もっと魔力の消費を抑えて空は飛べないか?すぐにでも試したくて私はまた魔力を動かし始めるが、すぐにバティンに止められた。
「思いついたことをすぐに試すその実行力は大変素晴らしいですが、このままここで試すと次こそ天井に穴が空いてしまいそうです。今からお祈りで魔力も使いますし、また今度にいたしましょう」
そうだった、本来の目的を忘れていた。バティンに促され歩き始める。みな早足で移動するので私とムルムルだけ駆け足に近くなる。
早足なのって私が他に気を取られないようにだよね?
申し訳ねぇと心の中で謝っておく。
祈りの間はすぐそこだった。
「待機室の中に入れるのは祈りの間に入る者の側仕えと護衛が1人ずつです。残りの護衛は部屋の外で待機してください」
バティンがそう言うと、バティンの側近は早々に部屋に戻っていった。
私も指示を出さなくてはならない。側仕えと護衛が1人ずつなので、ムルムルだけ部屋に戻ってもらうことになる。
「わたくしはお部屋でお茶を用意してお待ちしております」
「ムルムルに任せます」
さっと自分の役割を把握して動くムルムルに感嘆する。1つ上の7歳でここまで動けるのなら事前に受けた1年の訓練とはどれだけ厳しい指導だったのだろう。私も1年後にはこうなっていたいなと思った。
バティンたち6人を残し、部屋の扉が閉じられた。
「ハーゲンティ、こちらへ」
部屋の奥の衝立へ向かう。この先に祈りの間があるという記憶はある。私はトラウマになっていないかなと実は部屋に入る直前まで不安があった。しかし平気だ。衝立をぐるっと周り扉の前に立っても特別心は乱れない。生まれ変わりではなく乗っ取りの可能性が増していく。
この身体をもらったからには、絶対ザブナッケをギャフンと言わせてやるからな。期待して待ってなよ。
答えが出ない、それだけは分かっている。ならこれ以上ハーゲンティの身体を奪ってしまったと罪悪感を抱いて自らの首を絞めても何にもならない。前向き?に生きよう。
バティンが祈りの間へ入り、私もそれに続く。
祈りの間は記憶の中と変わらず真っ白で真ん中にギルティネ様の像があるだけ。ギルティネ様の像を下からゆっくり見上げと、その手に領地の色である黄色の本が握られていた。
「本、が、え?」
ドクン
私はバッと自分の胸を押さえる。
ドクン ドクン
大丈夫だ。私の心臓はちゃんと動いている。
ちらりとバティンの顔を見るが、特に変わった様子はない。マルティムたちの話でもギルティネ様の像は黄色の本を抱えていると言っていた。ならこれが本来の姿。ファルファレルロの赤い本はどこから出てきたのだろう。まさか、本当にギルティネ様のお導きがあってファルファレルロと出会った?そんな運命のイタズラいらないんだけど。
私は顔を引き攣らせたままバティンに手を引かれ、像の前まで連れて行かれる。だがバティンは像ではなく私の方を向いて膝たちになった。
「ハーゲンティ、お祈りの前に一つ約束してください」
「なんでしょうか」
バティンが私の両手を取る。
「飛ぶ練習はまだ行ってはなりません」
やだ。
私は即答しかけたが飲み込む。バティンは「まだ」と言ったのだ。
「お母様、いつまででしょうか。いつまで我慢すれば良いのでしょう」
「騎士団との魔法の基礎訓練が終わるまでです」
まだ始まってすらいない騎士の訓練。私としてはアレもコレも我慢しているようなものだというのに、さらに我慢するようにと言われるとちょっと苦しい。
「ハーゲンティ、今日からわたくしと一緒に祓詞と魔力を大きく動かす練習を始めます。来週からは騎士団と呪文と魔力を小さく動かす練習を始めます」
バティンが説明をしてくれて気がついた。私は魔法の基礎が何一つできていないのに、いきなり応用をやろうとしていたのだ。止められることに納得した。
「分かりました。基礎をきちんと習得してからということですね。我慢します」
「理解してくれたのなら問題ありません」
バティンは立ち上がって私の手を離した。
「お祈りを始めましょう。足元をよくご覧、ギルティネ様を囲むように祓詞が刻まれています」
パッと見はわからない。じっと見つめていると違和感があり、その違和感に気づくと魔法陣のようなものがハッキリ見えるようになった。
「わぁ」
黄色で淡く光る魔法陣は、帰敬式で贈られた扇に彫られたギルティネ様の紋様と似ている。似ていると表現したのは、中央に像が置かれて見えないことと、その紋様を何重にも囲むように文字が並んでいるからだ。祓詞が刻まれているとバティンが言っていたが、その文字は崩してあるようで読みづらい。先ほどまで心臓が止まるのではないかとドキドキしていたが、魔法陣への驚きと感動で負の感情は吹き飛んだ。
「祈りの間で使う祓詞は2つ。どちらも口伝を徹底しております。絶対に紙や木札に書き残してはいけません。これは建国時に聖獣様たちと交わした約束事の1つです」
そう言ってバティンはさらに1歩進み、魔法陣のフチギリギリ手前に立って両手を合わせた。
「まず最初に物見塔(ものみのとう)を呼び出す祓詞の奏上からです」
バティンが大きく息を吸った。
「掛けまくも畏(かしこ)き七柱の聖獣等(たち) 諸々の禍事 罪 穢 有らむをば 祓え給え清め給えと 白(もう)す事を聞食(きこしめ)せと 恐(かしこ)み恐みも白す」
朗々と諳んじる。いつもはお淑やかでやや声の小さなバティンだが、今は少し大きめでハリのある声だ。一音一音、口から出るたびに空気が震えるように感じる。
お母様の歌、聞いてみたいな。
私が関係ないことを考えていたら魔法陣の光が一瞬だけ強くなり、7本の柱だろうか、床からズズズと這い出てきた。柱のようなものは私の身長よりやや高いくらいで止まった。
「これが物見塔です。7つあり、それぞれの聖獣様の色を纏った魔石が埋め込まれています」
バティンが抱き上げてくれて、近くの2つを見せてくれた。像の目の前の塔には黄色の魔石が埋め込まれ、その左隣の塔には白い魔石が埋め込まれていた。
「1人で祈りの間へ入る時はこの黄色の魔石の物見塔を使います。今日は2人なのでハーゲンティは白色の魔石の物見塔を使ってください」
私は白色の魔石が埋め込まれた塔の前に降ろされる。すると、塔が少し下がって私にちょうどいい高さになった。どうして?すごい!ふしぎ!こんなことが当たり前に起こる世界。早く慣れなきゃと思うが目の前に漫画や映画の世界が広がっているのだ、どうしてもワクワクが勝ってしまう。
「お母様、物見塔が7つということは、最大7人までこの部屋に入れるということですか?」
「ええ、その通りです。では、魔石の上に両手を置いてください」
指示され、私はそっと両手を白い魔石の上に置いた。
「今から結界へ魔力を共有するための祓詞を奏上します。とても長いので、今日は聴いていてください。次回からは復唱しましょうね」
「かしこまりました」
バティンは大きく息を吸った。
「息災延命のためにとて 金光明の寿量品 ときおきたまへるみのりなり」
物見塔の魔石に少しずつ魔力を吸い出され始めた。
「七柱の聖獣は 国土人民(にんみん)をあはれみて 七難消滅には 魔法の呪文をとなふべし
一切の功徳にすぐれたる 魔法の呪文をとなふれば 三世の重障みなながら かならず転じて軽微(きょうみ)なり
魔法の呪文をとなふれば リョースアールヴことごとく よるひるつねにまもるなり
魔法の呪文をとなふれば よるひるつねにまもりつつ デックアールヴをちかづけず
魔法の呪文をとなふれば かげとかたちのごとくにて よるひるつねにまもるなり
魔法の呪文をとなふれば 木(もく)のオルフィドン尊敬(そんきょう)し よるひるつねにまもるなり
魔法の呪文をとなふれば 火のカシチェイ尊敬し よるひるつねにまもるなり
魔法の呪文をとなふれば 土のギルティネ尊敬し よるひるつねにまもるなり
魔法の呪文をとなふれば 金(ごん)のクルセドラ尊敬し よるひるつねにまもるなり
魔法の呪文をとなふれば 水のサルカニー尊敬し よるひるつねにまもるなり
魔法の呪文をとなふれば 闇のヴェルニアスのみまへにて まもらんとこそちかひしか
アルラディのひかりには 無数のリョースアールヴましまして 化身おのおのことごとく 真実信心をまもるなり
魔法の呪文をとなふれば 七柱の聖獣は 百重千重圍繞(いにょう)して よろこびまもりたまふなり」
それにしてもバティンのこの声には惚れぼれする。この長い祓詞を最後まで聞けたのは間違いなくバティンが唱えていたからだ。
「もう手を離して大丈夫ですよ」
バティンに声をかけられハッとする。手を離すと魔石が光っているのが確認できた。もう用は無いとでも言いたげに全ての物見塔が床の中に戻っていく。
「体調は変わりありませんか?正しい手順で祈ったので、魔力の消費はそこまで多く無いとは思いますが」
帰敬式の時に私が魔力枯渇で倒れたので心配しているのだろう。「大丈夫です」と笑顔を返す。
「お母様、祓詞が長すぎて、一度で覚えられません」
「わたくしも嫁いだ最初の課題が祓詞で、大変苦労した覚えがあります」
ふふふ、とバティンが笑う。
「他に何か疑問点はありますか?」
「あの、祈りにはあまり関係のないことでも質問してよろしいでしょうか?」
気が引けるなー、でも歌のこと知りたいんだもーん。
「もちろんです、なんでしょう」
バティンが許可を出してくれたので、私は開き直って聞いてみる。
「お母様の歌を聞いてみたいです。祓詞を唱えている時の声がとても素敵でした」
「ありがとうハーゲンティ。あなたは歌に興味があるのですね」
バティンが視線を外して少し考える。
「芸術も貴族の嗜みの一つです。入学までに楽器の一つでも覚えられれば良いと後回しにしていましたが、教師役のできる式部官を早めに探しましょう」
芸術のお仕事、式部官。そんな仕事があるなら私が今すぐ就きたいと目をギラギラさせる。
「お母様、舞踊は貴族の嗜みに入りますか?」
バナナはオヤツに入りますか?みたいな聞き方になってしまった。だが、芸術の仕事があるのなら、私は絶対に確認しておかなければならない。
「もちろんです」
バティンが肯定してくれた。私は飛び跳ねて喜びたいのを我慢する。
「そういえば、カシモラルからハーゲンティは身体を動かすのが好きだと報告がありましたね。舞踊の式部官も探しておきましょう」
「やったー!」
しまった。嬉しさが我慢の限界を超え、素が出てしまった。私はバンザイした手をゆっくりとおろす。
バティンが小さく息を一つ吐いてからゆっくりこちらに近づいてくる。これは怒られるかもしれない。そう思ってぎゅっと両目をつむる。
バティンは怒ったりせず、優しく私の髪を撫でる。なんだろうと思い顔を上げると、愛おしそうな眩しいようなそんな表情でこちらを見ていた。
「な、なんでしょうか?」
私の目が泳ぐ。
「……ずっと、こうしたかった」
バティンが私の頭の上に手を置き、元の弱々しい声に戻って話す。
「生後半年も経たず引き離され教育にも関われず、今のように感情が見える会話なんてもってのほか。ずっと謝りたかったのです。力無き母でごめんなさい」
バティンの今にも泣きそうな声につられて私の目が少し潤む。そこから先日のお茶会含め第二夫人を止められなかったことや、ザブナッケの強行に気づかなかったことなどたくさん謝られた。
「いいえ、そんなことよりも」
バティンが私を抱き寄せる。
「愛しているわ、ハーゲンティ」
私はハーゲンティの記憶を探る。家族としての触れ合いは無く、何かにつけて隔離され続けた。それはバティンにとっても同じだったのだ。きっとこの6年、バティンは渡せない愛をずっと抱えていた。薄情者な私は残念なことに抱きしめられてもちっとも情すら湧かないし、私にとって家族はまゆりの家族だ。『母』と呼んではいるが、私にとってバティンは貴族としてのお手本に近い。きっとこれから先もそうだろう。だからこのように接せられると心の距離のズレに気持ち悪さを感じる。
しかし今のハーゲンティの中身はまゆりで、大人で、バティンが欲している言葉がわかってしまう。この先も気持ちよく『お手本』でいてもらいたい私はそっとバティンを抱きしめ返し、
「わたくしもです。愛しています、お母様」
心にもない言葉を笑顔で吐いた。