──だがその静寂を、濡れたような声が破る。
夕焼けに照らされながら、静かに佇む細身の影──。
「あぁ、兄上⋯⋯なんと無様な姿。もとより醜悪な容姿ではありましたが──まさか、最後までそれを晒すとは⋯⋯」
いつの間にか、広場前にもう一人の影が立っていた。
その男は、先の巨漢と同じ灰褐色の肌を持つダークエルフ。
しかし、その姿は対照的だった。
大輔は目を見開く。
「本当に⋯⋯リーシュそっくりだ⋯⋯」
リーシュの生き写しのような姿は冷酷そのもので、感情の欠片すら読み取れない“無表情”が、逆に不気味さを際立たせていた。
「兄上には──何も、期待などしておりませんでしたが⋯⋯」
ゆっくりと、男は手を掲げた。
その掌に滲み出す紫紺の魔力は、まるで毒を帯びた霧。
重く、ねっとりと、空気を蝕むように揺らめく。
「チート勇者とやら。──少しだけ、興味が湧きましたよ」
唇の端がわずかに吊り上がる。
「⋯⋯今度は、私も参加しましょう」
魔力はやがて霧となり、大地を這うように広がっていく。
「うっ⋯⋯っ!」
目を覆う霧。刺すような瘴気。
そのとき、リーシュが突然叫んだ。
「みんな!吸うな!!──生き返れなくなる!!」
それでもファナは危険を顧みず、詠唱に入った。
「清き風の流れのもとに、邪気を払い給え──スターキヴィン!!」
天から舞い降りるように風が吹いた。
それは次第に暴風となり、霧を押し返す。
巻き上げられた瘴気は、悲鳴のような音を残して遥か彼方へと消えていった──。
霧が晴れ──現れたのは。
「ふゥ〜っ⋯⋯。死んだのなんて、いつぶりだろうなァ⋯⋯?」
そこには、まるで何事もなかったかのように、ボルドゥーンが立っていた。
「おい、弟ォ?今、俺のこと侮辱したかァ⋯⋯?」
「いいえ、気のせいです」
大輔の背中を冷や汗が這う。
“何かが違う”。
さっきまでの奴とは、まるで気配が違っていた。
「⋯⋯生き返った?嘘だろ?蘇生魔法か⋯⋯!」
「勇者ァ⋯⋯まだまだ楽しませてくれるよなァ?」
大輔の脚は震えていた。
“生き返る”。
それはゲームの中では当たり前のルール。
だけど、ここは──
(ここは、リアルなんだろ!?)
喉が焼ける。
心臓が暴れる。
「さっきまでの眼はどうしたァ?怖いのかァ?だったら逃げろよォ!勇者ァ!!」
ボルドゥーンが、凶器のような笑みを浮かべて、振り上げた大斧を大地に叩きつける。
地を抉り、強烈に風を裂く音が響く。
大輔は圧倒されている。
「くっそぉ⋯⋯怯むな俺、やるしかねぇんだ!」
「その困ったみてぇな表情ォ!もっと見せろよォ!!」
距離を詰めたボルドゥーンが大振りの一撃を振り下ろす。
それを大輔が“マスターソード”で受け止める。金属音とともに、ふたりの武器が火花を散らし、鍔迫り合いが始まる。
一方、その隣では──
「⋯⋯さて、私は“偽物”と戯れるとしましょうかね」
弟ダークエルフの十指の先に小さな黒い火球が宿る。
それは連続して生成され、その数は、数十、数百と量産される。
空が、漆黒で埋め尽くされていく。
「“フラメディオル”」
低く、そして冷たく呟いた。
瞬間、火球の群れが矢のように放たれ、一直線に村のバリアへと殺到する。
「くっ⋯⋯!魔導隊、全員展開!!対空結界!!」
リーシュの号令に応じ、村の魔導兵たちが次々に詠唱を開始する。
激しい衝撃音が響く。
結界はあっさりと突き破られ、バリアの表面が波打ち、青い魔力の膜が閃光を放つ。
「守ってばかりでどうなるのですか?そろそろ村ごと吹き飛ばしてもいいんですよ?勇者パーティーの一員だったとは思えない程の弱腰ですね?“偽物”よ!」
「クソっ⋯⋯魔導隊!対空結界は継続!射手!射撃用意!鏃に魔力を込めろ!」
黒い火球の一つが、ゆっくりと肥大化する。
その動きに呼応するように、他の火球たちも次々と膨れ、色を深くしていく。
──まるで夜空ごと焼き払う、終末の予兆。
「もっと火力を増やしましょうか⋯⋯“グラン・フラメディオル”」
冷たく囁いたその声が、空気を裂く。
「射手、一斉に放てぇぇぇ!」
リーシュの号令の後、光を放つ数百の弓矢が弟ダークエルフめがけて飛んで行く。
「⋯⋯小賢しい」
最初の火球は、あっさりと弓矢の群れを撃ち落とし、対空結界を消し飛ばした。
まるで紙を破るように、軽やかに。
そして──
第二、第三、いや、無数の火球が怒涛の勢いでバリアに着弾した。
閃光を放ち、瞬間的に膨れ上がる。
だが、次の瞬間──音もなく、ひび割れた。
その直後、破砕音が響く。
──バリア、崩壊。
「逃げろぉぉぉぉ!!」
リーシュの叫びとほぼ同時に、轟音が村を裂いた。
火球が着弾し、家屋は爆発するように吹き飛ぶ。
木造の屋根が空中で火をまといながら舞い上がり、焼け焦げた梁が、村人たちの頭上を跳ねるように飛び交った。
「キャアアアアアアッ!!」
「うわあああああッ!!」
地鳴り、爆風、炎、煙──そして、叫び声。
一瞬で、風景は地獄絵図と化した。
「──あぁ⋯⋯村が⋯⋯!私の、守りたい村が⋯⋯」
ファナは思わず立ち尽くす。
燃え盛る家々。
泣き叫ぶ声。
止まらない炎。
でも、足を止めている場合じゃない。
ぐっと歯を食いしばり、両手を翳す。
瞳に、決意の光が宿った。
「奔る激流の如く、穢れを洗い流せ──クラヴァトン!!」
詠唱と同時に、天から水流が奔るように降り注ぐ。水柱が火を呑み、焦げた空気を洗い流していく。轟々と音を立てて、炎が押し戻されていく──。
「⋯⋯絶対に許さない。これ以上、村を壊させない!」
ファナは鋭くダークエルフたちを睨みつけた。
「“偽物”よ。いつまで人任せなんですか?次は──全部、消し飛びますよ?」
──その声は、地獄の炎よりも冷たく、静寂を切り裂いた。
「くっ⋯⋯!」
リーシュは破壊されたバリアの再構築に集中していたが、完全には程遠い。
焦げた臭いが鼻を突き、空気は重く澱んでいる。
弟ダークエルフが、再び手を掲げる。
指先に灯ったのは、先ほどよりも濃く、ねっとりとした紫炎。
それは空間すら侵すような、重く不気味な光を放っていた。
そのとき──
「──ドメンストリドゥン!」
雷鳴とともに、蒼白の光が落ちる。
紫炎は瞬時に貫かれ、ダークエルフの掌が焼け焦げた。
「⋯⋯ッ!」
彼は焼け爛れた手を見つめ、わずかに眉をひそめた。
瞬間、村全体が静まり返る。
次に訪れたのは、誰もが息を呑む一瞬の間──
「なっ⋯⋯今の魔法は?」
リーシュが顔を上げ、魔法の放たれた方角へと視線を向ける。
そこに立っていたのは──
「久しぶりじゃのう、ディルハイド。外見は違えど、しみったれた気は消せぬか」
ゆっくりと歩み出てきたのは、長老。
シリス=モルフィン=グラットン八世。
その身に纏うのは、いつもの質素なローブではなかった。
金糸の刺繍が施された法衣、背には雷をまとい、白銀の髪が雷光に照らされる。
ディルハイドの表情が険しくなる。
「⋯⋯“雷帝”!!」
ふたりの視線が交差する。
ファナは目を丸くする。
「あれは⋯⋯長老様?」
ボルドゥーンと交戦している大輔は一瞬、そちらに視線をやった。
(長老⋯⋯?いや、人が変わった?待て待て、それは比喩表現であって、本当に人が変わることは無いぞ?見た目⋯⋯ダンブルドア校長みたいになってんじゃん!)
「よそ見すんなよォ!勇者ァ!」
ボルドゥーンがぶん回した横からの強撃を、大輔は“マスターソード”で受け止める。
「ぐっっっっ⋯⋯!!」
圧が重い。
ボルドゥーンは力任せに大斧を押し込み、そのまま大輔を吹き飛ばす。
「オラァァ!!吹っ飛べぇェ!!」
「うわあぁぁぁ!!」
まるで重力が逆転したかのように、大輔の身体が宙を舞い、地面に叩きつけられた。
「勇者様!!大丈夫ですか?」ファナが駆け寄り、大輔に手を翳す。
(あったかい⋯⋯回復魔法ってこんな感じなんだ⋯⋯)
土煙の中で、仰向けになった大輔がかすかに息を吐いた。
「⋯⋯ファナさん、大丈夫。俺は⋯⋯俺が⋯⋯終わらせるから」
ボルドゥーンが、ずしりと足音を響かせながら歩み寄る。
「あァ?終わらせるだァ?グフッ⋯⋯グアアァッハッハッハ!この程度で俺を倒すだァ?」
大輔は口元を拭い、ゆっくりと立ち上がった。
視線を真っ直ぐに戻しながら、ボソッと呟く。
「⋯⋯おいおい、脳筋は記憶の保存領域がバグってんのか?」
「⋯⋯何だとォ?」
「さっき俺に斬られたの、もう忘れたのかよ?黒歴史は都合よく消すタイプか?──だったらもう一回、忘れねぇように刻み直してやるよ」
ボルドゥーンの口元が引きつり、下唇を噛み切った。
血が一筋、顎を伝う。
「貴様ぁぁぁぁァ!!ぶっ殺してやる!!」
怒号と共に襲いかかる大斧。
大輔は剣を構え、真正面から応じる。
再び交錯──鍔迫り合いに入ったふたりの刃が、火花を散らして軋んだ。
一方で、“雷帝”シリスとディルハイドの睨み合いが続いていた。
「ディルハイドよ。“過信”しとるようじゃな。見誤ると命に関わるぞ?あのときの仲間たちのようにのう」
「⋯⋯知ったような口を聞くな!500年前の借りを今、返させてもらう!」