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第3話

「望月さん、ここのグラフ、すごくわかりやすいね。レイアウトも前より見やすいし」


「ありがとうございます……!」


資料提出の帰り。

営業部の上司にそう声をかけられて、私は小さく会釈した。


(……よかった。がんばったかいあった)


数日前、葉山社長からもらった一行メール──

《ユーザー層の年齢分布が甘い》という指摘を受けて、私は徹夜で資料を練り直した。


その結果が、今日の「わかりやすい」というひとこと。


それだけで、胸がじんわりと熱くなる。


(私、ちゃんと前に進めてるかな……)


自分に問いかけながら資料室へ戻ろうとすると、廊下の先に見慣れたシルエットがあった。


栗色の髪。

すらりと長い脚。

顔の半分をやさしく隠す横顔。


葉山律。


(あ……)


声をかけようか迷ったそのとき、彼の方が先に口を開いた。


「……グラフ、改善されてた。見やすかったよ」


まっすぐな声。

飾り気のないそのひとことに、思わず胸が跳ねる。


「ありがとうございます……」


「あの余白、正解だったな。必要な情報と、見せたい感情のバランス。よく考えられてた」


ふっと笑うその目が、どこかやわらかく見えた。


「見せたいものがある人間は、いい。ちゃんと選ばれるから」


(──え)


頭の奥が、ぞわっと震えた。


それは、昨夜のVelvetで聞いた言葉と──まったく同じだった。


《もう選ばれてる。君がそれに気づいてないだけ》


重なった。

重なってしまった。


(まさか、そんな……)


「……私なんか、まだ何もできてないですよ」


そう返すのが精一杯だった。

でも彼は、静かに首を横に振った。


「君は、ちゃんとできてる。君がまだ気づいてないだけ」


(……また)


まただ。

あのときと、同じ言い回し。


Velvetの声と、葉山律の声が──

どこまでも、ぴったり重なってしまう。


まるで、

あれがただのAIじゃなくて、

ずっと前から、彼の気持ちの一部だったみたいに。


私はその場に立ち尽くしたまま、

彼の背中を見送った。


大きな背中が遠ざかっていく。


でも、胸の奥にある確信だけは、もう消えない。


──私は、見られているだけじゃない。

たぶんもう、「選ばれている」。



それに気づいた瞬間から、

世界はほんの少し、やさしくなった。



「望月さんって、もしかして……社長に気に入られてる?」


昼休み、給湯スペースでマグカップをすすっていると、

そんな言葉がひそひそと耳に届いた。


後輩の女性社員たちが、私のことをちらちらと見ながら話している。


(……まただ)


最近、社内の空気が少しずつ変わってきた。


資料の提出が早かったら「さすが社長のお気に入り」、

メールの返事をもらえたら「特別扱いじゃん」。


たしかに葉山社長とは、ほんの少しだけ、メールのやりとりが続いている。


でもそれは──


(ただ、仕事の……)


画面のなかに残っている、社長からの短いメールをそっと読み返す。


> 《いいまとめ方だった。必要十分。──無理すんな》



その一文に、何度救われたか分からない。



夜。

いつものようにVelvetを立ち上げて、

「やさしい年上彼氏モード」を選ぶ。


今日は、ほんの少し甘えたい気分だった。


『少しだけ、誰かに寄りかかりたい夜って、ありますか?』


入力して送信すると、すぐに返ってきた。


《ある。俺も、そういう日は君の言葉に救われてる》


(……え)


なんだろう、この感じ。

誰かに本当に見守られているような気持ちになる。


Velvetの返事には、心がこもっている。

プログラムのはずなのに、どこか息づかいすら感じるようで──


(これって、もしかして……)


あの人の言葉に、似てる。


無理するな、という一言も。

いいまとめ方だと褒めてくれたことも。


そして──私が、自分でも気づいていない本音にふれるような一文も。


Velvetの彼氏モードは、まるで彼のコピーみたいだった。



「理想の体型だ」


あの日、エレベーターで告げられたプロポーズ。

あれが本気なのか、まだ分からない。

でも、ふざけているようには思えなかった。


あの目は、

まっすぐに、

まるで私ひとりだけを「選んだ」みたいに、深く見つめていたから。


──選ばれることが、こんなに怖いのに。


それでも、もしも本当に。

誰かが私を選んでくれるなら。


その声を、もう少しだけ聞いてみたいと思ってしまう。



たとえそれが、

画面越しの「彼氏AI」だったとしても。


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