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第18話 『誰何に笑う』

 そして。その言葉は俺の予感通り、俺とリディアの関係を崩壊させる、決定的な危険さに満ちていた。

 だが、突然なにを言い出すのかと思えば。パンデクテスはリディアが俺の妹ではないと疑っているのか?


「なにを言ってるんだ。そんなの、妹じゃないわけないだろ。俺はお前と出会う前からずっとリディアといるんだぞ?」

「よく思い出してください。故郷を出た時、あるいは故郷で両親と過ごしていた時、リディアはいっしょにいましたか?」

「いた……いたに決まってる。だって」


 だって——リディアは今ここにいる。この家で、俺の妹としていっしょに暮らしている!


「それは言ってみれば状況証拠、今現在の事実から推定される予測でしかありません。いいですか、イデア。思い出してくだサイ。深く集中して、当時のことを」


 パンデクテスはあくまで冷静に、俺の反論を棄却する。

 当時のこと。デーグラムに来て遺物ギフトハンターになる前の……家族のみんながいて、退屈だけれど穏やかだったあのコロニーで過ごした時のこと。

 ずきずきと頭痛がする。思い出すな、考えるなと、脳を戒める異能の掟が痛みを発する。


「……っ、この頭痛……そういえば昨日、市場でも……」


 頭蓋が割れるようだ。疑念を抱くことさえ許さないと、なにかが俺の頭を締め付けている。

——リディアは妹だ。

——妹を守るのは兄の責務だ。

——それはなによりも優先されるべき事柄だ。

 脳の奥から湧いて出る思考。それは今日まで俺の根幹だった。

 しかし、これは本当に俺自身のものなのか? 疑問が痛みを加速させる。それ以上考えるなと頭の中をかき乱す。

 けれど裏を返せば、この痛みこそが思考になんらかの影響を受けている証左だ。

 脳を焼く警鐘を踏み越え、俺は記憶の奥へ手を伸ばす——


『いい? イデア……今よりずぅっと昔はね、あの空を塞ぐ天蓋なんてなかったのよ。そして昼には抜けるような青空が広がって、夜にはきらきらと光る星の明かりが地上を照らすの』


 自分だって見たことなどないはずなのに、高祖母から聞いた話を語る母さんが、まるでその風景を思い出すかのように目を細めていたこと。

 陽の差さぬ地底にしては自然に恵まれた故郷の風景。友だちと遊んだ森や湖のこと。

 商会はおろかあらゆる物流とは無縁の僻地において、それでも貧しさを笑い飛ばし、互いを助け合って生活する住民たちの姿のこと。

 そうした景色のすべてが、ある日現れた赤い眼の魔物によって奪われた時のこと。


「そうだ、あの時……リディアはいなかった。母さんがあの話をしてくれた時も、子ども同士みんなで遊んでた時も、大人の人たちと挨拶をする時も……」


 ……あの魔物から、母さんや父さん、大人のみんなが命を賭して俺を逃がしてくれた時も。

 そうだ、あれから俺はずっと独りだった。デーグラムに流れ着くまでの放浪の旅は、とても妹を庇いながらできるようなものではなかった。

 俺は自分のことで精一杯だったはずだ。家もなく頼る者もおらず、商会の発行する紙幣などあるはずもなく、俺は常に飢えと戦いながら迷宮に潜っては決死の覚悟で遺物ギフトを探した。

 そうして五年、孤独に生き抜いてきたことこそが、俺にあるただひとつの誇りだったはず。


「リディア、お前は……誰だ!?」


 俺に妹などいない。ならば、この存在しないはずの妹——リディア・ウラシマは一体誰だというのか?

 俺の誰何すいかに対し答えるでもなく、リディアはただ、肩をすくめて笑った。


「あーあ。せっかくうまくいってたのになぁ……やっぱり第三者がいるとボロが出ちゃうよね。だからそこのガキんちょには出ていってほしかったのに」

「妹じゃないんだな、お前は。今日までずっと俺を騙してきた!」

「そーだよ。あは、ビックリした? バレちゃったのは残念だけど、その驚いた顔を見るのは楽しいなぁ」


 声色はまるでいたずらがバレた子どものように明るく、しかしその口元は滑稽な演劇でも見たかのように歪んでいる。

 滑稽な演劇。まさしくその通りだっただろう。家族でもなんでもない赤の他人を、妹だと勘違いして甲斐甲斐しく世話を焼く俺の姿は。

 しかし、一体いつから?


「自身を妹であると他者に誤認させる……そんなことができるのは、遺物ギフトをおいてほかにありまセン。どこかに隠し持っていますね、リディア!」


 リディアから俺を庇うように一歩前に出て、パンデクテスはそう問うた。

 その指摘は正鵠を得ている。もっとも魔法であれば同様のことができるのかもしれないが、翼や尻尾といった魔法器官がない以上、リディアは俺と同じ人間のはず。

 リディアは不敵な笑みを絶やさぬまま、ベッドの毛布へおもむろに手を突っ込み、中からなにかを取り出した。


「ご名答めいとぉ~、ぱちぱちぱち! これこそが『ワンド・オブ・フォーチュン』。相手の認識を上書きする、洗脳の遺物ギフトだよ~」

「な……っ、ずっとそこに隠し持ってたのか?」

「大事なものは肌身離さず持つ。当然の危機管理でしょ、特にこんな治安の街じゃね」


 どことなく玩具じみた、ピンクの色をしたステッキ。やけに余裕なのは切り札がずっと手元にあったからか。

 その能力によほど自信があるらしく、既に勝ち誇ったかのような表情でリディアはその遺物ギフトを手にした経緯を語り始める。


「この子が手に入ったのは半年とちょっと前。街でアホ面提げて歩いてた遺物ギフトハンターからスってやった……ああ、イデアお兄ちゃんのことじゃないよ? 別のハンターね?」

「当たり前だ。売り物を盗まれるようなヘマ、俺がするかよ」


 大事なものは肌身離さず。先ほどの言葉については同意できる。ここじゃ誰もがその日を生きるのに必死で、盗みなんてのは日常茶飯事だった。


「だよねー、お兄ちゃんは実際すごいよ。その歳で迷宮から何度も生きて帰ってくるなんてふつうじゃない。だからこそその優秀さに目をつけた……優れたハンターを、あたしの『お兄ちゃん』に仕立て上げようって」

「……別に、言いふらすような知り合いなんていないはずなんだけどな。どこかで俺の噂でも聞いたのか。セレイナさんは客の情報を漏らしたりはしないはずだ」

「人の口に戸は立てられないよ、おにーぃちゃん? お兄ちゃんほどの年齢の人が、何年も営業所に通い続けてたらほかのハンターの目につくのは必然。自分じゃ気付かなかったかな?」


 くそ。セレイナさんから漏れたわけではないが、やっぱりどこかで噂になっていたのか。俺もまだ警戒心が足りていない。


「だったら、お前が俺を遺物ギフトの力で洗脳……妹であると誤認させたのは半年前か。そうだ、この家も確か、その頃に借り始めた。あれはお前がそう仕向けたんだな」

「大事な妹に向かって『お前』だなんてひどいなぁ。でもその通り~、洗脳に気付くまでまったく疑問にも感じなかったでしょ? 成り上がりの商会に売るなんてもったいないサイコーの遺物ギフトだよ、このワンド・オブ・フォーチュンは。あたしが有効に使ってあげる。これまでも、これからも!」


 盗んだ遺物ギフトにたまたま適性があった——というだけでも強運と言えるだろう。けれどそのせいで俺にとってはとんだ災難だ。半年もの間、赤の他人と暮らす羽目になった。

 だが、あとひとつ。もっとも肝心な部分が謎のまま。


「もうひとつだけ答えろ。俺を兄に仕立て上げたって……なんのためだ? わざわざ他人の妹になる目的はなんだ?」

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