「ヴァネッサは大袈裟じゃのう」
「なんで!? 巨大グモの住処はもっと先のはずなのに」
「必ずしも住処にいなければならないわけでもあるまい」
「それはそうだけど! まだ心の準備が!」
慌てるヴァネッサを放置して、蜘蛛の巣を見上げる。大きな蜘蛛の巣の上には、これまた大きな蜘蛛がいた。胴体部分だけでも俺と同じくらいの大きさがありそうだ。そこに長い脚が付いているから、かなりのサイズに見える。
「思っていたよりも大きいですね」
「名前が巨大グモじゃからのう」
「でも蜘蛛の巣の網目……って言うんですかね、あれも大きくないですか? あれじゃあ小さな虫は通れちゃいません?」
「小さな虫は眼中に無いのかもしれんな。あの大きさなら虫以外を捕食している可能性もある」
「ちょっとちょっと! なんで巨大グモを前にして冷静に会話してるのよ!?」
巨大グモを観察する俺と魔王リディアの間に、ヴァネッサが割って入った。落ち着き払う俺たちとは対照的に、ヴァネッサの顔は青くなっている。
「ヴァネッサさんが慌てすぎなだけだと思います」
「普通慌てるでしょ!? 巨大グモなのよ!?」
「リディアさん、どう思います?」
「巨大グモ程度では慌てんじゃろ。攻撃がワンパターンな上、防御力は無いに等しいからのう」
「だそうですよ」
「二対一だ!? あたしがおかしいの!?」
そのとき、呑気に会話をする俺たち目掛けて巨大グモが攻撃を仕掛けてきた。
三人揃ってその場で屈むと、巨大グモの長い脚が空を切った。
「蜘蛛なのに相手が巣に掛かるのを待つだけじゃなくて、攻撃もしてくるんですね」
「攻撃をして相手が巣に引っ掛かるように誘導するのが巨大グモの戦い方じゃ。ショーンは元のパーティーで学ばなかったのか?」
「巨大グモに遭遇したことはありますが、観察する前に他のメンバーが倒してましたから」
「仲間の攻撃力が高すぎるのも考えものじゃのう」
「だからどうして冷静なのよ!?」
巨大グモは攻撃に適した脚を何本も持っている。それに対して俺が持っているのは短剣一本。この状態で巨大グモに勝つには…………。
「リディアさん、倒してくれませんか?」
「他力本願じゃな」
魔王リディアに頼るのが、一番安全かつ成功率の高い方法だ。
「ちょっと、ショーン。子ども相手に何を言ってるの!?」
俺の言葉を聞いたヴァネッサは、信じられないとばかりに俺のことを揺さぶっている。
……なんか最近よく揺さぶられる気がするが、流行っているのだろうか。
「ヴァネッサさん、落ち着いてください。リディアさんは子どもに見えますが、子どもではなく……」
「魔王じゃ」
魔王リディアが堂々と言った。
さすがに俺は魔王とは言わないつもりだったのだが、自らバラしていくスタイルのようだ。
「面白いことを言うわね」
「妾は本当に魔王じゃ」
「うふふ、可愛い魔王ちゃんね」
「本当のことなんじゃが!?」
しかしヴァネッサは魔王リディアの言葉を信じていないようだった。まだ彼女の力を見ていないから、当然の反応かもしれない。
「というか、あっさり名乗るんですね、リディアさん」
「小娘一人に知られたところで、どうということはない」
確かに……。たとえヴァネッサが魔王リディアのことを魔王だとみんなに吹聴したところで、誰も信じはしないだろう。きっと誰もが今のヴァネッサと同じ反応をするはずだ。
そのとき、またしても巨大グモの脚が俺たちを襲った。逃げ遅れそうになったヴァネッサの腕を魔王リディアが引っ張ると、ヴァネッサは勢い余って転んだ。
……ヴァネッサは今のまま一人で旅に出たら、すぐにやられてしまいそうだ。
「もう許さないんだから!」
しかし負けん気はあるようで、ヴァネッサが巨大グモに向かって長剣を構えた。そして魔王リディアに向かってウインクをする。
「安心して。あなたのことは、あたしが守ってあげるからね!」
守られたばかりの相手にそれを言うとは。
ヴァネッサは、ある意味ではとても強いのかもしれない。
「これでも食ら…………キャーーーーッ!」
勇猛果敢に巨大グモへと向かって行ったヴァネッサは、すぐに蜘蛛の糸に絡まって逆さ吊りになってしまった。
「どうしてそうなったんですか!?」
あんな引っ掛かり方は狙ってもなかなか出来ない気がする。その証拠に、魔王リディアはヴァネッサの様子を見て生唾をごくりと飲み込んでいる。魔王リディアの顔には「こやつ、なかなかやるな」と書かれている。……もちろん戦闘能力に関しての評価ではないだろう。
「分かんないけど、こうなっちゃったの! 助けて!」
「どうして俺の周りには痴女が集まってくるんでしょう」
「痴女じゃないわよ!」
俺は近くにあった岩を蹴って飛び上がると、必死でスカートを押さえるヴァネッサに絡まっている蜘蛛の糸を、短剣で切った。
三箇所の糸を切ると、蜘蛛の糸から自由になったヴァネッサは蜘蛛の巣から落ちた。
「うわ、わわわ」
さすがに自分で着地すると思ったが、ヴァネッサにその様子が無いので、短剣を地面に落として空いた両手でヴァネッサを受け止める。
「よっ、と」
「……出会って一時間でカッコイイことしないでよ」
姫抱きにされたヴァネッサが、顔を赤くしながら呟いた。
「俺、カッコよかったですか?」
「……ちょっとだけ」
「ありがとうございます。ところで重いのでもう降ろしても良いですか?」
「やっぱり今のナシ! あんたは失礼極まりない男だわ!」
なぜか怒りだしたヴァネッサを地面に降ろすと、魔王リディアが地面に転がる短剣を指差した。
「武器を手放したのは減点じゃな」
「その通りですね。すみません」
「あっ、でもそれはあたしが一人で着地できなかったからで、その、ごめんね」
俺が魔王リディアに謝ると、ヴァネッサまで申し訳なさそうに謝った。ヴァネッサは表情がころころ変わる人のようだ。
「武器を手放してまでカッコつけたかったとは。ショーンも男の子ということかのう」
魔王リディアが俺の脇腹を小突きつつニヤけた。
「あはは。でも俺がカッコつけられるのはここまでです。俺ではあの巨大グモは倒せません」
「えっ!? じゃあ逃げるしかないの!?」
そんなわけはない。ここには魔王リディアがいるのだから。
「リディアさん、お願いできますか?」
「まったく仕方がないのう」
そう言って魔王リディアが自身の髪を耳にかけた。
ヴァネッサはここでようやく魔王リディアが人間ではないことに気付いたらしい。
「それ、魔物の耳。ってことは……」
ヴァネッサが言い終わる前に、魔王リディアが姿を消した。否、助走も無くものすごい高さまで跳びあがった。
次の瞬間には勝負が決していた。
魔王リディアが地上に降りると、巨大グモの身体は真っ二つに切断されていた。
「目を取り出すのはショーンがやるのじゃぞ」
「うそでしょ……」
あまりにも簡単に巨大グモを倒した魔王リディアのことを、ヴァネッサは口をあんぐりと開けながら眺めていた。そんなヴァネッサを満足そうに見てから、魔王リディアはひらひらと手を振ってこの場から去ろうとした。
「ショーンよ、妾は野暮用ができた。町の入り口付近で落ち合うのじゃ」
「じゃあ俺も」
魔王リディアについて行こうとした俺は、彼女にグイっと押し戻された。
「何を言っておる。ヴァネッサを一人にして平気なわけがなかろう。こんなにも弱いのに」
「事実だけど、直球で言われると落ち込んじゃうわよ!?」
ヴァネッサは自身が弱いことを否定はしなかったが、それでも弱いと言われるのは嫌なようだ。
魔王リディアはヴァネッサに、すまんすまんと軽く謝ってから、言葉を続けた。
「さすがに通常のヴァネッサがここから町まで戻るだけで死ぬとは思っておらん。しかし巨大グモの目を背負った状態では話が変わってくるじゃろう」
言われて俺は真っ二つになった巨大グモを見た。巨大グモには大きな目が六個も付いているようだ。
「なるほど。巨大グモの目はたくさんありますからね。持って帰るだけで一苦労ですよね」
「そういうことじゃ。荷物くらい運んであげるがよい」
ここまで言った魔王リディアは、俺に屈めと合図をした。
言われた通りに屈むと、魔王リディアは俺の耳に小声で囁いた。
「妾は、若い男女を二人きりにしてやるくらいの気は回せるつもりじゃ」
「俺とヴァネッサさんはそういうのじゃ……」
「照れるでない。妾が二人きりにしてやるのじゃから、接吻の一つでもするんじゃぞ」
「今日初めて会った人とそんなことはしませんからね!?」
「まったく、これだから童貞は」
俺たちがこそこそとやっていると、ヴァネッサが訝しげな目でこちらを見ていた。
感覚的に自分の話をされていると気付いたのかもしれない。
「さっきから二人で何を話してるの? あたしに聞かれるとマズい話?」
「マズいかもしれません。ヴァネッサさんの話なので」
「……そういうのは本人に言っちゃ駄目だと思うけど」
「でも決して悪口ではなく……何と言いますか、本日はお日柄も良く……」
「今さら誤魔化しても遅いわよ」
慌てる俺の背中を、魔王リディアが力いっぱい叩いた。
「では妾は行くぞ。健闘を祈る」
健闘を祈られても……。