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3章

第8話 休息

「よし、山も越えられたな。天使とも冒険者とも戦わずに済んでよかった」


リュウセイとアルテミスは、大きな街の中を歩いていた。

そこは交易都市【グローム】――。


東には青く光る海が広がり、港には貿易船が頻繁に出入りしている。

西には切り立った山々が壁のようにそびえ、都市の背後を守る天然の盾となっていた。

低地の市場は人々でごった返し、坂道の多い西側には富裕層の屋敷や職人街が並ぶ。


「軽く見た限り、冒険者は少なそうだな。騒ぎにもならなさそうだ」

リュウセイが周囲を確認しながら言う。

「この街で休憩して、荒野を越えれば目的地の北の教会だ」

「ああ……あと少しだ」


ここが、目的地前の最後の拠点になるだろう。


・・・・・・・・・・・・


―とある場所―


「は、早い……もうここまで来たのか」

「冒険者もいない……どうなっている?」

「三体目の準備はまだか!?」

「まだ調整に時間がかかっています」

「アルテミスが向かっているのは北の教会……これは偶然なのか?」

「まずい、また暴走するかもしれん」

「仕方ない。『時間稼ぎ』をしよう……なるべく自然な形で」


・・・・・・・・・・・・


―交易都市【グローム】―


リュウセイとアルテミスは都市の北の出口へ向かった――が。


「……通行止め!?」

二人は思わず声をそろえた。


「はい、申し訳ありません」

通行止めの前に立つ住人が深く頭を下げる。

「現在、北の出口方面の路上は土砂崩れがあり修復中です。同様の理由で、安全面から冒険者向けの船もすべて休業中です」


「まいったな……」

リュウセイが眉をひそめる。


「修復はいつ終わる?」

アルテミスが尋ねた。


「はい、明日には通れるようになる予定です」


北の教会へ行くには、この出口しかない。

ならば――。


「ここで待つしかないか」

リュウセイが提案する。

だがアルテミスは首を振った。

「……私は一刻も早く教会に向かいたい。外から回り込むことはできないのか?」


東は海、西は険しい山。遠回りは可能だが、日が暮れてしまうだろう。


「まあ待て。ここのところずっと戦い続きだっただろ?」

リュウセイは穏やかな声で宥める。

「たまには街の中でゆっくりするのも悪くない」


「……わかった」

渋々ながらも、アルテミスは頷いた。


「よし、いい子だ。それに、俺の予想じゃ今は天使は来ない。挑んでくる冒険者も、俺たちに勝てるやつはそうはいないさ。」

「街にいるのはほとんどがNPCだしな」


「NPC?」


「あ、いや……今のは忘れてくれ」


・・・・・・・・・・・


ー洋服屋 エトワールー


「なあ、リュウセイ……これは一体どういうことだ?」


アルテミスは深く溜め息をついた。黒と白のフリルに包まれたその姿は、普段の黒ずくめの戦闘服とは正反対だ。右手の爪をカツンと床に立て、苛立ちを隠しきれない様子で視線を逸らす。


「ああ、それは『メイド服』っていうんだ」

「はい、とってもお似合いですよ」店員も頷く。


「そんなことは聞いていない! なぜこれを着せられているんだ、私は!」

「俺の趣味だ!」リュウセイは胸を張って言い放つ。

「大声で言うな!」アルテミスは呆れたように声を上げた。


「でも、ちゃんと着てくれるんだな」

「そ、それは……理由はわからんが、着なくてはならない気がしてだな」


白いフリルはやけに目立ち、柔らかな布地は肌になじまず、違和感ばかりが残る。アルテミスは落ち着かない様子で裾をつまむ。


「動きづらい……うう……何か嫌なことを思い出しそうだ」

「……!?」

リュウセイの表情が一瞬険しくなる。脳裏に、闇に包まれた邪悪な影がよぎった。


「あ、ああ! すまん! もう着替えていい! 俺の趣味に付き合ってくれてありがとな!」


・・・・・・・・・・・・


洋服屋を出る二人。


「まったく……変な格好をさせて」

「はは、悪かったよ。でも可愛かったぞ」

アルテミスは小さくため息をつくが、ほんのわずかに頬を染めていた。


「じゃあ次はお前の行きたいところでいい」

周囲を見渡したアルテミスが、目を輝かせて指を差す。

「リュウセイ、私はあそこに行きたいぞ!」

指の先には――。


「猫カフェ……」リュウセイの表情が固まる。

「俺には重大な弱点がある。実は動物が苦手でな……」

「よし、入るぞ」

その言葉を最後まで聞かず、アルテミスは扉を押し開けた。


・・・・・・・・・


ー猫カフェ スペースキャットー


木の温もりが漂う店内は、ふわふわの毛並みを持つ猫たちでいっぱいだった。

日差しが床に斑模様を描き、そこに猫がごろりと寝そべる。別の猫は棚の上から尻尾を垂らし、のんびりと瞬きをしている。


アルテミスはそっと右手を伸ばした。黒く変色した指先を猫が怖がるかと思いきや――その一匹はためらいもなく近づき、頭をすり寄せてきた。


「……ふふ、こいつ、意外と大胆だな」

頬がわずかに緩む。撫でると、小さく喉を鳴らし、さらに身体を押しつけてくる。

「……まあ、悪くないな」


すると、他の猫たちも集まってきた。

一匹、また一匹……いつの間にかアルテミスの周りは猫だらけになり、彼女の口元には優しい笑みが浮かんでいた。


「ふふ……お前たち、意外と可愛いじゃないか」

いつもの鋭い目つきは消え、指先は柔らかな毛並みを何度も撫で続ける。


一方のリュウセイは――。

「おわっ!?」背後から黒猫が飛びつき、腕をガジガジとかじってきた。

「やめろって!」慌てて外そうとした瞬間、別の猫が足元にしがみつく。さらにもう一匹がシャツによじ登り、尻尾で顔をバシバシ叩いてきた。


「なんで俺にだけ敵意むき出しなんだよ!」

「よっぽど嫌われてるみたいだな」膝の上の猫を撫でながら、アルテミスがくすりと笑う。


・・・・・・・・・


帰り際、物販コーナーで足を止めたアルテミスの視線は、白の毛並みのぬいぐるみに釘付けだった。

「……」

「どうした?」

リュウセイが首を傾げる。

アルテミスは答えず、手に取ったぬいぐるみの感触を確かめる。


「ああ、それは当店のマスコット『ねこねこ』です。プレゼントにも人気ですよ」

店員が説明した。


「じゃあ、これのLサイズを」

「リュ、リュウセイ……いいのか?」

「ああ」

「……ありがとう」

そう言ってぬいぐるみを抱きしめたアルテミスは、当然のようにそれをリュウセイに渡した。


「……って、おい! 俺が持つのか!」

「そうだ。私が影に隠れる時は持ち込めないからな。しっかり、ねこねこも守るんだぞ」


・・・・・・


「リュウセイ、次は展望台だ」

「なんだよ、またお前の行きたいところか……」

「リュウセイ、次は……」

「リュウセイ……」


賑わう街並みを歩きながら、アルテミスは子供のように次の目的地を口にする。

リュウセイは、そんな声に重なる別の声を思い出していた。


(お兄ちゃん……お兄ちゃん……!)


胸の奥に、遠い記憶が疼く。

(あいつがもし生きていたら……こんな未来もあったのかもしれない)


隣を歩くアルテミスは、初めて出会った頃の冷たさが嘘のように、表情も言葉も豊かになっていた。

――これが、彼女本来の姿なのか。


……いや。


・・・・・・・・・・・


『お前たち! 絶対に許さない!! 全て……破壊してやる!! こんな世界!』


・・・・・・・・・・・


「……イ」

「……セイ」

「リュウセイ!!」


「ん? どうした?」


「どうしたじゃない! 早くメニューを決めろ!」


「あ、ああ……じゃあペペロンチーノで」

「かしこまりました」


二人が入ったのは、街中の小さな飲食店。

気づけば空は淡いオレンジと紫に染まり、西の端では夕日が沈みかけていた。街の影は長く伸び、店内にも柔らかな光が差し込んでいる。


料理を待つ間、アルテミスの視線が一点に留まっていた。

「ん? また何か気になるものがあるのか?」


彼女が見ていたのは、壁に貼られた大きなポスター――冒険者ランキング。

十人の名と写真が並び、その中には以前遭遇した『アース』と仲間たち、そして先日叩きのめした『ギンガ』の姿もあった。


「なあリュウセイ。お前、以前“追っているやつがいる”って言ってたよな? そいつは私を狙ってるとも……この中にいるのか?」


リュウセイの表情がわずかに険しくなる。

「……ああ。いる。ランキングNo.2『オリオン』……!」


巨大な体に無数の傷跡。民族衣装を思わせる服装に、背中には象徴的な巨大な剣――。


「なんで追ってるんだ?」

「俺の大切なものを奪った。……そしてこれからも奪い続ける。俺だけじゃない、世界中の人間からもだ」


「強いのか?」

「……大丈夫だ。俺の方が強い」


「じゃあランキングNo.1の『ナガレ』とリュウセイ、どっちが強い?」

「さあな……」

リュウセイは小さく笑う。


「『ナガレ』はもう引退したから」


ランキングNo.1――『ナガレ』。

流浪人のような出で立ち。細身ながら鋭い顔つきで、手にした刀を天に掲げている。


「……ん? この『ナガレ』ってやつの刀、リュウセイと同じじゃないか?」


リュウセイの愛刀、大業物【天叢雲】。

その同じ刀を、『ナガレ』も手にしていた。


「そうだな……」


「『ナガレ』は私を狙ったりしないか?」

「大丈夫だ。ナガレはお前を傷つけない。……それどころか、守ってくれるかもしれない」


「?」

首を傾げるアルテミス。


「あ、『ナガレ』さんのことですか?」

ポスターの前に立っていた女性が声をかけてきた。


「『ナガレ』さんは刀を使う冒険者で、素早く、攻撃を当てることが不可能と呼ばれた見切りの天才です。雷鳴轟く嵐の中、すべての雷を避けたという逸話はいまでも語り継がれています。そして――戦いを一瞬で終わらせることから、“流星の悪魔”とも呼ばれていました」


「……リュウセイ、悪魔。私たちみたいだな」

「ははは……」


「2位以下ですか? すみません、私、1位しか興味がないんです」

そう言って女性は再びポスターの前に戻っていった。


「それより、俺からも聞かせてくれ。お前のことを」


「私か?」


「まずは、お前の能力についてだ」


「能力【影間移動】のことか」


「基本や能力の解放は分かっているが……一つ気になることがある」


「気になること?」


「ああ。【夜】になるとどうなる? 暗闇全部が能力範囲になるのか、それとも光があっての影でないと発動できないのか?」


「……分からない」


「え?」

思わぬ答えに、リュウセイは目を瞬かせる。


「【夜】を経験したことがないんだ。日没と同時に、どうにも抗えない眠気が襲ってくる」


「【アルテミス】って名前なのにか?」


「名前は関係ないだろう」


「そういえば……ツィンクルの村でも日没と同時に眠ってたな」

リュウセイは腕を組み、眉を寄せる。

(じゃあこの疑問は解けず、か……いや、それより“なぜ夜になると眠るのか”の方が問題だ)


「次は、その右目の呪いについてだ。誰が、なぜそんな呪いをかけた?」


アルテミスはわずかに視線を落とした。

「……それも分からない。気づいた時にはもう、視界が真っ暗で何も見えなくなっていた。ただ――非常に強力な呪いだとだけ、聞いた」


「誰から?」


「お前と会った街、『ステラ』の住人だ。一部は……私を恐れずに接してくれた」


(恐れられる存在の彼女に普通に接する……それはおそらく……)


「じゃあ次は、その右手だ」


アルテミスの右腕は肘から下が黒く禍々しい形をしており、時に形を変える。


「私の意思である程度変形できる。爪を鋭くしたり、身体ほどの大きさにしたり。硬度も高いから、攻撃を防ぐこともできる」


「……『以前』はそんなのなかったよな?」


「『以前?』」


「あ、いや……忘れてくれ」


その時――。


「お待たせしました。ペペロンチーノと、チョコレートパンケーキです」


会話を断ち切るように、香ばしい匂いとともに料理が運ばれてきた。


「お前、夕食でもそんな甘いものを食べるのか。俺のペペロンチーノ、少し食べるか?」

リュウセイは呆れたように眉を上げる。


「いやだ。私は辛いものが苦手だ」


アルテミスは迷いなくフォークを取り、パンケーキを口へ運ぶ。

ふわふわの生地に甘みとほろ苦さが溶け合い、舌の上で広がっていく。

その瞬間――。


「♪」


満面の笑み。

その表情を見て、リュウセイの口元にも自然と笑みが浮かんだ。

「お前も……こんな顔をするんだな。戦いを除けば、普通の女の子だ」

――少し前まで、鋭く悲しげな目をしていたのに。


「当然だ。だって私は感情を持ったエーア……」


言葉の途中で、アルテミスの目つきが変わる。

先ほどまでの柔らかさが消え、まるで別人のような冷たさが宿った。


「アルテミス……どうした?」


「……そうだ。何か……大事なことを忘れている……私の正体は……!」


声が震え、表情は険しさを増していく。

フォークが手から滑り、皿の上で乾いた音を立てた。


「おい!?」

身を乗り出した瞬間、アルテミスの体がぐったりと力を失い、テーブルに崩れ落ちる。


「アルテミス! おい、アルテミス!!」


「……すぅ、すぅ……」


リュウセイは呆然と息を呑んだ。

窓の外を見ると、すでに日は沈み、夜の帳が街を包んでいた。


「……やっぱり、お前は」



(今日は楽しかった)

(こんなに笑ったのは、いつぶりだろう)

(……以前も、誰かと一緒に笑っていた気がする)


―アルテミス、絶対に忘れるな! 自分の罪を!―


「!?」


アルテミスは布団の上で飛び起きた。

額から背中まで、汗がびっしょりと流れている。


「はぁ……はぁ……今のは……? ここは……」


辺りを見渡すと、そこは宿屋の一室らしい。


「アルテミス! 大丈夫か!?」

外からリュウセイの声がする。


「あ、ああ……大丈夫だ。少し待ってくれ」



やがて二人は支度を整え、宿を後にした。


「大変ご迷惑をおかけしました。道の修復が終わり、通れるようになりましたよ」

街の住人が道を開ける。



荒野を進む二人。

北の教会まで、あと少し――。


無言のまま進んだ先で、影が立ちはだかった。


褐色の肌、肩まで伸びた金の長髪。

大人びた顔立ちと大きな体躯。

左手には、湾曲した巨大な鎌。

そして、冷たい光を宿す無機質な瞳と、背に広がる翼。


「リュウセイ……」


「ああ、分かってる。天使だ。それも、とびきりヤバいやつだ」


唇の端をわずかに上げ、男は名乗った。

「やあ――私の名はガブリエル。君たちの旅の終焉を告げる者だ」

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