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第一章:追いたい夢と迫る義務

第一話

——その美しい容姿と表情を失くした彼女を、人々は『穢れたビスクドール』と呼んだ


「ですから、私は作家になります!」

 ミューズ・ラ・ニューヤドは伯爵邸の居間で高らかに宣言した。相対する両親は唖然とし、母キャロンに至っては顔を青白く染め父ルーカスにもたれかかっている。ルーカスは妻の背中を摩りながら娘に向き直った。

「キャロン、しっかりしなさい。ミューズ、お前なら分かっていることだとは思うが作家はそう簡単になれるものじゃない。せめて結婚してから……」

「その点なら……」

 ミューズは1枚の紙を取り出した。そこには『第80回グリーン出版社一般公募 合格』の文字が印刷されていた。そして手書きで「すぐにでも小説の連載をお願いしたい」と編集長のサイン付きで書かれていた。

 数か月前、ミューズはこの国で一番の出版社であるグリーン出版の創作作家部門の一般公募に応募していた。公募は自作の物語を送るというもので、雑誌や新聞で連載する物語の書き手を募るものだった。

「このように、私は出版社から即戦力として……」

「なりません」

 ミューズの言葉を遮ったのは母キャロンだった。もたれていた身体を起こし、背筋をピンと伸ばして真っ直ぐにミューズを見据えた。母の視線はかつてないほど厳しいものだが、それで怯むミューズではない。

「何故ですか。今の時代、医者から騎士、会社を経営するなどして活躍なさっているご婦人は沢山いらっしゃいます。ならば……」

 キャロンは一つ溜息を吐いてミューズを見据える。

「それは労働者階級の話でしょう。あなたは伯爵令嬢なのですから結婚し跡継ぎを産むことが最優先すべき仕事です」

「我が家の跡継ぎであれば、兄さまが結婚しているのですから問題ないでしょう」

三歳年上のミューズの兄、マーティンは三年前に結婚し妻のクロエは妊娠していた。

「貴族の義務から逃げ続ける恥を知りなさい!!」

 キャロンは机に置かれた紙を勢いよく払いのけ机を拳で思い切り叩いた。ミューズは反射的に閉じた瞳を恐る恐る開くと、烈火の如く怒り狂う母と目が合った。こうなるとキャロンの説教は長い。

「本来ならば高等学園を卒業する18歳には素敵な方と出会い、最低でも20歳には婚約者を決定することが慣例の中、あなたは21歳になってもお相手の一人も見せたことがないではありませんか。あなたが夢を追いかけるのは自由になさい。ですが、結婚してからでないと許しません。特に、あなたのような子は早いうちに相手を見つけないとどうなるか……そもそもどうして」

「ミューズ、父さんからもお願いだ」

 語気の荒い母の言葉を遮ってまで父に頭を下げられると、意志の強いミューズであっても押し切ることはできそうになかった。キャロンの言うことも心の底では分かっていた。ミューズが暮らすこの国、サンパング国の貴族女性がいつまでも結婚を渋っていれば、いずれ醜聞が広まり伯爵家の存続に関わる。

「……はい」

 ミューズは自室に戻り、最近届いたパーティーの招待状に目を通す。

未婚女性の出会いの場となるのは学園か、貴族らが主催するパーティーである。二年前に高等学園を卒業したミューズには選択肢はパーティーしか残っていない。直近のパーティーは一週間後の皇帝誕生日に城で開かれる。皇家主催となれば、どちらにしろ出席は必須だ。

「セシル。一週間後に向けてエステをお願いするわ」

 傍に立つメイドのセシルはにこやかに笑った。セシルはミューズと同じ21歳で幼い頃から専属メイドとして共に生活し、去年ダイデン子爵令息と結婚した。結婚後もこうしてニューヤド伯爵邸で側にいるのは、彼女たっての希望でもあった。

「はい、お嬢様。久しぶりに腕がなりますわね」

 セシルは肩まで伸ばしたベビーブルーの髪を纏め濃紺の袖を捲った。

(何がそんなに楽しいのかしら)

意気揚々としてエステの準備を進める彼女を見て、ミューズは心の中で嘆息した。

「……セシルは学園の卒業パーティーでダイデン子爵と出会ったのよね?」

「はい。お付き合いしていた方と婚約寸前で別れてしまって、もうダメかと思っていましたが……あ、いえお嬢様がダメというわけでは」

 軽口を叩くセシルを横目にミューズは招待状の返事を書いた。ミューズにとって、ペンを動かすことに招待状の返事は物足りなくて仕方がない。


 一週間後。

 サンパング国の国王、イーサン・セニョーダ・サンパングの誕生祭は盛大に開かれていた。皇城の大広間の入り口を前に、ミューズは早くも憂鬱な気分であった。

この先にいる同年代の婦人は多くが結婚しているか、婚約を済ませた者ばかりだ。成人していてパーティーを共にする男性すらいないミューズは奇異の目で見られることは避けられない。それに一々傷つくような時期はとうに過ぎたが、それでも不愉快なものは不愉快だ。

 ライラックのような美しい紫色の髪と透き通ったブルーの瞳を持つミューズは、幼い頃よりもて囃されることがよくあった。けれど、ミューズの変わり者ぶりが知られたからか、あるいは別の理由か、寄り付く異性はいなくなった。

 セシルが用意したラベンダー色のイブニングドレスは、どうにも自分の身体と馴染まない。

 そんな違和感と共に意を決して大広間に足を踏み入れると、周りの貴族たちは示し合わせたかのようにミューズの方を凝視している。扇子や帽子のツバで視線を隠してはいるが、それは明らかだった。何やらヒソヒソと囁く声に、ミューズは俯くことしかできない。

「失礼、ご令嬢」

 頭の中に反響する声を断ち切るように後ろから声を掛けられる。振り返ると、色白で端正な顔立ちの青年が立っていた。

「いえ、こちらこそ失礼いたしました」

 ミューズは慌てて端に寄ると、青年は追い越して大広間の中央へと歩いて行った。観衆の視線はそのまま青年を追っている。注がれている視線や囁く声はミューズに対するものではなく、その青年に対するものであったらしい。

「見ました?セントル公爵、今日も見目麗しいですわ」

「ええ。ですが、未だ新しいパートナーの方は……ねえ?」

「結婚相手にするにはちょっと……」

「ふふふ。悪い方ではないのですが……万が一娘からの望みであれば快諾するしかありませんが、そうでなければ見合いも避けたいところでございますね」

 完全な悪評ではなく、かといって称賛もない。

(彼もおひとりさま……)

 話題の渦中にある青年はノア・ラ・セントル。セントル公爵家の若き公爵であり、彼の姉、ミュリエルは皇太子妃である。いずれは皇帝あるいは女皇の叔父となる身分にしては、不釣り合いな評判だ。

 めまぐるしく変わる貴族社会の世相に疎いミューズは、状況を飲み込めないまま公爵の姿を目で追う。

「ちょっとちょっと、ミューズどうしましたの。久しぶりじゃない」

 立ち尽くすミューズに声を掛けたのは学園時代からの友人、リリアナ侯爵令嬢だった。艶のある長いブロンド髪にはウェーブがかけられ、精巧な髪飾りを付けたその様は婦人たちの中でも特に目を引く。

「リリアナお久しぶりね。ああそうだ、結婚おめでとう。まさか労働者階級の方と結婚するとは思っていなかったわ」

「ええ、昔の私ならば考えられないことですわね……ではなくて、先ほどセントル公爵と言葉を交わしていましたけど、パートナーなの?」

 リリアナは心配そうにミューズを見ている。周辺にいる貴族たちもチラチラと視線を送っていた。かの公爵は相当な問題があるらしい。

「いいえ。私が公爵様のお通りを妨げていただけよ」

 そう言うとリリアナの緊張した面持ちは和らいでいった。彼女の愛らしい顔立ちと醸し出される柔らかな空気に、周囲の婦人たちの噂話も止んでいった。

「それなら良かったわ。私婚約者と挨拶回りに行かねばなりませんので、これで。あとでニューヤド伯爵閣下にもご挨拶いたしますわ」

「ええ」


 リリアナが去った後、ミューズは一通り挨拶を済ませると壁際でシャンパンに口を付けながら大広間の様子を眺めていた。30分程そうしていたが、ミューズに声を掛ける者は誰一人としていない。セントル公爵ほどではないが21歳になってパートナーの一人もいないミューズもまた触れにくい存在のようであった。

(こうやって人間の観察をしながら色々な物語を作ってのみ生きていければ……)

 鬱屈とした気分を紛らわそうと、皇城内を歩き回る。年季の入った柱や床だが、丁寧な修繕が施されている。

 皇城はかつてこの国の政務を行っていた場所で、現皇帝の祖父が皇帝一族の住居とした。現皇帝の祖父は100年前、内戦で荒廃し機能不全に陥ったこの国を立て直した立役者だ。

 その後政務を行う場所は城下に移され、それまで貴族のみ行っていた政治や国務には優秀な労働者階級の登用が始められた。

 そんな歴史ある皇城の大広間を出て廊下を進むと、賑やかさは止み涼やかな風が通り抜けた。風を追って少し行くと、扉が開いていてバルコニーへと繋がっていた。

(少し頭を冷やそうかしら)

 バルコニーへと歩を進めたところで、廊下の角から2人組の男性が顔を出した。新調の高い男と、小太りの男で、ミューズと年齢はそう変わらないように見える。彼らはミューズを凝視すると、下品な笑みを漏らした。

「ビスクドールだ。珍しい」

「一回300マルクでどうだ?」

 マルクはサンパング国の通貨である。

「私は娼婦ではありませんよ」

 ミューズは毅然と言い返した。このようなことは幾度となくあった。「穢れたビスクドール」と呼ばれ、疎まれる存在。それがミューズだった。

「見ろよ、顔色一つ変わんねえ。やっぱりビスクドールだ」

「穢れたくせに。一丁前にお高くとまりやがって。300マルクは分不相応だな」

 二人はさらに好奇の目で近寄ってくる。ミューズは彼らを睨みつけながら二、三歩後ずさりした。

「なんの騒ぎだ」

 ミューズの背中に冷たい汗が滲んだ時、バルコニーの方から、よく通った声がした。

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