東の森に入った僕は、森の中をきょろきょろと見回していた。あちらこちらに、草原とはまた違ったモンスターがいたからだ。
「いろんな種類のモンスターがいるんだね」
「雑魚モンスターは無視するニャ。モンスターと目を合わせたり、こっちから手を出さなければ襲ってこないニャ」
「倒さないの?」
「時間があるなら倒しても良いけどね。でも今回はリューにクエストを体験してほしいから、最速で洞窟に行くわよ」
そうだった。まだ僕がプラントワールドにいられる時間は、そう長くはないのだ。
前回みたいにバタバタとログアウトをする羽目にならないよう、前もって次回の集合方法も今決めておいた方が良いかもしれない。
「洞窟に到着するまでの間に聞いておきたいんだけど、これからはゲームにログインした後、どうやってみんなと合流すればいい?」
「パーティー契約を結ぶと、いつでもパーティーメンバーの居場所を確認できるようになるの」
前にもパーティー契約という単語が出ていた。使える機能が増えるということは、口約束だけでパーティー加入となるわけではなさそうだ。
「どうやって契約するの?」
「パーティーのリーダーと加入希望者の二人が握手をしながら『契約成立』と唱えると契約が完了するわ。逆に脱退するときは握手をしながら『契約解除』と唱えるの」
「へえ。それだけでいいんだ」
思ったよりも簡単なシステムだった。特殊な契約書を書くわけではないのは、お手軽だ。
「パーティー契約をするとお得なことがあるニャ」
「お得なこと?」
「契約後に、メンバーの位置を確認したいときは『位置確認』と唱えると、地図にメンバーの位置が表示されるニャ。パーティー契約をすると、位置確認の際に無料でこの世界の地図が確認できるニャ。お得ニャ」
そういえば僕はまだ、この世界の全体がどうなっているのかをまるで知らない。どのくらいの世界規模なのだろう。
パーティー契約をすればこの世界の地図が見られるというなら、新人はパーティー契約をしない選択肢は無いような気がする。
「とは言っても、見れるのは店で売ってるような詳しい地図じゃないけどね。この世界の形と、パーティーメンバーがどの町にいるかが分かるくらいよ。詳細な地図が欲しい場合は、店で買う必要があるわ」
さすがにそこまで上手い話ではなかった。しかしこの世界の全体図が分かるだけでも、新人にはありがたい話だ。
「ちなみにログイン場所は、前回ログアウトした地点かな?」
「そうニャ。変な場所でログアウトすると、次も変な場所からのスタートになるニャ。ログアウト場所には気を付けるニャ」
例えばモンスターの巣の中でログアウトをした場合、次回はログインをした途端に絶体絶命の状況に陥るということか。注意しよう。
「ログイン地点といえば、死んだ場合はスタート地点からになるの。最初にログインした場所ね」
ということは、ログアウト場所が悪かったせいで何度も死ぬ羽目になる、みたいなことは起こらないのか。
とはいえ。
「僕、死にたくはないかな」
「それはそうね」
リアルな死の体験をするのは、よっぽどの物好きでもない限り嫌だろう。
僕はよっぽどの物好きではないので、ごめんだ。
「ありがとう。パーティーに関しては大体分かったよ。じゃあ早めにパーティー契約をしておいた方が良いよね。この前みたいに慌ててログアウトすることになると困るから」
「そうね。このパーティーのリーダーはニャムだから、ニャムと……」
ナターシャと僕の前を歩いていたニャムが、両手を伸ばして僕たちを制止した。
「え、何?」
「これ以上進んじゃだめニャ」
「……瘴気だわ」
隣でナターシャがごくりと生唾を飲んだ。
僕も二人と同じように目を凝らすと、前方にうっすらと紫色の霧が見える気がする。
「これが瘴気なのか」
「今回のクエストは諦めるニャ」
「ええ。全速力で撤退するわよ」
二人の判断は早かった。
しかしこれは良い機会とも言える。なぜなら。
「無効化魔法を試す、いい機会じゃない?」
イマイチ瘴気の危険性を理解していない僕の頭を、ニャムが飛び跳ねながら勢いよく引っぱたいた。
「あいたっ!?」
「ログイン二回目で何を言ってるニャ! 寝言は寝て言えニャ!」
「リューに期待してるからこそ、瘴気を浴びるのは今じゃないのよ。この世界に来なくなられたら困るもの」
そう言うなり、ナターシャは僕の身体をくるりと反転させて、手を握って一緒に走り出した。
引っ張られた僕は否応なく一緒に走ることになった。
「しんがりはニャムに任せるニャ。ナターシャ、先頭を頼んだニャ」
「まかせて。さあ走るわよ!」
走るわよも何も、すでに走っている。
そう言おうとしたけど、先にニャムの叱責するような声が飛んできた。
「もっと気合いを入れて走るニャ! しんがりのニャムを瘴気に呑ませる気なのかニャ!?」
「そうよ、もっと急いで!」
二人に急かされつつ走る僕の目に、一人の少女の姿が映った。
少女は森に木の実を採りに来ていたらしく、木の実がたくさん入った大きなカゴを手にしている。
「逃げてーーー!!」
少女は、森の奥から走ってくる僕たちを見て目を丸くしていた。
「……え? どうして走って……?」
「瘴気よ! 早く逃げて!」
「ええっ!?」
少女はカゴを持ったまま走り出した。
この様子を見るに彼女はNPCではなく、僕たちと同じプレイヤーなのだろう。
「あっ」
僕たちの前を走っていた少女が、土の上に盛り上がった木の根につまづいて転んでしまった。持っていたカゴからたくさんの木の実が散らばる。
「大丈夫!?」
すれ違いざま、少女に向かって声をかける。
手を貸そうと走る勢いを落とすと、ナターシャが僕の手を力強く引っ張った。
「走り続けて!」
「でもっ」
「他人の心配をしてる場合じゃないニャ!」
ニャムも僕の背を押して走らせようとしてくる。
二人の顔を見ると、二人とも顔に恐怖の色を貼り付けている。
「お願い、走り続けて!」
ナターシャが祈るような声で言った。
……そうだ、ナターシャはまだ高校生なんだ。
高校生の子が、自分も怖いのに、僕の手を引いて走ってくれているんだ。
ナターシャを困らせるわけにはいかない。
「……分かった」
「あとで誠心誠意謝ればきっと許してくれるわ。瘴気を見たら何を置いても逃げるのがこの世界での共通認識なの」
「とにかく今は逃げるニャ! おい、そこの女、逃げ切れないならログアウトするニャ!」
僕たちが歯を食いしばって走り続けていると、後ろから少女の悲鳴が聞こえてきた。
「あがっ、あ、ああああああーーーーーっ!!」
何度も何度も、少女は苦しそうに叫び続けている。
「うあ、あああっ、わああああーーーーーっ!!」
「あの子、急に瘴気に呑まれたから混乱してログアウトのことを忘れてるのかも。ログアウトを勧めないと」
「残念だけど、あの子はもう助からないニャ。判断が遅かったから仕方がないニャ。割り切るニャ」
「助からないって、どういうこと!?」
「瘴気が消えるまではあのままよ。瘴気の中ではログアウトが出来ないから」
「じゃあこのまま苦しみ続けるってこと!?」
二人とも僕の質問には答えなかった。それは、肯定と同じだ。
「くそっ!」
僕はナターシャの手を振りほどくと、二人と反対の方向へと走り始めた。
つまり、瘴気へ向かって走り始めた。
「何してるニャ!?」
「嘘でしょ!?」
杖を構えて無効化の魔法を唱えてみる。杖に力を送り込んで、力を発散させるイメージで。
「瘴気を無効化せよ!」
しかし紫色の霧は少しも晴れる様子が無かった。
そうこうしているうちに、瘴気に触れる距離まで近付いた。逃げるなら、今が最後のチャンスだ。
「うあっ、あああーーっ、あああああーーーーーっ!!」
少女の呻き声が響いた。
だから僕は…………逃げるのではなく、瘴気の中へと突っ込んだ。