「ど、どうするんですかイデア! リディア、どう見ても怒ってマス!」
「おかしいな……あれ……こんなはずでは……」
俺はとにかく、リディアをなだめ、説得するためにベッドの方に歩み寄ろうとする。
「いいかリディア、別になにも悪い話じゃないんだ。パンデクテスは悪いやつじゃないし、進んで役に立とうとしてくれるし、えーと、飯も食べなくていいし——」
「そんな人間がいるかァー!!」
「ぼふぉッ」
顔面に枕を投げつけられ、俺はたじろいだ。物理的な衝撃よりも精神的なショックの方が大きい。
なにせ、リディアがこんなに怒っているところを見るのは初めてだ。そんなにパンデクテスと暮らすのが嫌なのだろうか? 困惑していると、毛布からすっと抜け出したリディアは俺のそばにきて、抱き着くように腕をつかんできた。
「イデアお兄ちゃんはあたしのもの。ほかの誰にも渡さないし、こんな貧相な体のちびっ子を家に置くなんて認めないんだから!」
「リディアっ?」
ひょっとしてこれは、兄を取られまいとする妹心というやつか。だとすればかわいらしい反抗と言えるが、パンデクテスを放りだすわけにもいかない。なんとかして説得しなければ。
「いえ、イデアはワタシのマスターです! リディアのものではありません。それから貧相と言いマスが、まだ将来性には期待が持てるはずデス!」
「なっ、パンデクテスお前、張り合うつもりか……!?」
リディアとは逆側の腕にひしとつかまり、対抗の姿勢を見せるパンデクテス。
色々と言いたいことはあったが、とりあえず
「マスター? ……え、なんかのプレイ? お兄ちゃん、子どもにそんな特殊なのを強要してるの?」
「誤解だ誤解……! パンデクテス、ややこしくなるからお前は静かにしてろ!」
「嫌です、こればかりは譲れないデス。マスターを我が物と憚りなく宣うなどワタシにとっては宣戦布告にほかなりません!」
「でも暫定じゃん」
「暫定とは……言いまシタけど! ええ、イデアは暫定マスター、あくまで暫定デスけれどぉ~~……!」
「痛い痛い痛いっ、引っ張るな! 腕が! 腕がもげる!!」
「イデアが意地悪を言うからデス!」
こいつのどこにこんな力があったのか。しがみついた腕を本気で脱臼させかねない勢いで引っ張ってくるパンデクテスに対し、俺は振りほどこうと試みる。だがパンデクテスはぎゅうと親もいないくせに親の仇のように俺の腕を抱きしめており、同じく親のいない俺は助けを呼ぶこともできず、いよいよ大人気ない全力の膝蹴りをぶち込むしかないとなりふり構わない覚悟を決めかけたその時。
「変なことばっかり言って……! イデアお兄ちゃんはあたしだけのお兄ちゃんなんだもん!」
「ちょっ……!?」
あろうことか、逆側のリディアまで俺の腕ごと体を引っ張り出した——!
この先の顛末は想像に難くない。さあ、と全身から血の気が引いていくのを感じた。
「お兄ちゃんは渡さない! なにがパンパクパクよ、変な名前して! さっさと出て行きなさいよ泥棒猫ぉ!」
「兄妹そろってマトモなあだ名のセンスが皆無デスね! 泥棒もなにも、奪われたのはむしろワタシの方です! 迷宮で眠っていたワタシを起こして持ち去ったのはイデアなのデスから!」
「迷宮で出会ったの!? そんな
「待て、確かに変なやつではあるが……」
辛うじて返事をする。筋肉がみしみしと音を立てている。肉がちぎれるのが先か、関節が壊れるのが先か。リディアもパンデクテスもまるで加減というものがない。
ああ、まさか迷宮以外でくたばることになろうとは。
魔物にはらわたを喰いつくされるよりはまだマシな最期かもしれないが……いや、まだ諦めないぞ俺は。左右で取り合いになったことで両サイドから腕を引っ張られ、はたから見ればそういう組体操のポーズみたいになっている現状だが、しょせんは女子供の膂力である。
この程度、迷宮で鍛え上げられた俺の筋力を以てすれば——
「ちょっと!? なに同意してるんデスか! ワタシを売らないでくれた優しさはどこへ行ったのデスか!? 嫌デス、捨てないでください! 見捨てないでー!」
「
ごきん、と左肩で嫌な感覚。
「あ。ご、ごめんなさいデス」
「この……っ、ポンコツ! いてて」
「うぅ……」
ついに脱臼した。信じられない。マスターの肩を外すやつがあるか。
激痛に身もだえしていると、さすがにパンデクテスも腕を放してくれた。
「うわ、いたそー。これではっきりしたね、お兄ちゃんにふさわしいのはこのあたし。ていうかお兄ちゃん大丈夫? 病院行った方がいいんじゃない?」
「平気だ。肩くらいなら自分ではめられる……前に迷宮で両肩を同時に脱臼させる罠に引っかかったからな。対処法は身を以て体験済みだ」
「うーん、
まったくだ。同意のため息を吐きつつ、外れた肩を自力で戻す。よい子は真似しないように。
すると、パンデクテスがどこかぼんやりとした表情を浮かべていることに気付く。
どうかしたのか? 視線の先は……俺ではなくリディアだ。見られていることに気づいてか、リディアも怪訝そうに言った。
「ちょっと、なに見てるの? お兄ちゃん争奪戦に負けた哀れな泥棒猫、とっとと出てってちょうだい」
「リディア、アナタ……案外元気そうではないデスか。それならベッドで療養する必要もないのでは?」
「え?」
パンデクテスの指摘が予想外だったのか、リディアは目を丸くする。
だが、言われてみれば確かに。パンデクテスに負けじと俺を引っ張るリディアは溌剌そのものだった。
今日は体の調子がいいのだろうか。だとすれば、それは喜ばしいことだ。
しかしパンデクテスはわずかに険しさのこもった声で、重ねて言った。
「それに、こうして立ってみれば。リディアはイデアよりも背が高いんデスね」
「……なにが言いたいの? そういうことだってあるでしょ。別におかしくなんてない」
「ですが、昨日も思いましたが、アナタとイデアはあまりにも似ていない。だってアナタ——目の色も髪の色も、まるでイデアとは違うではないですか」
「——。それで?」
ごくわずかなリディアの沈黙。それが俺にはどこか、なにか決定的なことが起こる前の予兆……魔物の気配にも似た、危険の前触れのように思えてならなかった。
リディアに促されたパンデクテスは、黄金の
「アナタ、本当にイデアの妹ですか?」