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『──パアーン!』
雷が地表に落ちたようなピストルの空砲音が、自身の鼓膜を刺激し、俺は驚きのあまり、
周りには体操服やジャージを着た生徒たちが
いや、正式には叫び声ではない。
誰かを応援している声のようだ。
俺は黙って、再び目を閉じて、その言葉たちを拾うように、そっと耳をすます。
「
その聞き慣れた名前に、俺の意識が一気に覚醒した。
「何、あの人速すぎだよ~?」
「こりゃ、二年負けたわ。アンカーにあんな子を出すなんて反則だよね」
俺が正式には目を覚ますと、今は白い大きなテントの中に、均等にずらりと並んであるパイプ椅子に腰かけていた。
その隣で、いつかの記憶がてら、見たことがある女子生徒二人が、何やら話をしている。
俺は足元にあるパイプ椅子から、前方へと視野を広げた。
バックヤードに目立つ茶髪の髪。
その髪が緩やかに左右に揺れる馬の尻尾のようなアクセを保ちながら、物凄いスピードで走っているヤツがいる。
ヤツの胸はメロンの玉のようにブルブルと震え、別の意味でも男の視線を釘付けにしていて、『ああ、その胸に飛び込んで溺れてみたい』とか、暴言を吐いている男子生徒もいた。
「女……いや、
「そうそう、彼女は先月転入したばかりの
分厚い眼鏡をかけた黒髪ツインテールの
「まあな。所で日向さん、今日は10月で体育祭なのか?」
「えっ? 今日は明日の体育の日に向けた、本番に備えての小体育祭だよ。リレーを重点的にして、昼過ぎには終わりだよ。
──んんっ、いきなりしゃがみこんでどうしたの?」
「ううっ。俺、無事に帰って来れたんだな……」
「……うわっ。何、泣いてんの。よく分からないけどマジでキモいわ。いいから泣き止んでよ……」
俺が地べたに座り、嬉しさのあまり、泣いている姿に対して、日向さんはツインテールの髪を指先でクルクルと巻きながら、冷静に
「……まるでボクが、洋一君からの告白をフッて泣かしてるみたいじゃん。ほらっ」
そんな俺に日向さんが白いハンカチを、こちらに手渡そうとする。
「いや、いらないよ。余計な誤解を招いたら、大損だからさ」
俺はやんわりと断り、手で涙を拭って、立ち上がる。
前回は、この日向さんと親しげにし過ぎて、可憐をあんな風に追い詰めた。
出来るだけ、彼女の感情の邪魔をする
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「──お疲れ様、可憐。今までになく、ぶっちぎりで速かったよ♪」
そうこうしている間に、俺の視線の先で校庭を走り終わった可憐が、茶髪の束ねた髪を振りほどいて汗を拭き、再度ポニーテールにし、ピンクのゴムでとめて、見覚えのある他の女子と仲良く会話をしている。
あの遠くからでも目立つ、金髪ショートの女子は間違いない、可憐の取りまきの一人の
「やだな。実里だって、明日は走るんだよ。アンカーの可憐に、うまく繋いでよね」
「ううっ、そう言われると緊張してきた。お腹痛い……」
「大丈夫? 薬飲む?」
「いや、いいよ。それよりさあ……」
「んっ、なに?」
「気づかない? さっきから、わたしらをずっと見ている男がいるんだよね……」
実里と俺が目が合い、ばつが悪くなった俺は、ひょいっと視線をそらす。
ヤバい、ついガン見してしまった……。
「ちょっと、あなた。わたしたちを、じっと見つめるなんて何様のつもり。新手のストーカー?」
その動作に勘づいた実里が俺に近づき、鋭い剣幕で、俺に
「まっ、待って。洋一さんは悪くないよ……」
「なっ、可憐、この男を知ってるの?」
「知ってるも何も、可憐が探していた昔の幼馴染みだから」
「はあ、あの若い男子が苦手なアンタが?」
これには強気だった実里もタジタジだ。
「……だから洋一さん。こうやって、また会えて嬉しいです。だから初めましてじゃないのですよ」
可憐が実里と俺の間に割って入り、にこやかな笑顔で俺を出迎える。
それはまさに、運命で繋がれた赤い糸のように見えて、穏やかな聖母のような微笑みだった。
その
俺たちに気を使ってくれたのだろうか……。
「……と言われても、昔のことですから、洋一さんは覚えてないかも知れませんが……」
「ああ、俺には小さい頃の記憶は
「洋一さん、覚えているのですね……」
すまん、可憐。
俺は嘘をついてしまった。
本当は幼少の時の記憶などない。
これは二度の人生を踏み越えて刻み込まれた記憶の一部だ。
そう、世の中は馬鹿正直に正論を述べても、通用しない時もある。
人生にしろ、何にしろ、世渡り上手でいかないと、やっていけない場合もあるからだ。
嘘も方便の言葉のように……。
「それじゃあ、洋一さん、明日の体育祭は頑張りましょうね」
「ああ、
「何ですか、その表現は? 正しくは
「いちいち本気にするな。冗談だ♪」
「そうですよね。本当、昔からこんな悪ふざけが好きだったですよね」
すると、ふらりとこちらに足元をおぼつかせた可憐が、俺の耳元に迫って、そっと囁く。
「──なら、あの時の約束は、まだ有限ですか……?」
それを聞いた瞬間、俺の脳内が氷漬けのようになる。
あの時ってなんだ?
可憐の言葉は俺を混乱させるばかりで、何を言っているかサッパリだった。
恋愛ベタな俺を、うまく利用して遊んでいるのか?
「うふふっ。じゃあ、また明日です~♪」
イタズラな笑みを
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『ベチン!』
そんな俺が、あれこれと考えている間に、強く背中をバーンと叩かれる。
「痛いな、少しは手加減しろよな。
「何で私って分かった?」
「あのなあ、こんな馴れ馴れしいことする男子はお前しかいないぜ」
「本当、少し目つきが悪いだけでこれだ。ボッチはつらいよな」
「……ボッチで悪かったな」
俺は能天気な表情をしている弥太郎に、怒りの
「まあ、そう怒るなよ。それよりも可憐ちゃんとは、うまくいきそうか?」
「さあな。俺の人生のやり直しは、これからだからな」
「……何、ジジクサイこと言ってるんだ?
まあ、それはともかく、うまくやれよな」
「ああ、言われなくても分かってる」
「どうだか。洋一は、いつもそう言うからな」
「うるせえ、俺の恋愛の価値観くらいは自分で決める!」
「出たぜ、
「俺は
日頃から穏和な考えの俺も、弥太郎の
「いんや、あいたた。悪い、あいたた、すまん、間違えました……」
「……分かればよろしい」
「ははっ、荒くれの
さて、そんなとんちんかんな野郎は放っておいて、明日は待ちに待った体育祭だ。
何はどうあれ、俺は今度こそうまくやって見せる。
そう決意して、拳を強く握りしめた……。