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第30話


「私はよく、この森で歌を歌っていました。あの小さな村には、他に歌う場所などありませんから。別に歌手になりたいなんて大それたことは考えていませんでした。ただ歌うことが好きだったのです。

 いつの間にか私が森へ歌いに行く頻度は増えていきました。週に一度が週に二度に、週に二度が週に三度に、ついには毎日森へ行くようになりました。

 そんなある日、私はふと視線を感じました。

 森の中で視線を感じるなんて、と周囲を見ると、木の陰にアドルファスがいたのです。

 最初はこんな森にいるのは誰だろう、旅人だろうか、と考えました。しかしすぐにアドルファスが魔物だと気付きました。そして魔物が怖い存在だと教えられていた私は、一目散に逃げました。逃げる私をアドルファスが追ってくることはありませんでした。

 私は家に帰ってから、私に存在を気付かれたアドルファスが、とても寂しそうな目をしていたことを思い出しました。ですが小さな頃から魔物の恐怖を刷り込まれていた私は、アドルファスの姿を見たあの日から、怖くて森へは行かなくなりました。

 しかし。しばらくして、些細なことで家族と喧嘩をした私は、悲しさを紛らわすために再びあの森へ入りました。歌を歌って気分転換をしようと思ったのです。

 森に入るとすぐに異変に気付きました。森の中に、見たことのない家が建っていたのです。

 近づいて窓から中を覗いてみましたが、あいにく家主は留守のようでした。そのため私は家から離れると、当初の目的である歌を歌い始めました。

 すると……またアドルファスが現れました。

 私は逃げだしましたが、アドルファスは持っていた薪を地面に落とすと、拍手を始めました。突然の拍手に困惑して振り返ると、アドルファスはより一層大きな音で拍手をしました。アドルファスの手では人間の手で叩いたような音は出せませんでしたが、これが、私が初めて歌でもらった拍手だったのです。

 それからしばらくして私たちは…………このあたりの詳しい話は省略しますが、恋仲になりました。

 アドルファスは人間を襲う魔物たちに嫌気が差して、一人でこの森で暮らすようになったそうです。そんなアドルファスの元に、私は通い続けました。アドルファスと接することで私は、人間の中に善い人間と悪い人間がいるように、魔物の中にも善い魔物と悪い魔物がいることを知ったのです。

 しかし人間と魔物が結ばれて幸せになった例はありません。両種族間での結婚は、人間側からも魔物側からも疎まれます。だから私たちは、この森で密会をするだけで満足だったのです。

 ……状況が変わったのは、私がアドルファスとの子を身籠ってからです。

 この世界に人間と魔物のハーフは存在しません。人間側も魔物側も、敵である種族の血が混ざることを嫌うからです。生まれた赤ん坊はすぐに処分されます。

 そのため人間と魔物のハーフは存在しない……ことになっています。

 実際には、駆け落ちをしてこっそり人間と魔物のハーフである子どもを育てている人たちがいる可能性はあります。ですがそれも、長くは続かないでしょう。人間に見つかっても、魔物に見つかっても、子どもは処分されてしまうのですから。

 私たちも駆け落ちを考えましたが、妊娠に気付くのが遅すぎました。

 妊婦の私は悪阻が酷く、長距離の旅に耐えられるとは思えない状態でした。しかも普通の旅ではなく、人間からも魔物からも隠れながらの旅です。駆け落ちは諦めざるを得ませんでした。

 ですが、あのまま村にいたら村人たちに私の妊娠が気付かれるのは時間の問題でした。小さな村です。すぐに村の中に私の相手がいないことが判明するでしょう。そうなると考えられる唯一の男は、アドルファスなのです。

 アドルファスはこの森へやって来てから静かに暮らしていましたが、村人たちは森に魔物が住んでいることに気付いていました。生まれた赤ん坊がアドルファスとの子どもだと知られたら、出産と同時に殺されてしまうでしょう。

 そこで私たちは、この家にこもることを決めたのです。ここにこもっていれば、妊娠でお腹が出ていることにも気付かれませんから。

 魔物とのハーフのためか、出産は予想よりも早い時期でした。生まれてきた子どもは、私の血を濃く受け継いだのか、人間の見た目でした。でも目も髪もアドルファスと同じ色です。

 この子は、確かに私たちの子どもなのです。この愛が、禁忌だとしても……!」




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