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第16話 『予想外の反応』

「今、いいかな。セレイナさん」


 集中していてドアが開いたことにも気が付かなかったのか、俺が声をかけて初めてセレイナさんは書類から顔を上げ、俺を見た。

 品を思わせる紫がかった色の瞳が俺の姿を認めると、引き結ばれた唇だけが小さくほころぶ。しばらく顔を見せていなかったので心配をかけていたようだ。

 知り合った頃は事務的なばかりでとっつきにくい人だと感じていたが、最近は仕草や表情の変化からなんとなく感情がわかるようになってきた。要は態度に出づらいだけなのだ。

 とはいえ——


「イデアさん。お久しぶりです、遺物ギフトの取引をご所望ですか?」

「ああ、こいつだ」


 俺とセレイナさんを結ぶものは、遺物ギフトの売買。その一点のみ。

 つまりはビジネスの関係だ。友人などではないのだから、無駄な前置きや世間話などは必要あるまい。

 俺は懐から水晶に似たそれを取り出し、カウンターの上に置いた。


「拝見いたします。……どうやらわたくしに適性はないようです。一度本部へ鑑定に回す必要がございますね」

「構わないよ。別に今すぐ金が要るわけじゃない」


 セレイナさんに世話になり始めた時期、つまり五年前の頃はその日を生きる金がないなんてこともザラにあったので、鑑定が必要な品でも無理を言って前金をもらったりしていた。

 だが、今や俺もプロだ。そんな情けないことは頼まない。

 セレイナさんはアイシクル・サンクタムを手に取り、「冷たいですね」などとつぶやきながら矯めつ眇めつしている。


「正確なことは申せませんが……わたくしの見立てですと、希少級レアはあるように見えます。能力次第では至高級エピックも」

至高級エピック。そりゃすごい、そこまでとは思わなかった」

「あくまでわたくしの予想であって、鑑定に回してみないと実際のところはわかりません。過度な期待はお控えくださいますようお願いいたします」

「セレイナさんの目利きは信用できる。期待もするさ」

「……あ、ありがとうございます」


 おお、ちょっと照れてる。珍しいものを見た。

 しかし実際セレイナさんの見立てはいつも正しい。経験豊富な商会のエージェントは、自身に適性のない遺物ギフトであってもその目で見ればおおむねその等級がわかるのだという。

 俺にはとても真似のできない技能だった。遺物ギフトハンターとしてそれなりの数の遺物ギフトに触れてきたつもりだが、商会の人間には遠く及ばないということだろう。


「ま、とりあえず今回は鑑定に回してもらうってことでいいかな」

「はい、いつもご利用ありがとうございます。こちらが証明書の控えになります」

「どうも」


 形式的なやり取りを終える。もう慣れたものだ。

 あとは後日、鑑定を終えた頃に訪れれば代金を受け取ることができるだろう。

 個人的な信頼ではなくビジネスでつながる仲なのだから、するべきことを終えればここに居残る理由もない。遺物ギフトを渡した俺は踵を返し、部屋を出ようとする。


「イデアさん」

「——っ?」


 と。そこへ思いがけず声をかけられたものだから、俺は内心跳び上がるくらいに驚いた。


「……まだなにか? それとも、なにか手続きに不備でも?」


 ちょっと見栄を張ってしまい、なんでもないように振り向く。

 まさか呼び止められるとは思わなかった。なんだ、世間話が必要ないと思っていたのは俺だけだったのか?


「いえ、そのことではなく。以前からイデアさんにお話ししていただいていた、商主しょうしゅさまとの件ですが」

「——ああ、そのことか」


 そういえば、そんなことも話していた。

 プロメテウス商会。数多のコロニーに独自の流通経路を有する、遺物ギフトの売買を生業とする組織。顔はおろか名前すら不明なその商会のオーナーは、わずか一代でそれを成した。

 そんな正体不明の人物に俺は近づこうとしていた。商会が持つネットワークには、ある噂があった。

 ……だが。


「悪い、セレイナさん。その話はもういいんだ」

「えッ?」


 俺にとって最も優先すべきはリディアだ。兄とは妹を守るものであり、そうでなくてはならないのだから。

 わかっている。パンデクテスを売らないと決めた時点で俺は自己矛盾に陥っている。だがそのことについては、今は考えないことにした。


「ほかにするべきことがあってさ。ひょっとしてセレイナさんに不要な手間をかけさせてしまったかな。だとすれば申し訳ない」

「いえ、手間というほどのことは。ですが本当によろしいのですか? イデアさんは……」

「構わない。まあなんだ、何事も移り変わるってことで」


 諸行無常は人の心も同じこと。水が低きに流れるように、意志が移ろうこともあるだろう。

 なにも不思議な話ではないし、特別なこともなにもない、はず。


「……そう、ですか」


 なのに、どうしてか。

 俺たちは友人同士などではなく、遺物ギフトの売買というひとつの接点しか持たない仕事上の関係に過ぎないはずが——

 彼女の声はどこか、物悲しそうに聞こえたのだった。


 *


 営業所を出ると、パンデクテスは利口に待っていた。妙にそわそわした様子のパンデクテスを連れ、俺は家に帰るための帰路につく。

 昨日とは道筋が違うため、市場の方は通らない。ごつごつした道をパンデクテスをふたりで並んで往く。


「……本当によかったのデスか? ワタシを引き渡さないままで……」

「まだそんなこと言ってるのか。別にお前ひとり増えたところで支障はない。だいたいお前、遺物ギフトなんだから飯とか食わなくたって平気だろ?」


 我が家のエンゲル係数に影響はない。なら家計的にも大丈夫だ。


「それは、そうデスが。ずっと本の姿でいても、きっといつかはリディアにも気付かれます。そうなれば……」

「いや、リディアには帰ったらこのまま紹介すればいいだろ。そうすれば窮屈な本の姿でいることもない」

「えっ。い、いきなりデスか?」

「緊張でもしてるのか? らしくないな。大丈夫だ、リディアはきっとわかってくれる。優しい子だからな」

「そうだとよいのですが……」


 心配げに眉を寄せるパンデクテス。しかし、家に帰ればすべて杞憂に終わるだろう。

 むしろリディアのことだから、妹ができたと言って喜ぶのではないだろうか。兄想いで心根の優しい妹だ、どうあれ悪いことにはならないはず。

 そう思い、俺は家に着くとすぐにリディアの部屋へパンデクテスを連れていった。そして「今日からうちで過ごすパンデクテスだ」と紹介してみると、思った通りリディアの反応は——


「はぁ!? なにそれ、あたし聞いてないんだけど!! 無理無理、そんなのいいわけないじゃんっ!」


——ベッドから即座に身を起こし、青筋を立てながら金切り声で叫ぶ。

 思った……通り……ではなかった。

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