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第21話 『針を戻して』

 *


 リディアを連れ、借家から離れる。適当に街のそばまで来たところで、俺は足を止めた。


「……ここまでだ。一応聞いておくが、行くあてはあるのか」

「心配してくれてるの? 平気よ、実家に帰らせていただくわ。あんまり気は進まないけれど」

「なんだ、帰る場所あるんじゃねえか」


 放逐した結果、野垂れ死なれては俺が殺したも同然だ。それも目覚めが悪いので訊いてみたが、心配はいらないらしい。というか、実家があるのならわざわざ他人の懐に潜り込む真似などするなと言いたい。

 俺にはもう家どころか故郷さえないのだ。


「じゃあ、とっとと行け。もう顔を見せるなよ」

「そうさせてもらうわ。……ねえ、本当にあたしをこのまま逃がしていいの?」

「くどいぞ、俺は遺物ギフトハンターだって言っただろ。憂さ晴らしなんて意味のないことはしない。無駄にした金と時間は、迷宮の中で取り戻す」

「志が高いこと。まあ……お隣の相棒は怒り心頭みたいだけれど」

「イデア、このままリディアを行かせてよいのですか!? まだ兄としての情が残っているというのなら、このワタシに任せてくだサイ! 渾身のパンデクテスパンチを見舞わせてやります!!」

「なんでお前はそんなに血気盛んなんだ……?」


 ふっ、ふっ、とパンデクテスは拳を突き出す。シャドーボクシングのつもりらしいが、腰が入っていないどころかそもそも宙に浮いているせいで踏ん張りも効いていないので驚くほど弱そうだった。


「その子……パンデクテス、だっけ。生きている遺物ギフトなんてのがこの世にあるとはね。商会に売ればどれだけの値が付くのかしら」

「……おい」


 まさかこいつ、今度は金欲しさにパンデクテスを狙うつもりか。

 そう思って俺がにらみつけると、リディアは肩をすくめた。


「大丈夫、手は出さないわ。今度こそ無事じゃ済まされなさそうだもの。まったく、遺物ギフトを売らない遺物ギフトハンターとはね……」

「わかってるならいい。無駄話は終わりだ、早くいけ」

「ええ。さようなら」


 背を向け、街の方へと歩き出すリディア。

 デーグラムの町は広い。実家というのがどこにあるのかは知らないが、もう会うこともないだろう。

 ……と。二、三歩ほど歩いたところで、リディアははたと振り返った。


「お人よしのハンターさんに、ひとつだけ忠告」

「は?」


 忠告? なんのつもりだ。


「人の性質なんてものはね、簡単には変えられないの。それが心の核心に迫るものであればあるほど。たとえ、洗脳の能力を持つ遺物ギフトであってもね」

「……なにが言いたい?」

「あなたへの洗脳は効きすぎた。明らかに能力の影響範囲を超えて、あなたはあたしに尽くしてくれた。その義務感、責任感はおそらく、あなたが元来抱えている願いの裏返しなんじゃないかって思ったの」


 その言葉はまさしく核心を突いていた。

 そうとも。俺には願いがある。果たすべき目的がある。

『妹を養う』などという、洗脳によって植えつけられた偽りのものではなく。


「なにがあったか知らないけどさ。日ごとに迷宮に踏み入れる背中は、あたしにはまるで罰を求めてるみたいに見えた」

「見当はずれもいいところだよ、リディア。気のせいだ」

「あたしなんかよりずっと、あなたは歪みを抱えている。いっそあなた、あたしのために働く盲目な兄として生きるほうが幸せだったんじゃない?」

「抜かせ。俺の足を半年もの間止めさせたこと、恨んでないわけじゃない。俺の気が変わらないうちに消え失せろ」

「わ、怒っちゃった? はいはい、だったら悪党は退散しますよ~。じゃあせいぜい元気でね、おにーぃちゃん?」


 最後にそう言い残し、妹だった女は今度こそ踵を返して去っていく。

 あいつは俺の妹でもなんでもない。この半年の時間はすべて偽りだった。

 ……そうわかっているのに。俺を兄と呼ぶその声は、どこかまだ胸に甘い響きを残した。


「歪み、か」

「イデア?」


 パンデクテスは『逃がしてしまってよかったのか』とでも言いたげな、疑問を帯びた丸い瞳で見上げてくる。

 リディアに言った通り、恨んでいないわけではない。それは事実だ。

 だが同時に、責める気にもならなかった。それはたぶん……この半年の時間が偽りであると理解した上で、なお温かかったからに違いない。

 もう俺には帰る場所も、帰りを待つ家族もいない。そんな俺にとって、妹のために尽くす日々は優しくて、甘やかで、満ち足りていた。

 なんのことはない。この半年、真に救われていたのはリディアではなく——


「パンデクテス、商会の営業所に戻るぞ。今なら急げばまだ間に合う。その杖の遺物ギフトも売っておかないとな」

「あ……は、はい。わかりました」


——だがやはり、それは偽物の幸福だ。イデア・ウラシマにはすべきことがある。

 俺は確固たる足取りで土を踏む。パンデクテスもその後ろを付いてくる。

 夢から覚めたような心持ちだった。事実、この半年は夢を見ていたようなもの。それが悪夢だったのかそうでないのか——そんなのは今ここに立ちふさがる現実の前には些細なことだ。

 半年の時を巻き戻し、俺は本来の自分に戻った。

 つかの間の夢から脱して、元の生活を送るのだ。そう、誰のためでもなく自分のために生きる遺物ギフトハンターとして。

 すっきりとした頭で、俺はパンデクテスとともに営業所のドアを開く。


「あ、イデアさん? どうかしまし……えっ?」

「セレイナさん、さっきぶり。実はもうひとつ見てもらいたい遺物ギフトがあって……」

「その前に、その、イデアさん。あのぉ……」

「……?」


 するとセレイナさんはカウンターの向こうから、目をぱちくりさせながら俺を見つめた。

 正確には俺の隣を。


「イデア、ワタシは先ほどのように店の前で待っていた方がよかったのでは……」

「あ。忘れてた」


 この五年、いつも独りで来ている俺がいきなりこんな少女を連れてくれば、セレイナさんも疑問に思って当然だろう。

 だがまあ、パンデクテスにはいてもらわねば困る。


「どうしマスか、今からでも外へ出た方がよいですか?」

「いや、ここにいてくれ。いてくれないと都合が悪い」

「え? それって……」

「セレイナさん、軽く紹介だけするよ。こいつはパンデクテスだ。さっきも言ったが、遺物ギフトを見てもらいたくってさ。いいかな?」

「ええ、それは構いませんが。その遺物ギフトというのは?」


 まだ怪訝そうな表情のセレイナさん。女性にしては低めの声、スーツの似合うまっすぐ通った背筋に切れ長の目も相まって、知らない人間が見ればそこに事務的な冷たさを感じてしまいそうな雰囲気だが、彼女はこれが素であると五年の付き合いでわかっている。


「俺が売りたいのは、パンデクテス——」


 俺は隣のパンデクテスに目線を寄こす。

 どんな想像をしたのか、パンデクテスは俺が名を呼ぶとびくりと細い肩を震わせた。


「——が持ってるこの杖だ。ワンド・オブ・フォーチュンとかいう名前だそうなんだけど」


 パンデクテスが両手で抱える、ピンクの杖。俺がそれを渡すよう促すと、パンデクテスはことんとカウンターの上に置いた。

 そして、安心したように息を吐く。


「……う、売られるのかと思いました」

「アホ。見てもらいたい遺物ギフトはもうひとつだって言っただろ」


 俺がパンデクテスを売ろうとしたのは、妹にいい暮らしをさせてやるため。

 だがその妹自体が真っ赤な偽物だった。それなのに売るだとかやっぱり売らないだとか、我ながらバカバカしい葛藤をしていたものだ。

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