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第二話

 見ると、眉を寄せたセントル公爵が男性2人を見ていた。その目は静かだが、どことなく圧がある。

「なんでもありません」

「失礼致します」

 男性2人は慌てた様子で立ち去っていった。彼らは確か、下級貴族の者であっただろうか。

 セントル公爵は何も言わずにバルコニーへと戻って行った。ミューズは後を追った。バルコニーは少し肌寒く、夜風に彼のケープが揺れていた。

「ごきげんよう、セントル公爵さま。先ほどは助けていただきありがとうございます」

「ごきげんよう……ニューヤド伯爵令嬢、でしたよね?マーティンの妹君の」

 セントル公爵はゆっくりと振り返ると、ミューズに視線を合わせて尋ねた。

(そうだったわ、彼は兄さまと……)

「はい。いつも兄がお世話になっております」

 サンパング国の貴族子女はみな中央高等学園に通う。セントル公爵とミューズの兄マーティンは3年間クラスメイトだった。

「こちらこそ」

 学園は貴族だけでなく試験で選ばれた労働者階級の子女も無償で通い、貴族子女の殆どが学園で将来の伴侶に出会う。かつてはセントル公爵にもそのような相手がいたはずだ。しかし今はどの令嬢からも結婚相手として敬遠されている。ミューズの知らない間に、一体何があったのだろうか。

「立ち入ったことを聞きますが、ミューズ嬢は結婚相手をお探しなのですか」

「え?」

「今まで、パーティーの類はすぐにお帰りになっていたので」

 ミューズは返答に困った。探していることは探しているが、一般的な女性のそれとは意味が少し違う。

「貴族の務め、というものです。私の場合は兄がおりますから家を継ぐというよりは、他の家を継ぐための要員にならねばなりません」

 サンパング国の貴族家は、爵位を継ぐのは特例を除き第一子と決まっている。男性であれば妻を、女性であれば夫を迎え、子が誕生すればその子が次の跡取りとなる。もし子どもが生まれなければきょうだいの子が次の跡取りとなる。

 また、以前は貴族家同士の見合いが主流だった結婚は、貴族階級と労働者階級の交流が増え個人の自由が尊重されるようになったことで恋愛結婚が主流である。貴族子女と労働者階級の者が結婚することもある。ただし、皇家と公爵家の跡継ぎは貴族家子女としか結婚できないと法で定められている。

 この国の貴族の結婚制度は、旧来の血統主義と革新的な個人の自由を両立させていた。

 ミューズは他の貴族家の跡継ぎ、もしくは兄の子に万が一の事態があった際の子を産まなくてはいけない。そしてセントル公爵は姉が皇太子妃となり弟妹もいない今、貴族令嬢と婚約し子どもをもうけなければならない。

 それが二人の貴族としての義務であった。

「ミューズ嬢は結婚に前向きではないようですね」

 セントル公爵は柔らかにほほ笑んだ。世間では結婚に前向きでない貴族女性に対する目は厳しいものばかりだが、彼はそのような目を向けてくることはない。ミューズは不思議に思いながら遠い夜空の先へ目を向けた。

「私は作家になるという夢を追いたいのです。まるで違う世界に入ったような臨場感があって、楽しく心温まる小説や劇の台本を書きたいと。だから、結婚にはあまり興味がありません。ですが、まずは義務を果たすべきですから」

 それはミューズの夢と母キャロンの意見、そして貴族社会の不文律を加味した、極めて現実的な本心だった。

「それは難儀な……」

「失礼ですが、セントル公爵は令嬢の間であれこれと言われていらっしゃいますが、大丈夫なのでしょうか」

(私の心配よりも、公爵様の方が事態は深刻じゃない)

「……大丈夫、ではありませんね。言われること自体はもう慣れたものですが……」

セントル公爵は月を見上げて溜息を吐いた。月明りに照らされてセントル公爵の肌はいっそう白く見えた。

「『何故?』と言いたげな顔ですね」

 セントル公爵は少しだけ口角を上げ、両肘をバルコニーの手すりに置いて体重をかけた。ミューズもまた左隣に並び、同じようにした。

「私がこのような未熟な年齢で公爵位についている理由は知っていますよね」

「……はい。この度はご愁傷様でございます」

 前セントル公爵夫妻は一か月前に夫婦で先の戦争で併合した旧隣国の外地に赴き、公務の際に亡くなった。今日の皇帝誕生日のパーティーも忌中のため規模を縮小されていた。

セントル公爵家は国の福祉を担っており、激戦を繰り広げた外地の貧民や子どもたちへの支援に向け、保護施設の視察をしている最中の出来事だった。

「私と結婚した場合、いきなり10人の孤児の母代わりとならなければなりません。令嬢方はそれを避けたいのでしょう。私の職は出張がとても多いというのも懸念点ではあるのでしょうが」

 前公爵夫妻は公務の派生として定期的に孤児院や子供の福祉施設から、恵まれない子を公爵邸で受け入れ、孤児たちの父母代わりとなっていた。そして夫妻が亡くなったことでセントル公爵が父親代わりを継いだことになる。

(夫人になるメリットが少なく、負担があまりにも大きいのね)

 貴族も恋愛結婚が主流といえども、皆ある程度自分のメリット・デメリットを気にして交際相手を選ぶものだ。ただ出会うのは貴族家の子女か厳正な試験を突破した人間ばかりであるため、可視化されにくい無意識の領域にある。所詮、労働者階級と結婚するようになったとは言っても、それは「貴族の認めた優秀な労働者階級」に限られた話なのである。

 貴族階級の人間には、孤児は「汚らしいもの」という価値観を持つ者が多くいる。そして、セントル家では引き取った孤児の面倒を使用人に一任するのではなく、共に食事をとり本当の子のように育てている。

 「『汚らわしいもの』と生活なんてしたくない」というのが令嬢たちの本音だ。仮に令嬢が良くとも、その両親が許さない。

 学園では公爵令息という地位と、整った容姿で密かに人気を集めていた彼は、いまや『できれば結婚したくない男性』として不名誉なレッテルを貼られてしまった。

 そんなセントル公爵の話に、ミューズは眉をひそめた。

(子どもたちが、まるで厄介者みたいじゃない。望んで孤児になったわけじゃないだろうに)

 考えれば考えるほど、腹立たしくなる。

「それで、ミューズ嬢はどんな方をお求めなのですか?」

(……ん?)

 想定外の質問に思わず右隣に顔を向けると、セントル公爵と視線がぶつかる。その目は純粋な好奇心か、ミューズから視線を逸らそうとしない。

「私のツテで良ければ紹介しますよ」

「あ、ああ……。そう、そうですね、夢を追うことに反対しない方であれば誰でも。それから、あまり接触を求めてこない方とか。恋愛結婚をするつもりはないので……」

 ミューズは自分で言っておきながら夢がない、と思った。作家になりたいという夢だけは空想の世界とも思える程に夢をみるというのに、こと自分の恋愛や結婚に関しては夢を見ることができない。

「他には?」

「他ですか?貴族でも労働者階級でも良いですし……。あ、」

 先ほどから突き刺さる視線の方へ改めて向き直る。そして右手をセントル公爵の頬に触れるか触れないかの所まで伸ばす。改めてよく見てみれば、通った鼻筋によく光を取り込む瞳、薄い唇は男くささよりも儚さを感じる。月の光がよく似合うな、とミューズ口角を上げた。

(不思議ね。彼はあまり怖くない)

「セントル公爵のように見目麗しい方であれば、より良いかもしれませんね」

ミューズは内心穏やかだった。むしろ、こんなことをしても心一つ揺れない自分に嫌気すら差していた。

「では」

 セントル公爵は伸ばされたミューズの手首を軽く掴む。振りほどけない強さではないが、それを振りほどくのも野暮と思い次の言葉を待つ。

「私ではどうですか?」

「え?」

 軽く動揺するミューズに、セントル公爵は掴んだ手首はそのままに腰を屈めて視線を合わせる。幼い子どもに話しかけるような、そんな顔をして。

「私と結婚しませんか?」

 セントル公爵は掴んでいた手を離した。その時はじめて心臓の奥がざわめきをあげていたことにミューズは気づいた。

「もちろん、これは正式な求婚ではありません。ですが、私であれば貴女が夢を追うことに異を唱えませんし、私とは必要最低限の接触で構いません」

 ミューズは触れていた右手を見つめる。公爵の手は存外暖かかったな、と思える程度には気持ちは落ち着いていた。

「お言葉ですが、私には10人もの子の母に到底なれるとは思いません」

(物語を書く時間なんて取れそうにないし)

 人を好きにもなれない、「穢れたビスクドール」と呼ばれ母親の資格などない自分が、血の繋がりすらもない子の母親役ができるのだろうか。そう、ミューズは思った。

「子どもたちは皆学園に通っています。マナーや教養の類は公爵家の教育係が全て担います。母の役割と言っても、朝晩の食事を子供たちと共にして、たまに相談に乗ってあげるだけで良いんです。社交への参加も最低限で構いません。当然『母親』という役割は、貴女にとって思い出したくもないことを思い出させてしまうかもしれませんが……」

 ミューズの心を読んだかのように、公爵はそう付け足した。

(確かに、条件は悪くない。でも……)

「セントル公爵は恋愛結婚をしたくないのですか?学園では恋仲の女性がいらっしゃいましたよね?」

 一定数の人気を誇っていたセントル公爵だが、彼には自他ともに認める仲の女性がいて、高等学園卒業後には婚約したという話も流れていた。

「彼女は……婚約後に一か月我が家で過ごしたのですが、その時に心の病を患ってしまい破談になりました。そして両親が亡くなった今、これが義務ですから。ミューズ嬢と同じです」

セントル公爵は胸ポケットから懐中時計を取り出し時間を確認する。そして一枚の紙を取り出し、万年筆を滑らせミューズに手渡した。

「少し考えてみてください。私の部屋に直通する電話番号です。思うことがあれば掛けてきてください。両親の忌が明けるまであと20日ほどありますから、その後に返事を聞かせてください」

 そう言ってセントル公爵は去って行った。

(随分と条件のいい話が舞い込んだものね)

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