リビィの家は二人の通う学校からほど近い場所にある。
レンガ建ての家で、前庭には季節の花が賑わっており、奥には林檎の木やスグリの木も見えた。
「私たちの学校ってパパが通ってた学校なのよ」
リビィが学校に進む際にはかなり慎重に父母は選んでくれ、その結果、父も通っていた学校に決まった経緯がある。
リビィは性格的に自由で奔放なところがあったので、それを理解してくれる教師がいるところを選ぶ方がよいと母が言い、父もそれを肯定した。
「へえ、そうなのね。まあ、確かにわりかし自由なところは気に入ってるけど」
「本当にね」
そんな会話をしつつ、リビィはアンを連れて家に戻って来た。
いつも通りに門を開ければ、愛犬二匹がお出迎えしてくれる。
「ゾンネ、モント」
父がドイツ語で『太陽』と『月』と名付けた犬たちはリビィには勿論、アンにも愛想がよかった。
「いつもながら愛想いいわねえ」
「人が大好きなのよ、この子たち。一番はエドだけど」
「そうね、エドには特別可愛い仕草見せるもんね」
「そうなのよね。でも可愛い子たちよ」
くすくすとリビィは微笑い、アンもつられて微笑う。
「さあ、入って。ママには知らせてあるから大丈夫」
玄関へ至る小径を行けば、玄関のドアがあり、ドアベルが高らかに鳴った。
「ただいま! アンも一緒だよ」
リビィは家族に向かってそう呼びかけると、リビングから眼鏡をかけた少年が出てくる。
年の頃は明らかにリビィよりも下であり、あどけない笑顔が愛らしい。
「お姉ちゃん、おかえりなさい」
「ただいま、エド。アンにも挨拶して」
「こんにちは、アン」
「こんにちは、エド。相変わらず本が好きみたいね」
「本は楽しいからね。アンも読めば分かるよ」
「気が向いたらね」
リビィはそんな会話を眺めつつ、キッチンにいるだろう母に帰宅と友人の来訪を伝えに行く。
「ママ、ただいま。お茶をお願いしてもいい?」
「おかえり、リビィ。ちょうど用意が出来たところよ」
「ママっていつも不思議よね。確かに連絡を先に入れておいたけど、こんなにもぴったりお茶を淹れられるんだもの」
今の時代、スマホ一つで連絡は取れるが、それにしても母の勘の鋭さは並大抵ではないとリビィは思う。
「そう? たまたまよ」
母ミラベルはそう微笑い、人数分のカップを用意していく。
「いい匂いだね。ミラの入れる紅茶は世界一だからね」
「あら、ショーン、そんなふうにおだてても何も出ないわよ」
仲のよい両親を眺めながらリビィは問いかけた。
この答えは必ず欲しいものだからしっかりと二人を見つめる。
「ねえ、パパ、ママ。一つ聞いてもいい?」
「どうしたの?」
「リビィの大事な『約束』についての話かな?」
「うん、このままアンに話してもいいのかなって」
友人を家に呼んだのはいいが、最後の最後で少しリビィは悩んでいた。
「そうだね、お前が信じている相手だから構わないだろう。もう直ぐ夏休みに入るし、リビィがカレッジに上がるかどうかは分からないわけだしね」
「勉強は頑張ってきたと思うし、カレッジにも興味はあるけど、それよりも私……」
気持ちはとっくの昔に決まっている。
でも悩まないわけではないのだ。
「お前の気持ちはよく分かっているよ。なに、勉強は何処でも出来るし、僕たちはお前の意思を尊重するから」
父は朗らかにそう言い、母もそれに遭わせるように優しく頷いた。
「前から思っていたけど、パパもママも私の話を一度も否定したことないよね?」
それは昔からだったが、ことリビィの経験した不思議な話を笑いもしないし、ましてや馬鹿にしたことだって一度たりとてない。
自分の両親ながら変わっていると思う。
「ママの部屋で妖精さん、いることあるよね?」
「さあ、どうだったかしらね」
ミラベルはそう言い、お茶が冷める前に行きましょうとリビィを誘導した。
それ以上は今は語るつもりはないらしい。
「そうだね、せっかくの紅茶が冷めたら勿体ない」
ショーンもそれに賛同して、リビィをリビングへと向かわせるべく仕向けてきた。
恐らくは両親にも秘密があるのだろう。
それはリビィが経験した冒険と関わりがあることだ。
それはリビィが知りたいことの一つではある。
何度も聞いてみたことはあるのだが、やはり今のようにはぐらかされてしまう。
それでも知りたいと思う好奇心は消えない。
けれどそれは今ではないようだ。
それを理解して、リビィはアンとエドの待つリビングに向かうのだった。
‡ ‡ ‡
「リビィの部屋っていつもながら不思議な感じよね」
みんなでお茶をしてからリビィとアンはリビィの部屋に来ていた。
「ん?」
「異国情緒? であってるかな? 普通の部屋とちょっと違うっていうか、少なくとも私の部屋とは違うよね」
「普通の部屋だとは思うんだけど」
リビィとしてはさして変わった部屋ではないと思うが、勉強のものに関するものはそれなりにあるし、それと反比例するかのように幻想世界を描かれた絵を何枚も飾ってある。
そこには当然父が
パパみたいに絵が描けたらヴァーンの肖像画とか置けたのになあ。
その才能がなかったのがとても残念でならない。
そうしたらアンにも見せられたのに。
「なんて言うのかな、不思議な感じがするんだ。うん、まずはこの本の量! あんたの勉強家の表れ! エドの部屋もすごいけど、リビィも負けてないよね。 それにこのタペストリー! これってお母さんの刺繍なんだよね、すごいの一言! とっても臨場感があるしさ。あ、勿論、お父さんの絵もすごいよ! すっごくリアルで、そのくせ幻想的で。絵本も素敵だしね。何冊か読ませてもらったけど、どれも素敵な話だったし」
「そうだね、きっとママとパパは知ってる世界だからかな」
「知ってる?」
きょとんと言う顔をしたアンを見ながら、リビィは告白をするなら今だろうと判断した。
「ねえ、アン、この世界じゃない世界があるとしたらどう思う?」
「この世界じゃない世界?」
「そう、私たちのいるここではない、もう一つ別の世界があるとしたら?」
「へえ、それって面白いね!」
「本当にそう思う?」
「うん、だってロマンがあるじゃない? 私なんてさ、リビィと違って勉強も不得意だし、家族もあってないようなもんだし」
「行ったことがあるの」
「え?」
「私ね、その違う世界に行ったことがあるのよ」
それはリビィにとっては冒険だ。
何しろ相手がどう反応するのか分からない。
トムのように笑い飛ばしてくるだろうか、それとも頭がおかしいと思うだろうか。
そんなふうに考えていると心臓の鼓動が早くなり、相手の言葉が恐かった。
「すごい! すごいわ、リビィ!!」
しばらくの間の後でそんな声がした。
それは決して否定ではない響きだ。
「アン?」
「リビィ、その話が本当なら是非聞かせて! うん、聞きたいわ!」
「信じてくれるの……?」
「我が親友殿の言うことを疑うなんてないない」
にかっと笑い、アンは言葉を続けた。
「だいたいリビィがそんなことで嘘言わないなんて分かりきった話じゃない?」
それは当たり前のように紡がれた言葉で、彼女が嘘を言ってないことは火を見るよりも明らかだった。
「そっか、アンならそう言ってくれるって思ったけど、安心した」
彼女を信じてはいたが、それでも何処かで不安があったから安堵のため息は出る。
アンはその様子を見てリビィの手に自分の手をそっと重ねた。
「重大な決心を伝えてくれて有り難う、リビィ。とても嬉しいよ」
どんな思いで伝えようとしてくれたのかアンは理解したし、途轍もなく勇気がいっただろうことも分かっていた。
きっと家族以外には誰にも話していないことを私に話してくれているんだ!
それがアンにはとても嬉しかった。
「本当にそう思ってくれる?」
少し不安げに、でも嬉しそうにリビィが尋ねればアンは強く頷いた。
「もっちろん!」
その様子を見て決心したのだろう、リビィは静かに口を開く。
「このタペストリーの世界はね、想像ではないの。パパもママも言わないけど、私は知ってるの。この絵の中にあるすべてが本物であるってこと」
愛おしそうにタペストリーを撫でる。
これはリビィがファンタジーワールドから帰って来た後で作ってくれたもので森の国を表していた。
彼女が知らない場所まで詳細に描かれているあたり、母の不思議さが強調されるが、それについても答えてくれることは今までないままだ。
だが、リビィは確信している、恐らくは母の出身は……
そこまで考えているとアンが先を勧めて欲しそうに見つめてきていた。
「ねえねえ、本物ってことはこのペガサスとか、妖精とか?」
「うん、ペガサスにも妖精にも会ったことあるの」
「おお、なんと!!」
アンはリビィの語り出しだけで大分興奮している。
瞳をキラキラ輝かせて次の言葉を待っている様子がどうにも可愛らしかった。
あのときの自分を見てるみたい。
そんなふうにリビィは感じて、その時、気が付いた。
私も戻っていいんじゃないの?
私が私であれば――!
優等生である必要はもうなくなる!
あるがままの自分でいいんだと。
そんなことがとても嬉しかった。
「それでね、私、屋根裏部屋に秘密があるって思って、忍び込んだの。パパとママがいない時に」
「おー、やる! そうだね、こんな家だったら探検しない手はないもんね」
「そうなの、いつも怒られたりしてたけど、ずっとチャンスを狙っていて」
当時、屋根裏部屋に入ることが禁止されていたのだが、リビィはそんなことをされれば余計に入りたくなるものである。
だから父母と弟が出かける時を狙って、屋根裏部屋に入り込んだ。
今思えばなんてアクティブだったんだろう!
仮面を被っているうちにいつの間にやら自分の心を隠すことに慣れてしまっていたのかもしれない。
「今のリビィ、いいね」
そこに気が付いたらしいアンが親指をグッとサムズアップして、嬉しそうにそう言った。
「そう? そうだね、今の方が私らしいや」
ありのまま話せばいい。
アンは受け入れてくれるから。
そう信じることが心から出来た。
「屋根裏、入ったらいっぱいいろんなものがあったんだけど、惹かれたのがね、一枚の絵だったの」
「絵? お父さんの?」
「うん、きっとそう。パパははっきり言わないけどね。でも娘の私が間違えるわけないし」
「どんな絵だった?」
「見てみる?」
「あるの?」
「うん、ある。あの日だけ扉が開いた、あの絵」
あの後、何度も絵の側に行ったけれど、それがもう一度光ることはなかった。
きっと同じことが起きるのは誕生日が過ぎた後……
リビィは少なくともそう信じている。
「扉? へえ、聞いてるだけでも不思議そうだね」
「絵が光って、気が付いたら雲の上だったの」
「雲! あっちの世界だと雲に乗れるんだ!」
「そうなの、すごいよね」
「それで、それで?」
リビィはアンが矢継ぎ早に質問をしてくるのに答えながら、今度は二人で屋根裏に向かうのだった。