「ったくよォ、ショボい防衛線だったぜェ。準備運動にもなりゃしねェ」
「⋯⋯私たちも舐められたものですね」
丘の上に、ふたりの影。
ひとりは筋骨隆々、まるで鉄塊のような腕をぶらりと下げて立っている。その背中には、何本もの斧が無造作に差し込まれていた。
もうひとりは、銀髪を後ろで束ね、黒いローブをまとった細身の男。
表情は薄く、瞳は氷のように冷たかった。
「おい弟ォ?ノエルナ村ってのはあそこかァ?」
鉄塊のような男が、ゆっくりと指を差す。
その指先の先、森に囲まれた──エルフたちの隠れ里、ノエルナ村。
弟は視線を動かさず、淡々と答える。
「兄上。間違いありません。ここを叩けば、エルフはこの世界から消滅します。それに──勇者もいるようです」
「⋯⋯勇者ァ?次のはちゃんと強ぇんだろうなァ?グッフフフ。どうやって殺すかなァ?八つ裂きかァ?首チョンパかァ?」
男の口元が裂ける。
その笑いは、まるで刃物が笑っているような、不快な音色を放っていた。
弟は一歩前に出て、風に揺れるローブを押さえた。
「今までの“異世界”勇者は、あっけなく死にましたが⋯⋯今回は一筋縄ではいかないかと。まぁしかし、物理的な殲滅も良いですが、心を折るのもまた一興です」
「ほォ〜?面白ぇなァ、それ。じゃあ俺は、泣いてる奴から殺ってくかァ?もし、勇者と出くわしたら先に殺っちまうかもなァ〜」
ごきり、と首を鳴らす音が響く。
次の瞬間、男は空中に飛び上がり、そのまま森の奥へと姿を消した。
体格からは想像出来ないほど、俊敏に。
弟はその背を見送りながら、ふと自分の指先に宿る魔力を見つめる。
「さて⋯⋯そろそろこの世界も終わりにしましょう。“あのお方”も、なかなか悪趣味ですね」
一方、ノエルナ村では陣形が整いつつあった。
木々の間をすり抜ける風には、未だに焦げた匂いが混じっている。
村を囲むように、エルフたちが矢筒を背負い、低く指示を交わしながら防衛線を張っていた。
大輔はぽつんと、入口前の広場に立っていた。“マスターソード”を構えながら。
「陣形って言われてもなぁ⋯⋯まぁ、正面から来るアホはいないだろ」
自分に言い聞かせるように、大輔はひとり呟く。
ウィンドウには、《高エネルギー反応 接近中》の点滅と、警告音が鳴り響いた。
「だからさぁ、それはエヴァだってば⋯⋯」
小さくツッコミを入れた瞬間だった。
──ズウゥゥゥゥン!!
地鳴りにも似た衝撃が足元から跳ね返る。
目の前に土が盛大に跳ね上がり、視界を一瞬で濁した。
砂塵が宙に舞い、世界が灰色に染まる。
「うわっ!な、何だ?」
咄嗟に腕を翳す大輔。
風が土埃をさらい、ゆっくりと視界が晴れていくその中から、異様な“何か”が輪郭を現した。
まるで鉄塊を人の形にしたような体躯。
背中には、斧が何本も装備されている。
筋肉はひび割れた大岩のように盛り上がり、その双眸は獣のようにぎらついていた。
そして──
「お前が、勇者かァ〜?」
その声は底の底から響いてきた。
どこか無邪気で、だが理性というものをどこかに置き忘れてきたような、獰猛な音だった。
その男の名は、ボルドゥーン。
大輔は一瞬、言葉を返せずにいた。
だが次の瞬間──
「へぇ⋯⋯レベル、こうげき、ぼうぎょ、すばやさ⋯⋯全部マックスじゃねぇか。チートじゃん、お前」
「⋯⋯は?」
聞き返したのは大輔だった。だが、内心は震えていた。
(今こいつ──俺のウィンドウを⋯⋯読んだ?しかも今、表示されてないぞ?)
確かに、彼の視線は“自分のウィンドウ”を見ていた。
だがそれは本来、他人には見えないはずだ。
ファナにも、リーシュにも、長老にも──誰にも「見られた」ことはなかった。
なのにこの男は、当然のように、その内容を読み上げた。
「お前、どこから来たんだよ⋯⋯」
そう呟いた大輔に、ボルドゥーンはにやりと笑った。
「⋯⋯あァ?“あっち”だよ、勇者ァ。この世界の外。俺たちゃァ、そういう“場所”から来てんだよォ」
まるでバグを見つけて喜ぶハッカーのように。
その目は、人間を“構造”として見ている者の目だった。
「他にも、異世界から来た勇者が何人かいたなァ。どいつもこいつもレベルは高くても70程度、そんなんで俺らに勝とうなんてよォ。やっと“らしい”勇者が来たなァ」
「こいつがリーシュが言ってたダークエルフ⋯⋯?ビスケット・オリバみたいにムキムキだな⋯⋯」
その距離、僅か3mほど。
大輔は警戒した。
左足を少し引き、姿勢を沈めた。
両手は下げながらも、“マスターソード”を前に──蹲踞(そんきょ)の構えを取る。
(相手は何者かも分からない。でも、目の前にいる以上──)
「俺には、これしかねぇからな⋯⋯!」
足元の土を掴むように踏み込み、視線を敵の中心──いわゆる“三殺法”へと据える。
一切の油断も、無駄もない構え。
それを見て、ボルドゥーンは目を丸くした。「⋯⋯おおっ!?何だそれ。構え? へぇ〜、カッケェじゃん!じゃあ、俺も──」
腕をぶらりと下げたまま、奴は腰を落とした。
だがそれは、模倣でも、礼儀でもなかった。
まるで猛獣が、獲物を仕留める直前の“間”を取るように──
その全身から、圧が湧き上がる。
「兄上、遊びはほどほどに──」
森の奥から、追いついた弟の冷たい声が届くが、巨漢はニヤニヤと笑ったまま言った。
「そりゃ無理ってもんだろォ。だってよォ、今、めっっっちゃ楽しいんだよォ!」
一拍──間を置いて、
「行くぞォ!“チート勇者”ァ!!」
その瞬間、大地が軋んだ。
ボルドゥーンは真っすぐ突っ込んでくる。
大輔は目を見開き、反射的に前へ踏み込んだ。
「うぉらぁぁぁぁ!!」
「ブフッ!遅っそォ〜!」
ボルドゥーンは、大輔の首めがけて斧をフルスイングする。
しかし、大輔は既(すんで)のところでかがみ、交わす。
「な、交わしたァ!?」
がら空きになった懐に、大輔は一閃。
「胴!!!」
ボルドゥーンの巨体が、大きく仰け反る。
鎧は真っ二つに裂け、噴き出した血が夕暮れの光を赤く染める。
その光景に、森の木々すら怯えたかのように、ざわめきを立てた。
「がああぁぁぁっ!!な、何だこの痛みは⋯⋯」
巨漢は地を踏み鳴らし、よろめく。
その体躯を支える足が、僅かに震えているのが分かる。
信じられないといった目で、大輔を見据えた。
「てめェ⋯⋯今のは、何だッ!?ただの斬撃じゃねェ、内臓が焼けるような⋯⋯ッ!」
大輔は静かに構えを解くと、一歩後ろへ下がり、深く息を吐いた。
剣先を軽く振るって血を飛ばし、スッと“マスターソード”を構え直す。
「“技”ってのはな、“力”だけじゃねぇんだよ。礼を忘れた奴には、当たって当然なんだよ──“一本”な?」
その姿を見ていたファナが、頬を紅潮させて声を上げる。
「わあぁぁぁ!勇者様!素敵です!」
一方、陣の後方から双眼鏡で様子をうかがっていたリーシュが、思わず口を開く。
「何ぃ!?攻撃をかわして、しかも一撃入れただと!?あの巨漢に正面から⋯⋯あり得んッ!」
──ただ、まだ戦いは終わっていない。
ボルドゥーンは、傷口を押さえながらも、不気味に笑い始めた。
「へへっ⋯⋯やっぱおもしれぇわ、チート勇者⋯⋯今のは、ちょっと本気で痛かったぜ⋯⋯!」
その身から溢れ出す黒い魔力が、まるで地を這う霧のように地面を舐めていく。
次の瞬間──
巨漢の背中に無造作に差してあった、何本もの斧が一斉に浮かび上がる。
それはまるで、重力を無視した凶器の群れ。
「次は、俺の番だなァ?」
その言葉と同時に、世界が震えた。
森の風が凍りついたかのように止まり、全ての音が吸い込まれていく。
──そして、その刹那。
「⋯⋯刻め」
その一言は、焚き火のように不穏に揺れながら、空へ弾けた。
斧たちは、音を置き去りにして村の中心部へと一直線に飛翔する。
「俺はなァ、魔法も使えんだよォ!!」
ファナは咄嗟に詠唱する。
「崇高なる壁よ、聖盾となりて──我らを守り給え!アイザン!!」
リーシュも声を張り上げる。
「魔導隊!ファナに続け!」
ファナの手元に浮かび上がる光の紋章が展開し、幾重にも重なる防御魔法を村の上空に放つ。
続いて魔導隊の魔法も重なり、重厚な層を作る。
しかし──
ファナの両腕に、しきりに痺れのような振動が響く。
「くっ、うううっ!!一撃が重い⋯⋯!!」
狂気にも似た斧の乱舞が、防御魔法を次々と破り、徐々に村を覆うバリアを削っていく。
摩耗が続けば、いつか必ず破られる。
焦燥と緊迫の波が、陣の端から端までを覆っていた。
そんな中──
大輔が、不敵に声を張り上げた。
「おい!筋肉ダルマ!俺が怖いから村を攻撃してんのか?ダッサ!その図体で心はリスか何かか?キッモ!」
──その言葉が、何かを撃ち抜いた。
逆鱗に触れたのか、ボルドゥーンは魔法を解除する。
張り巡らされた斧たちが、空中で霧のように消えていく。
「お前⋯⋯いい加減にしろよォ?頭から真っ二つにしてやるぞォォォ!!」
巨漢の叫びとともに、空気が軋む。
黒い霧のような魔力が再び肌を刺し、大地を揺らした。
ドォン!!
地面を抉る踏み込み。
振り上げられた巨大な斧。
まるで戦場そのものが、ひとつの生き物のように唸る。
「──知ってた。お前、直情型だもんな。コテコテの脳筋キャラっぽいし」
大輔は静かに一歩、後ろへ左足を引いた。
そして、膝を沈め──低く構える。
「⋯⋯今度こそ倒す!」
風を切るように、大輔の身体が弾けた。
斧が迫る。
殺気と鉄臭を孕んだ風が、肌を刺す。
だが──
彼は臆さず飛び込んだ。
「おらぁぁぁぁ!! 面!!!」
一閃。
それは重さに抗った、“速さ”の刃だった。
ボルドゥーンは、視界を持たぬまま頭から血を噴き──仰向けに倒れた。
「いよっしゃああああ!!」
大輔は雄叫びを上げ、空に拳を突き上げた。
だが、その喜びはすぐに、違和感へと変わる。
「俺⋯⋯倒した?筋肉ダルマを」
心臓の高鳴りがまだ収まらない。
「いやいや⋯⋯これは絶対、ファナさんかリーシュが、バフ魔法とかかけてくれてたやつだよな。じゃなきゃおかしいって⋯⋯」
一人で納得して、勝手に照れる大輔だった。