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野薔薇怪異談

第一話「着信履歴《ぐげげげげげげげげ》」

「1. アパートの夜」


 夜の23時過ぎ。

 仕事帰りの私は、ようやく最寄駅に着き、人気のない夜道を歩いていた。疲れた足取りでアパートの階段をのぼる。


 築20年、駅から徒歩15分、6畳1K。

 お世辞にも快適とは言えないが、ひとり暮らしの身にはちょうどいい。


「はぁー、やっと帰ってきた……」


 カバンをベッドの上に投げ出し、服を脱ぎ、シャワーへと向かう。

 いつものルーティン。何も変わらない、はずだった。




 シャワーを終え、体を拭きながらスマホを見る。

 不意に画面に浮かんだ数値に、目を疑った。


 着信履歴:64件


「……は?」


 しかも、すべてが“非通知”ではない。

 番号欄には、意味不明な文字化けの羅列。

 通知名は――


 《ぐげげげげげげ》


 見覚えのない、というか明らかにおかしい名前。

 スクロールしていくと、アドレス帳にも同じ名前の連絡先がいくつも増えていた。


「なにこれ……ウイルス? 乗っ取り……?」


 そう思った矢先、スマホがブルブルと震える。


 着信:ぐげげげげげげ


 手が止まる。

 鼓動が速まる。

 着信を拒否し、設定からブロックをかけるが、またすぐに違う番号からかかってくる。

 それも、すべて《ぐげげげげげげ》。


 さすがに気味が悪くなり、スマホの電源を落とした。




 その瞬間だった。


「……ッ!」


 寝室のベッドから微かな布のこすれる音がした。

 カバンを置いたベッドが、なぜか膨らんでいる。


 ふくらみは明らかに人の形――

 人間が、布団の下に潜んでいるかのような輪郭。


「……誰……かいるの……?」


 息を呑んだ瞬間、聞こえた。


「ぐげげげげげげげげげげ」


 震えるような、濁った男の声。

 それは明らかに、スマホからの着信と同じ名前の声だった。


 私は悲鳴も上げられず、身を縮めた。

 ふくらんだベッドの中の“何か”は、ゆっくりと動いていた。まるで這うように――こちらへ。




「2. 誰にもつながらない」


 私は急いで部屋を飛び出し、スマホの電源を入れ直す。

 家族や友人に連絡を取ろうとするが――


 すべての連絡先が《ぐげげげげげ》に書き換えられていた。


 LINEも、SNSも、履歴も、メールも。

 どこを開いても、《ぐげげげげ》ばかり。


「お願い……ふざけないで……」


 スマホの画面が、勝手に操作されていく。


 まるで誰かが、私のスマホを遠隔で動かしているように――

 カメラアプリが起動し、インカメラに切り替わる。


 私は本能的に顔を背けた。だが、画面の中には――


 “誰か”の顔が、私のすぐ背後に映っていた。


 濡れた髪。歪んだ笑顔。黒く爛れた肌。

 顔の半分が焼けただれ、口が異様に大きく裂けている。


「ぐげげげげげげげげ」


 叫び声を上げてスマホを床に叩きつけた。




「3. 封鎖される部屋」


 何が起こっているのか。

 幽霊? ウイルス? ドッキリ?

 頭が混乱する中、私はドアノブに手をかける――が、開かない。


 玄関のドアは、内鍵を外しているのにピクリとも動かない。


 窓も開かない。

 押しても引いても、ガラスが“何か”に圧迫されているように微動だにしない。


 部屋の中で、また声がした。


「ぐ……げげ……ぐ……げ……」


 どこからともなく、ひび割れたような男の声。

 音の出どころは――壁の中だった。


 壁に耳を当てると、中で誰かが笑っている。

 壁だけではない。天井から、床から、あちこちから笑い声がする。


「ぐ……げ……ぐげげげげげげげげげげ」


 笑い声は徐々に増えていき、ついには何十人分の笑いに膨れ上がった。


 まるでこの部屋そのものが、《ぐげげげ》という名前の存在に乗っ取られていくようだった。




「4. 最後の記録」


 私がこの怪異を書く理由は、ただひとつ。

 これを誰かが読む頃には、私はもうこの部屋にはいないかもしれないから。


 この文章も、スマホのメモ帳に必死に残している。

 けれど、今も画面の上では、勝手に文字が打ち込まれていく。


「ぐげげげげげげげげげげ」


 その文字列が、どんどん増えて、私の文章を塗りつぶしていく。


 誰か。

 誰か読んで。

 助けて。

 わたしは、まだ……ここに……。




 ⸻


 着信履歴ぐげげげげげげげげ 完


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