「ワタシもそこが気になりマス。半年もの間、まったくの他人であるイデアを兄と慕い、この狭い部屋で帰りを待つ。そのようなことをする動機が不明デス」
「へ? バカだね、イデアお兄ちゃんってば。そんなのもわからないの?」
「もう妹のふりをするのはやめろ。不愉快だ! いいから質問に答えろ……!」
「はぁ、追い詰められてるのはそっちだっていうのにさ、大声出しちゃって。でもいいよ、仕方がないからバカなお兄ちゃんにも教えてあげる。あたしはね——養ってもらうために妹になってたの」
「——、なに?」
なんだと? 養ってもらうため?
そのために俺の妹になって、パンデクテスの言う通り、来る日も来る日もこの部屋で迷宮に向かう俺の帰りを?
「まさかお前は……本当に、この家で毎日寝て過ごすためだけに俺を洗脳していたのか!?」
「そうよ。休まず危険な迷宮に飛び込んで金を稼いで、おまけに炊事に掃除、洗濯までぜぇんぶこなしてくれる完璧なお兄ちゃん。そしてあたしは病弱設定の妹として最高のぐーたらライフを満喫する。これがあたしの完璧な
なんだこいつ。ライフプラン? どうすればそんな自堕落で恥知らずな計画を自信満々に人に話せるんだ……?
「イデア、今のリディアの話はおかしいデス! リディアの口ぶりでは、さながら他人を洗脳して依存する悪質な寄生虫のようではないですか!」
「いや、パンデクテス、たぶんそれで正解だ……!」
この女はまともじゃない。こいつの本質は衰退だ。怠惰と退廃にまみれた、他者を巻き込んで破滅する災禍に同じ。
「ふん、けったいな話でも聞いたような反応ね。でもさあ、あたしってそんなに変? こんな生きづらい世の中、誰かに頼って楽に生きたいって思うのは不思議なこと?」
「思うだけならともかく、実行に移して俺を巻き込んだ。充分に変だろうが。くそ、遺物に洗脳されてたとはいえ、半年間もこんなのを妹として可愛がっていたとは……」
恐るべきはあの杖の能力だ。俺はなんの疑問も抱かず、リディアを愛すべき妹として捉えていた。
兄である俺は、リディアを守らなければならない、と。
こうして洗脳が解けた今、思い返してみれば、おかしいところや辻褄の合わないところはたくさんあったはずなのに。
たとえばそう、そのきっかけとなった、パンデクテスが指摘した差異。俺の家系となんら相似のない髪や目の色。それと、俺よりも高い身長……。
「……身長。そうだ、お前……もしかして」
「あれ、どうしたのお兄ちゃん。なにか訊きたそうな顔して。いいよ、もうひとつだけって言ったのはお兄ちゃんだけど、追加で質問に答えてあげる」
喉を震わせるようにして、俺はにやにやと笑みを浮かべるリディアへ問いをなげかけた。
「お前。歳、いくつだ?」
「今年で19になるわね」
「三つも上じゃねーかっ! くそぉ——!!」
俺は半年間、3歳年上の女を養ってたのか! それも命がけで集めた金を湯水のように費やして!
なによりも、自分が果たすべき目的さえも忘却し、偽りの妹にせっせと貢いできた。どんな喜劇の配役もこの半年の俺の滑稽さには及ぶまい。
憤懣やるかたない気持ちを持て余す俺を見て、妹だった悪魔はせせら笑う。
「さ、質問には答えたわ。そろそろお開きといきましょうか、イデアお兄ちゃん」
「冥土の土産は持たせた、か? ならどうする。秘密を暴かれ、俺を殺すのか?」
「殺す? まさかぁ。土産もなにも、この地底はとっくに冥土のようなものじゃない。それでもあたしたちはここで生まれて、ここで生きるしかない。だからせめて楽に生きるの。この
——再洗脳! やはりそのつもりか……!
パンデクテスのおかげで正気に戻ったが、再度能力を使われれば俺は再びこのニート女を妹であると認識させられてしまうだろう。
だが、防ぐすべは? 能力がどのように発動するかわからない以上、俺は後手に回るしかない。
距離を取るべきか接近を試みるべきか、それさえ判断が付かぬ間に、リディアは出し抜けに杖先を俺へ向けた。
「近づいて発動するタイプだと思った? 残念、離れててもオッケーだよ~。『幻惑せよ、目を奪う虚栄の光』」
「く……!」
杖の先には輪っか状の意匠があしらわれており、まばゆいばかりの輝きとともに、そこからピンクの光線が発射される。
脚は半ば反射的に回避行動を取ろうとする。しかし発射された光はそれ以上の速度で俺を目がけて迫っており、おそらく接触は避けられない。
あれに触れれば、またこの半年間の悪夢が再演されてしまう。
そうわかっていても、もはやどうすることもできず、俺は光線に貫かれるほかない——
「イデアのことは、ワタシが守ります!」
「パンデクテス……!?」
そこへ身を投げ出すようにして割り込んできたのは、白い髪をなびかせるパンデクテスだった。
まさか、俺の代わりに洗脳能力の光線を受けようというのか。だがそれでは……。
「へえ、大事な『マスター』の身代わりってわけ? あんたもバカね、だったらあんたの方から洗脳してやるだけよ! あたしに絶対服従、命令に忠実な子分としてね!!」
懸念通り、リディアは構わずパンデクテスへ向けて光線を浴びせる。光は確かにパンデクテスの胸を捉え、それを確認するとリディアは会心の笑みで杖を下ろす。
「さあ、あたしのかわいい子分ちゃん? そこのイデアお兄ちゃんを捕まえなさい。腕力じゃ勝てないだろうけど、数秒動きを邪魔できればそれで充分……その間に今度こそ光線を浴びせてあげる!」
「リディア……ワタシは——」
光が止み、命令を受けたパンデクテスがゆっくりと顔を上げる。
まずい。単純な殴り合いならともかく、この狭い部屋で二対一となれば、あの杖の能力を浴びてしまうことは避けられない。
こうなれば一か八かだ。パンデクテスが動き出す前にリディアに特攻する。近づけずあの光を浴びせられる可能性はあるが、なにもしなければ洗脳されたパンデクテスに捕まって終わりだ。
窮状に追い込まれた俺は、わずかな活路に賭けて姿勢を落とす。
「——お断りします!」
「えっ?」
「は??」
しかし、パンデクテスの毅然とした命令拒否を聞き、俺は思わずつんのめった。
洗脳が効いていない? 驚愕は俺だけでなくリディアも同様、あるいは能力を行使した本人なのだから俺以上かもしれない。
「お、お断りぃ!? ふざけないで! あたしのワンド・オブ・フォーチュンの光を浴びたなら洗脳が効いているはずよ! あんたはあたしの子分、命令には絶対服従! そうでしょう!?」
先ほどまでの余裕は崩れ、狼狽を露わに問い質す。それに対し、パンデクテスはなんでもないように返した。
「そんなの効きませんよ。だってワタシ、
気まずさを帯びた沈黙が、数秒、俺たちの頭上に舞い降りた。