれたんだけど⋯⋯リーシュ、死んでも蘇生魔法があるだろ?それで生き返らせたら⋯⋯」


リーシュは目を伏せ、首を横に振った。


「奴らは蘇生魔法を封じる術を持っている。死んでしまったら⋯⋯それまでだ」


「そんな⋯⋯」


「勇者殿、私からも頼む。身勝手だと承知している。⋯⋯力を貸してほしい」


リーシュは静かに、しかしはっきりと頭を下げた。


「いやいや、頭上げてよ。⋯⋯まぁ、そうすることにしたけどさ⋯⋯敵ってどんな奴なの?」


「ひとりは筋骨隆々の武闘派。もうひとりは⋯⋯私にうり二つの魔法使い。どちらも黒いエルフだ。しかも、本来この世界にはいないはずの存在だ」


「黒いエルフ⋯⋯ってことはダークエルフ?しかもリーシュにそっくりって⋯⋯そいつらも異世界から⋯⋯?」


「長老から、昔にもダークエルフが異世界から来たことがあると聞いた。『シュルツピア』には『界紋の罅(かいもんのひび)』という現象が起き、それを介してやって来ると⋯⋯」


森の空気が、ふっと冷たくなった気がした。


「そっか⋯⋯」


沈黙──


その刹那、大輔の目の前に、けたたましい警告音とともにウィンドウが突如現れる。


「ALERT」──警告は、黒い背景に血のような赤で何度も点滅していた。


「おい!パターン青!ってか?世界観めちゃくちゃだろ」

冗談めかした言葉が空気を切った次の瞬間──


南の空に、地鳴りと共に眩い火柱が立ち上る。その光が木々を照らし、鳥たちが驚いて一斉に飛び立った。


「⋯⋯おいおいマジかよ!まだパン食ってねぇんだけど!」


大輔が立ち上がると、リーシュの顔色が変わる。


「バカな!防衛線がもう突破されただと?私は村の兵士を収集して陣形を取る!お前たちも戦闘配置につけ!」


その声が夕暮れの森に響いた。

そこに赤黒い雲が這っていく。

まるで不吉を告げる狼煙のように、それはゆっくりとノエルナ村の上空へと広がっていた。


森が、一瞬だけ静まり返る。

小鳥の鳴き声も、風の音も、どこかへ消えた──。

その雲からは、鉄が焼け焦げるような匂いがした。



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