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第一話 夢みるリビィと約束の日

「リビィ、エリザベス=ウォルスング?」

「何? アン、アナベル=メイザー」

 友人に名前を呼ばれてリビィことエリザベス=ウォルスングは振り返った。

 ちょうど最後の授業が終わり、教室を出たところだと。石造りの校舎の影に午後の日差しが差し込み、二人の影を覆った。

「ねえねえ、あんた、今期もまたテストがトップらしいじゃない?」

「そうだった?」

 さしてその事実には興味なさげに足を止めることなくリビィが歩いて行く。アンはそれを追いかけつつ、話を振り続けた。

「あんたっていっつもそんなに勉強ばっかしてどうするの? そのわりに結果を気にしないし」

「あら、勉強ばかりでもないわ。それにまだまだ足りないもの」

「まだって……いったい何、目指してるの?」

 アンは訝しんでそう尋ねるが、リビィは少し考えてから答える。

「うーん、そうね、自分にできる限りのことはしたいのよね」

「えー、今、出来ること、目一杯やってるじゃないさ」

「そう見える?」

「私にはそう見えるね」

「私が知り得ることを全部知りたいって思ってるだけよ」

「ふうん、リビィって実に欲張りだよねえ。その割に夢みるリビィDreaming Libbyって言われてるのも不思議だけど」

 それは彼女が幼いころに付けられたあだ名だが、今もそう呼ぶ人たちはいる。その理由は至極簡単、彼女の話すことが夢物語そのものだと言われたからだ。

 特に幼馴染みたちには馬鹿にされ、ひどく傷付いたものだ。けれどそれも今は昔の話。

「それについても否定しないわ。どうせ誰も信じないし」

 アンはその言葉に引っかかったらしくリビィの顔を覗き込む。

「信じないって何が?」

「さあね」

 リビィはそう言い、苦笑いを浮かべた。

 セカンダリースクールからの友人であるアンではあるが、まだすべてを話せてはいない。信頼の置ける人物だと思ってはいるが、それでも幼いころに体験した不思議な話はそう簡単には打ち明けられなかった。

「いつもそうやって誤魔化すんだから。あ、そういえば来月はリビィの誕生日ね。何が欲しい? 夏休みだけど、私どうせ寮にいるから会いに行くし」

 この手の会話になるとリビィが殻にこもってしまうので慌ててアンは話題を変えたのだ。アンとしてはリビィをとても好ましく思っているし、相手もそう思っていると感じている。

 何か秘密があるのは分かっているけれど、それを追求するのは野暮である。誰にだって人に言えない秘密くらい、一つや二つ持っているのだから。

「特にいらないわ。きっと今年は特別な日になるはずだから」

「特別な日? 誕生日は確かに特別だけど」

「やっと十六歳になれるの。それが嬉しいだけよ」

「ずっと待ってたみたいに言うのね」

「その通りよ、アン。私はずっと待っていたんだもの」

 リビィは万感の思いを込めてそう答える。誰よりも待っていた日が来るのだ。それは心躍るし、心配にもなる。

 約束は必ず守られると思うからこその不安。

「それにしてもさ、リビィならスキップ出来たんじゃないの?」

 アンは彼女の努力を側で見てきたので知っているが、並大抵ではないものがそこにはあった。知識の幅、深さともに妥協がないのだ。

 だからこそアンとしてはリビィがそこまで勉強が好きならカレッジを飛ばしてユニバーシティまで行っちゃえるでしょうにと思うからだ。

「私は普通でいたいからそれでいいの」

 実際、そんな話は何回も来たが、リビィは受け入れなかったし、家族も理解してくれた。

「普通ねえ」

「大事なことでしょ、それって」

「まあ、確かに」

 リビィは優等生であるが、そういう意味では目立ってはいない。彼女は常に普通であろうと努力しているとアンにも見えるし、周りもそう見ていた。

「木に登りたいなあ」

 ちらりと学校の窓から見られる大きな木を眺めながらリビィはそう言った。

「なあによ、突然」

「小さいころはあんなに簡単だったことが出来なくなるって少し寂しくない?」

「そりゃあね。でも大人になるってそう言うことかもしれないし?」

 まだ自分たちだって子どもと言っていい年代だが、それでも幼い子どものころのようにはいかない。

「そういえばまた男子から告白されたって聞いたけど?」

 普通といいながらもリビィはかなりの美少女だ。それ故に男子からもてている。何処か神秘的に見える風貌も手伝うのだろう。

「んー、そうね。断ったけど」

「つれない返事ね」

「だって私はもう決めてるの」

「決めてる人がいるってこと?」

「そう、小さいころからずっと待ってるの」

「……リビィはたまに消えちゃうそうなこと言うね」

「もしそうなったらアンは直ぐ忘れちゃうかな?」

「忘れるわけないでしょ!」

 確かにアンはこの街に引っ越してきてリビィと出会ったので他の生徒たちよりも当然一緒にいる年月は短いのだが、それは関係ない。

 彼女がもしいなくなったとしたらとても悲しいし、忘れることだってありはしない。アンにとっては間違いなくリビィという少女は親友と呼べる存在だった。

「有り難う、アン」

 そんな会話を続けていると、前から一人の男子学生が歩いてくるのが見えた。その途端、リビィがは眉をひそめたのをアンは見逃さない。

「よう、リビィ」

「ご機嫌よう、トム」

 知り合いに対して言う挨拶では明らかになかった。リビィは関わりを持ちたくないのだろうことが窺えた。

「まだ夢、語ってるのかよ。神の定めし秩序に逆らうような話は、俺には到底受け入れられないな」

 それを証明するようにトムは馬鹿にした様子を隠さずにそう言う。彼はリビィの幼馴染みでウォルスング家の隣に住んでいるソーン家の息子である。

 とは言え、リビィとはまったく馬が合わないので今や無視することが殆どだ。

 彼女にしてみれば話しても仕方ない相手。

 それがリビィのトムに対する認識だ。

 随分、小さいころには一緒に遊んだ記憶もあるのだが、リビィのファンタジーワールドの話をトムが一方的に馬鹿にした時からそれも無くなった。

 信仰する神様は一人だけ、そんなのは有り得ない、お前の父親の嘘八百の作り話を真に受けたらそんなになるのかと大笑いしながら彼は言ったのだ。

 あの日のことをリビィは絶対に忘れない。

 何故なら彼女にとって大切な想い出に泥を塗ってくれたから。

 それと同時に彼女の経験を誰彼に話していいことではないことも学んだ。大事なものは隠しておかないとって何かの歌でもあったなと改めてリビィは思い出す。

「お前が優等生だって? 学年一番とか嘘だろう? カンニングでもしたのかよ。我が主はちゃんと見てるんだぞ? 分かってるのか?」

 信心深さを押し付けながらもリビィを心から馬鹿にしている言葉だ。いつでもこうしてリビィに絡んではろくでもない言葉を投げつけてくるのだ。

 リビィが仮面を被る羽目になったのは間違いなくこいつのせいだろうとアンは思う。

「そんな馬鹿な真似はしないわね」

 ため息交じりにリビィがそう言えば、トムは更にその顔を歪めて嘲笑った。

「そんなの、お得意の馬鹿話でもして気を惹いたとかじゃねえの? まったく神様に刃向うことしか考えてないヤツはろくでもないな」

「あら、そんなことして誰が喜ぶのかしらね」

 かつて本当に軽く話した程度ではあったのだが、それでも真っ向から否定する彼の態度はリビィにはとって許しがたいものがあり、相容れないと理解している。

「煩いわよ、トーマス=ソーン!」

「何だよ、お前こそ煩いぞ、アナベル=メイザー」

 アンはこんなのを相手にする必要はなしとばかりに二人の間に入るとリビィの腕を引き、歩き出した。

「行きましょ、リビィ。本当の馬鹿を相手にしても仕方ないわ」

「な、何だと?! 不道徳の極みが!!」

 トムがなおをも叫んでいたが、アンは無視してリビィを連れて行く。真っ向から相手にするほどの価値がないと思ったからだ。

 しかもこのやりとりは一回二回ではない。

 トムはいつでも攻撃的で、リビィを貶めようとしてきた。幼いころの出来事が起因らしいが、それなら構わなければいいのだ。だというのに執拗にトムはリビィを追い詰めようとする。それがアンには気に入らない。

「アンはいつもはっきり言うわね。でも有り難う」

 少しリビィは驚きつつも感心した響きでアンにお礼を述べた。彼女はどんな時にも怯まない。それはリビィにとっては救いでもあるし、懐かしさも感じた。

 私も本当ならそうしたい。

 それはいつも思っていることだが、それでも彼女の目的を果たすためには難しいことだ。

「だって事実だし」

 そう言ってのける友人に頼もしさを感じながら、ふいに呟いてみた。

「……あなたになら話せるのかもしれないわね」

 それは無意識の言葉、アンにとっては待ち望んでいた言葉である。

「ね、それってもしかしてリビィの大事な秘密?」

「そう、私の一番の秘密」

「是非とも聞きたいし、知りたいわね」

「あなたも変人の仲間入りかもよ? それとも逆に離れちゃうかも」

 話すことにやはり躊躇いがある。何しろこの世界ではあまりにも非現実的な出来事だからだ。

「あなたが何を言っても私は信じるわよ」

 アンは胸を張り、はっきりを頷いた。

「それなら私の家に来る?」

「リビィの? いいわね、あなたの家、大好きだもの」

 何度となく訪れているウォルスング家はアンにとっては素敵な場所だった。美しい庭、手入れの行き届いた家、何よりも優しい家族。

 どれもアンにとっては嫌いになる要素なんて一つもないどころか、好きになることしか出来ない。

 絵本作家のお父さんに家事全般得意なお母さん、それに可愛い弟もいる。

 とっくの昔に両親が離婚してしまっているアンにしてみれば大変、羨ましい環境だ。

「最初に言っておくわね」

「うん?」

「私はね、王子様を待っているの」

 それは突拍子もない言葉に思えたが、リビィの表情はいたって真剣だった。

「王子様って、いわゆる王子様?」

 とりあえず自分の持ちうる知識の中から絞り出して、なおかつ相手に不信を持たせないように心がけてアンはそう尋ねる。

「そう、王子様よ。それもこの世界のじゃないわ」

「この世界じゃない?」

「ねえ、私たちが知らない世界があるとしたらどうする? アン」

「面白そうだと思うわね」

「あなたらしい答えね。まるで私の小さいころみたい」

「へえ、今のリビィからは想像つかないけど」

「今はね、目立たないようにしてるだけ」

「どうして?」

「そうでないとトムみたいなのが煩いのよ」

 それはかつての経験から学んだことだ。幾ら本当のことであっても信じない相手には通用しない。

「リビィのあのあだ名の由来に関係するとか?」

「その通り」

 リビィを『夢みるリビィ』と呼んだのはトムが最初であり、広めたのも彼だ。おかしなことを言っているのだから当然と彼はうそぶいたものだ。

「昔、私はアンみたいにお転婆だったのよ。だけどそれだと余分な噂や邪魔も入ってくるから」

 彼女としてはずっとありのままでいたかったが、それをすれば周囲との軋轢が生まれ、家族にも迷惑をかけてしまうのでリビィは文句を言われない術を学ぶことにした。それが優等生という仮面だ。

 それがあれば大概のことは黙認されるし、深く突っ込まれることもない。

 実際に成績優秀のお陰で教師たちからの評価も高いので、トムが幾ら煽っても効果は少なくなっていった。

 それでも彼は止めないのだが。

 リビィのいらない最大の悩みだが、これはもうどうしようもないことなので諦めていた。

「それなら今もそうすればいいのに」

「もう直ぐそう出来るわね。パパとママも了解してくれているし」

「もしもリビィが何処かに行っちゃうなら寂しいわね」

 違う世界というのならリビィはこの世界からいなくなることを意味していることくらい、アンも理解している。

「あなたならきっと招待しても大丈夫そうだけど、残念ながらそれを決めるのは私じゃないのよ」

「なら、誰なの?」

「神様」

「我らが主よ?」

 アンが軽くアーメンの形を取るが、リビィは首を静かに振った。

「残念ながら違うわ。違う神様」

「へえ。まあ、私はそれほど信心深くないけど、そんなことを言ったら怒るのが出てきそうね」

「そう、だから私は仮面を被ることにしたの」

「優等生っていう?」

「うん、そうすれば心の内はともかく表立っては何も出来ないでしょ」

「トムみたいなのもいるじゃない」

「そうね、彼はいつもああだし、まあ、彼の家はイギリス国教会を信奉してるから当然とは言えるんだけどね。私の話は荒唐無稽で、なおかつ神に背く話だってね」

「うわー、コチコチに構ってる。分かってたけど。でもさ、リビィの話だとたくさんの神様がいるの、そこ?」

 リビィはアンの問いに頷いて、答えた。

「うん、日本Japanとかだと多神教ってあるんだけど、形としてはそれに近いわね。ケルト神話とかあるじゃない? イギリスにも。あんな感じかな」

「そうね、どっちかと言えばあっちの方が私、好きだからリビィの言う世界にも馴染めそう」

 トムの信奉する唯一の神様に誓った愛なんて幻想だとアンは思う。勿論、それに従う人もいるが、少なくとも彼女の親はそれに背いて別れている。

 だからリビィの言う世界に興味がとても湧いた。

「その王子様が迎えに来るのが誕生日ってこと?」

「そう、その予定なの」

 にこやかにリビィは微笑み、その仕草がとても綺麗だとアンは思った。彼女は心から王子様との再会を望み、信じているのだ。

「ますます興味が湧いちゃった! ねえ、寮長に直談判してくるからリビィの家に泊まらせてくれない? ちょうど週末だしさ」

「アンは物好きね。そうね、許可が出たらいいわよ。うちはいつだってアンは歓迎だし」

 リビィはそう了承し、アンは素早く寮長の元へと馳せ参じるのだった。

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