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第十三話「回乱BAN!」

【1】


 ーー「鐘技家の夜会」ーー


「怪覧番って聞いたことある? あの、回覧板を呪いに使ったやつ」


 語り手の猿谷慎也がふと語り出す。

 周囲の友人たちはまたか、という顔をしながらも、彼の話が進むにつれ真剣になっていった。


「その怪覧番にもう一つ、あるバージョンがある。名を《回乱◉BAN!》――」


 そう言った時の、彼の目の奥の静かな震えを、私は今でも忘れられない。


 ⸻


【2】


 ーー「猿谷慎也の自宅」ーー


 風のない夜だった。


 遠くで飼い犬が遠吠えをしている。

 自室のノートパソコンに向かって、僕はホラー小説の原稿を打ち込んでいた。


 小説家・猿谷慎也。32歳、独身。視力が悪く、黒縁眼鏡が手放せない。両親は早くに亡くなり、今はこの町外れの一軒家にひとり。


 チャイムが鳴った。

 夜分に訪れる者などいない。僕は一旦キーボードを止め、玄関へ向かった。


 そこには、2枚の回覧板が置かれていた。


 一枚は厚みのある紙束で、見覚えのある地域の回覧。

 もう一枚は、1枚きりの紙切れ。奇妙に白く、無機質だった。


 書かれていた文言はただ一言:


『この回覧を、吉谷氏へ。一週間以内に。』


 僕は、悪戯か何かと思った。でも、怪談作家としては無視しづらい。


 ……念のため、両方とも吉谷さん宅へ届けた。


 その夜はコーヒーを淹れて、無理やり眠りについた。


 ⸻


【3】


「……吉谷さんの家に、警察が来てる?」


 翌週。近所のスーパーで立ち話した主婦・柿谷さんと別れた後、騒がしい人だかりを見つけた。


 黄色いKEEP OUTのテープ、パトカー、慌ただしい警官たち。


 顔見知りの床屋、渡辺さんがいたので声をかけた。


「……殺人事件だってさ」


 渡辺さんの口調は重い。


「吉谷さん、頭を撃たれたように破裂しててな。血が、壁や天井にまで……家族も行方不明らしい。警察もまだ詳細は言ってないが……」


 ゾッとした。


 僕は、あの回覧板を思い出していた。


 ⸻


【4】


 次の日、またチャイムが鳴いた。


 玄関の外にいたのは、焦茶のコートを着た中年の男。

 白髪交じりで、無表情だった。


「警察の者です。少し、吉谷さんの件についてお話を」


 僕は回覧板の話も含め、ありのまま答えた。


 刑事は黙って話を聞き、名刺も残さずに去っていった。


 だが、その晩。


 またあの紙切れが、自宅の玄関先に置かれていた。


『この回覧を、猿谷氏へ。一週間以内に。』


 ……遠くで、誰かがこちらを見ていた。

 それは、あの刑事だった。


 視線だけが、凍るように冷たかった。


 ⸻


【5】


 僕は猿谷という名字を探した。

 近所にそんな家はなかった。


 そう、これは僕を狙った“誰か”による罠だ。


 警察に通報すれば、あの刑事に辿り着く。


 一週間のうちに、誰かに渡さねば……でも、誰にも渡したくない。


 僕はゴミ捨て場へ向かい、周囲を確認してから紙切れを投げ捨てた。


 ……誰にも見られていない。

 きっと、これで終わる。


 一週間が過ぎ、僕はほっと胸を撫で下ろした。


 ⸻


【6】


 激しい雷雨の夜だった。


 チャイムが鳴く。


 玄関を開けると――


「……あなたは!」


 犬のマスクをかぶり、拳銃を握った男。


 蹴り破られる扉。僕は引き倒され、銃口が僕の額に向けられた。


 その瞬間。


 銃声が2発。


 一発は、マスクの男の肩に。もう一発は壁に逸れた。


「警察だ!動くな!」


 現れたのは――本物の刑事だった。


 マスクの男は取り押さえられ、素顔が露わになる。


 ……それは、床屋の渡辺さんだった。


 ⸻


【7】


 渡辺は、近隣で空き巣を繰り返していた。


 吉谷宅で見つかり、口封じのために殺害。


 そして僕に目をつけ、BANを偽装して“回して”いた。


 回覧板は、物理的な呪いではなく、人を「動かす」心理兵器だった。


 渡辺と刑事は別人だった。

 けれどもあの夜、僕の中で警察という存在への信頼は既に崩れていた。


 自宅に戻ると、玄関前に誰かが立っていた。


 柿谷さんだった。


 彼女は、無言で回覧板を掲げた。


 ……僕が、捨てたはずの、あの紙切れを。


 そのとき、僕の中で何かが「バン」と弾けた。


 ⸻


【8】


「という怪異談だよ」


 語り終えた猿谷に、友人たちは一様に青ざめた顔をしてトイレに駆け込んだ。


 鐘技家一同は、慣れた様子でお茶をすする。


 猿谷慎也は静かに笑った。


 


 回乱◉BAN! 完


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