中年の旅人・リュウセイと、悪魔の子・アルテミス。
二人は出会い、そして運命の旅が始まった──
……というわけでもなく
「いねえ!」
「いねえ!!」
「いねえええええええええ!!!」
「アルテミスがいねえぇっ!!」
街の外れにある崩れかけの廃墟。
そこでリュウセイは、一人で喉を枯らすほど叫び続けていた。
「ちくしょう……! 待ってろって言ったのに、なんでいねぇんだよ!」
──数時間前──
「なあ、アルテミス。お前は……どこに向かってるんだ?」
歩きながら、リュウセイがふと問いかけた。
その視線の先、少女は淡々と答える。
「大陸の最北。そこにある教会だ」
「教会? なんでまた、そんな場所に?」
「……呪いを解くため」
「呪い……?」
リュウセイは眉をひそめる。
「右目に、呪いがかけられているんだ」
アルテミスの目は前髪で隠れていて、確かに片目の様子はわからなかった。
「右目だけが真っ暗で、何も見えない。
それだけじゃない……ときどき、何かを訴えるように、強烈な痛みが走る。
これは呪いなんだと……そう言われた」
そう語る彼女の横顔は静かで、しかしどこか痛々しかった。
リュウセイは、ふと彼女の右手に視線を移す。
その手には、目よりも遥かに異様な気配が宿っている。
人智を超えた何か。──だが、あえて言及はしなかった。
「……なるほどな。
確かにその教会、北の果てにあるって聞いたことある。
だが、そこまでの道のりは相当厳しいぞ?」
「それでも、行かなくてはならない」
アルテミスの声には迷いがなかった。
その決意に、リュウセイは肩をすくめる。
「わかったよ。お前がどこへ行こうと、俺はついていく」
「……にしても、長旅になるな。
準備がいるだろ。物資も整えないといけねえし。
お前が街に入れば、また騒ぎになりかねねぇしな。俺が行ってくるよ」
「それに……セナにも顔を見せときたい。あいつ、心配してるだろうし」
「…………」
アルテミスは黙っていたままだった。
──中心都市・ステラ、中央広場──
広場の片隅に、セナがぽつんと佇んでいた。
そしてリュウセイの姿を見つけた瞬間──
「リュウセイさん! よかった、無事だったんですね!」
歓喜の声とともに、勢いよく駆け寄ってくる。
「ああ。心配かけたな」
「ところで……アルテミスはどうなったんですか?」
リュウセイは、これまでの経緯を簡単にセナに話して聞かせた。
「アルテミスと、和解……ですか。
……にわかには信じられませんね」
「案外、話してみれば分かるやつだったよ」
「アルテミスも気になりますが……あの“天使”と名乗る存在。
あれは魔物とはまったく違う。いったい何者なんでしょうか」
セナも一瞬、あの戦場に立ち会い、“天使”と接触している。
その短い時間だけでも察せるほど、アルテミス以上に異質で、圧倒的に危険な存在だった。
「たぶん、今後も別の“天使”が現れると思う」
「なっ……!? あれだけじゃないんですか!?」
セナの顔が青ざめる。
「アルテミスと旅して、さらにそれを上回る存在と戦うなんて……危険すぎますよ!」
「アルテミスは危険じゃねぇよ」
リュウセイははっきりと否定する。
「それに、俺にはどうしても会わなきゃならねぇ奴がいる。
そいつに会うためには、アルテミスと一緒に旅を続ける必要があるんだ」
「……とはいえ、北の教会までは果てしない道のりです」
セナは落ち着いた声で続けた。
「現在僕たちがいるのは、大陸の中心都市・ステラ。
そこから北へ進むと、まず森があり──
森を抜けた先に小さな村“ツィンクル“があります。
さらにその奥には、山を越えて“交易都市グローム”。
そして広大な荒野を越えた果てに……“北の教会”があるのです」
「まあ、アルテミスが行きたいって言うなら、俺はついてくだけさ」
リュウセイは肩をすくめて笑った。
そしてふと、ひとつの疑問が浮かぶ。
「そういや、アースとその仲間たちはどこ行った?」
「彼らは今、宿で休息中です。
あと……アースから、剣をいただきました」
「剣? ああ、す、すまん……お前から借りた剣、壊しちまったんだ……」
レミエルとの死闘の末に折れてしまった安物の剣。
セナから拝借した、交換条件のつもりだったが──
しかしセナは気にした様子もなく、新たな剣を取り出す。
その目はむしろ、嬉しそうですらあった。
「レイピア……か」
細身で、刺突に特化した片手剣。
軽量かつ鋭利なその剣は、セナの戦い方に合っている。
「アースが言ってました。
『お前は非力だが素早く、能力でトリッキーな戦いもできる。
普通の剣よりこっちの方が向いてるだろう。
仲間を助けてくれた礼だ。そして……首飾りを奪ったのは悪かった』って」
「へぇ……あいつ、意外と義理堅いな」
リュウセイは少し驚いたようにつぶやく。
乱暴で短絡的な男だったが、根は律儀な一面もあるようだ。
「それじゃあ、ここでお別れですね。
僕は西の果てを目指します。……もう会うことはないかもしれませんが、どうかご無事で」
「おう。お前に会えて良かった。
お前の旅も、無事に終わるといいな」
たまたま街で出会った二人。
奇しくも行動を共にする時間が多かったが、ここでそれぞれの道を歩む。
その後、リュウセイは街の中で必要な物資を買い揃え──
再び、あの廃墟へ。アルテミスの待つ場所へと向かっていった。
──そして現在──
街の外れに、一人取り残されたリュウセイ。
「……いや、たしかに俺も悪い。数時間も待たせちまったのは謝る。
だけどよ、勝手に一人で行くなんて、そりゃあダメだろ……!」
声に苛立ちと焦りが混ざる。
「お前を狙ってるやつは山ほどいるんだ。
それに……またあの“天使”が現れたら、どうすんだよ……!」
拳を握りしめ、地面を蹴るように踏み鳴らす。
だが──
彼女がどこに向かったのかは、わかっている。
「……北の教会、か」
──森──
リュウセイの予想は的中していた。
アルテミスは一人、深い森の中を黙々と歩いていた。
森は、ひどく静かだった。
高くそびえる木々は枝葉を絡ませ、空を覆い隠す。
わずかな光が、緑のフィルターを通して細く差し込み、地面に淡い筋を描いていた。
その幻想的な光景の中を、アルテミスは迷いのない足取りで進んでいく。
やがて──
細道の向かい側から、二人の少女の冒険者が現れた。
一人は、背が高く筋肉質な剣士。軽装の鎧を身にまとい、堂々とした体躯。
もう一人は、小柄で杖を手にした少女。アルテミスと背格好はあまり変わらない。
少女たちはアルテミスの姿を見て、ぴたりと足を止めた。
「あ、あれ……アルテミス!?」
声が震える。
恐怖に足がすくんだのか、その場から動けなくなってしまう二人。
だが──
アルテミスは何の反応も示さず、ただ背を向けて歩き去ろうとした。
まるで彼女たちの存在など、最初からなかったかのように。
「ま、待って!」
剣士の少女が声をかける。
その声に、アルテミスはぴたりと足を止め、ゆっくりと振り返った。
「ん……?」
「あなた……アルテミス、だよね?」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
杖の少女が引き止めようとするが──
「大丈夫だって!」
剣士の少女は恐れることなく、アルテミスに近づいていく。
「そうだ。私はアルテミスだ」
「やっぱり! 本物だ!!」
目を輝かせながら少女は声を弾ませる。
その反応に、アルテミスはわずかに困惑する。
「えっと……ごめんね、どこかに向かってる途中だったよね?
呼び止めちゃって。でも、どうしても渡したくて……これ!」
少女が差し出したのは、手のひらに収まる小さな包み。
「チョコレート! 好きだったでしょ?」
「……あ、ああ。ありがとう」
アルテミスはその包みを受け取る。
「じゃあねっ!」
そう言って、少女たちは手を振りながら森の奥へと消えていった。
再び歩き出したアルテミスは、道すがら包みを開く。
中には、小さなチョコレートが四粒ほど入っていた。
一粒をつまみ、そっと口へと運ぶ。
とろけるような舌触り。
そして口いっぱいに広がる、優しく甘い香り──
思わず、頬がゆるむ。
「……おいしい」
その味には、どこか懐かしさがあった。
遠い記憶のどこかに触れたような、そんな感覚。
だが──その幸せなひとときは、長くは続かなかった。
ふと、目の前に現れた“影”。
この気配──忘れるはずがない。
現れたのは、紅い髪、逞しい体格。
翼をもち、神話に登場する戦神のような風貌。
だがその目は、生気のない無機質な輝きを放っていた。
「よぉっ、アルテミス!!」
男は笑った。
「俺の名前はミカエル! お前をぶっ倒しに来た!!」
「──天使……!」
アルテミスの瞳が鋭く光った。