「──それでですね。昨日は中々眠れなくて……」
「窓から眺めた夜空は、月が綺麗でして、ついつい見入ってしまいまして……」
その元気な様子からだと、とても可憐は寝不足のようには見えない。
見かけによらず、ポーカーフェイスなのだろうか。
「そうか。月に行きたかったか。気持ちは分からないでもないぜ。毎日ウサギが作る、つきたての餅が食べられるからな」
「もう、餅はカロリーが高めですから、毎日食べていたら太りますよ」
「違いないな。今でもタプタプな体つきだからな」
「なっ、何をジロジロ見ているのですか」
「案ずるな。お前の胸の定期観察だ」
「何か、セクハラみたいに聞こえるのですが……?」
可憐が眉をしかめ、冷たい視線を投げかけながら、ふっくらとした胸を両腕で隠そうとするが、彼女の
「そりゃ、気のせいだ」
しかも、俺はともかく、可憐自身は昨日が初対面だとはいえ、実によく喋る。
可憐に対しては、もっと大人しいイメージがあったのだが、あれは猫を被っていただけで、こちらが本来の
だとすれば、一回目の人生での彼女の振る舞いは演じていたのか。
そう捉えると、何だか切ない気持ちになってくる。
それなら、今回は何が目的でこうやって接してきているのやら。
彼女には色々と謎が多かった……。
「じゃあ、可憐は体育祭の前に陸上部に顔を出すから、先に行きますね」
可憐が俺から離れ、軽やかに走って横断歩道を渡る。
ちょうど、青の信号機が点滅を始めていた。
「可憐、俺さあ……」
俺は、可憐を離してしまうような
──その
物凄い音を鳴らしながら、巨大な四角い固まりが、交差点から飛び出して、こちら側に突っ込んできた。
いや、その物体には巨大なタイヤが何本もついている。
あれは建築資材を運ぶ、大型車両のトラックだ。
トラックの運転手が、いきなり可憐の前で急ブレーキを踏み、その反動で荷台の縄が外れ、周囲に向かって、積荷が投げ出された。
それは無数の角材であり、俺のいる歩道に散らばる。
「可憐っ!!」
俺は名前を叫びながら、必死になって、可憐を目で追うが、角材に阻まれ、身動きが取れない。
俺の目先で近づく、トラックと可憐との距離。
「よ、
そのまま可憐は、トラックの下敷きとなった……。
****
どうして、こうなったのだろうか……。
俺が悪いのか。
俺が母さんと会ったから、こうなったのか……。
あの時、そうやって母さんとの接点を断っていれば、彼女は助かったのかも知れないのに……。
そう、心にキツい感情をぶつけても、俺のロボットのような心はピクリとも怯えなかった……。
──ここは九州地方、佐賀県の
──その院内の107号室の扉の前。
『
「あら、今日も来てくれたの?」
目の前の扉がスライドされ、花瓶を持った白衣の女性看護師が、俺の姿を見つけると、優しげな笑みを返してくる。
「本当、毎日、
看護師が花瓶の水を取り替えに、俺の側を抜ける。
その通りすがりに、彼女から、華やかな香水のような香りが漂ったが、特に気にも止めなかった。
俺は改めて、無駄に広い、個室の病室に入る。
その場の片隅には、白いベッドで安らかに眠る可憐がいた。
命には別状はない。
だが、事故の時に頭を強く打ったせいで、脳の神経などにダメージがかかり、可憐は植物人間になってしまった。
もう可憐は喋ることも、体を大きく動かすこともない。
もはや、人間であることを捨て、ただ、息をするだけの精巧な人形と一緒だ……。
****
「──ちょっと待ちなさいよ、アンタ!」
俺が病室を出ようとした時、ボサボサの金髪で、
「詳しい話は聞いたわよ。アンタ、可憐と一緒だったらしいじゃん」
「……そうだが、だからどうした?」
「アンタ、何で可憐を助けなかったのよ!」
「そんなこと言われても、俺には何もできなかった」
「あのね! アンタ、何をしでかしたのか分かってるの。何はどうあれ、周りのみんなは、アンタを凄く恨んでいるわよ!」
「何言ってるんだ。俺を恨んでも、彼女が元に戻るわけがないのにさ」
「……戻らないとは何よ!」
実里が俺の前に問いつめて腕を掴み、そのまま倒れこみ、前のめりになって、
ただの同級生が犠牲になったわりには、明らかに彼女の態度がおかしい。
「お前、まさか、可憐のことが好きだったのか……?」
「アンタに何が分かるのよ!」
実里の瞳から雫がこぼれ、俺の頬を濡らす。
「……あたしは、あの娘が好きで、お姉さんのような存在だった。何があれば、あの娘の親御さんの変わりに、
彼女は
「そうだ、アンタも可憐と同じ目にあわないと、分からないんだね?」
「くっ、苦しい……」
息ができない。
肺に酸素が入っていかない。
実里の両手から首を絞められ、俺の脳内は真っ白になりかけていた。
「ぐっ……ぐぅ……」
俺は彼女をのせたまま、何とか這いずりながら、看護師を呼ぼうとベッドわきにあるナースコールのボタンに手を伸ばす。
だが、指先が軽く触れるだけで、一向にボタンに届かない。
すると、その時、実里の腕から力が抜け、彼女はピクリと一回だけ
「ごほっ、ごほっ。実里、どうした?」
俺は咳き込みながら様子を探ると、実里の背中には鋭いナイフが刺さっていて、あっという間に制服のブレザーが真っ赤に滲みていく。
「──たく、余計な手間をさせて」
そう聞こえたような気がした。
それから、俺の視界が真っ暗になる。
どうやら何者かにより、後ろから目隠しをされ、さらに口を布で塞がれたようだ。
「彼女には死んでもらわないと困るよ。もちろん口が軽そうな君もね」
「……うっ!」
背中に熱い感覚を感じ、俺は床に転がった。
あまりの痛みの衝撃に
「これで君もさようなら」
しかし、ヘリウムガスを口に含んだような甲高い声では、性別の区別もできず、そのまま俺の意識は闇へと葬り去られた……。