目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第4話 逆ギレ

翌朝、早乙女綾斗はいつもより早く目を覚まし、荷物の整理を始めようとしていた。だが書斎を出ると、キッチンから料理の音が聞こえてきた。これはおかしい。今日は家政婦が休みのはずだし、早乙女織奈が自分で料理をするなんて考えられない。包丁で野菜を刻む音を聞きながら、綾斗はますます不審に思った。まさか、本当に織奈なのか?


だが、キッチンに向かう途中、エプロン姿の時雨龍介が湯気の立つ朝食を手にして現れた。


「早乙女専務……?」


二人は目が合い、互いに驚きを隠せなかった。特に綾斗は信じられない思いだった。織奈がこんなに堂々と龍介を家に招き入れるなんて。綾斗の顔はみるみる険しくなった。


「お前、どうしてここにいる?」


龍介は一瞬気まずそうに手元を揺らしたが、すぐに笑顔を作った。「織奈さんから、綾斗さんは出勤していないって聞いたので、ちょっと……」


「俺がいなければ、好き勝手に家に上がり込んでいいってことか?」綾斗は睨みつけた。「出ていけ。」


綾斗の迫力に、龍介は思わず一歩後ずさる。


「出ていけ。」綾斗はもう一度、冷たく言い放った。


だが今度は龍介も怯まず、綾斗をまっすぐ見据えて言い返した。「早乙女専務、この家のことを決めるのはあなただけじゃないでしょう?僕を追い出したいなら、まず織奈さんの意見を聞くべきじゃありませんか?」


綾斗は一歩踏み出し、威圧的なまなざしを向ける。「三度目はない。俺の我慢が切れる前に、さっさと出て行け。」


龍介は一瞬驚いたが、突然傷ついたような表情を見せ、二階へ向かって声を張り上げた。「織奈さん、綾斗さんが僕を誤解してるみたいです……」


シルクのナイトガウンが手すりに擦れる音が近づき、織奈が階段を降りてきた。鎖骨には新しい噛み跡が紫色に滲み、青いスカーフが首筋の赤い痕を隠すようにかかっている。「何騒いでるの?龍介を呼んだのは私よ。なんでそんなに怒ってるの?それに、あなたも大人だけど、彼はもっと若いんだし、そんなに怖がらせないで。」


織奈は大きめのシルクのショールを肩にかけ直した。綾斗は彼女が少しふっくらしたことに気づき、薄いベージュのナイトガウンの腰回りがわずかに膨らんでいるのが目に入った。わざとゆったりしたデザインにしているようだった。


「彼を呼んだのはなぜだ?」


「料理をお願いしたのよ。」織奈は平然と答えた。「家政婦がいないし、あなたは仕事で出かけるし、私は料理できないから龍介に朝食を作ってもらったの。それに、ついでに両家のビジネスの話もしたかったし。まさか今日、あなたが家にいるとは思わなかったわ。」


ビジネスの話については、綾斗も知っていた。早乙女財閥と時雨家は半年前から提携関係にあった。つまり、織奈はその頃から龍介と親しくなっていたのだろう。さらに、数日前に届いた株式譲渡の通知が頭をよぎった――時雨キャピタルが早乙女財閥の株を2%追加取得したのだ。


「出ていけ。」綾斗の声は冷たく硬い。


綾斗の強硬な態度に、織奈は明らかに不機嫌になった。「綾斗、どういうつもり?お客さんに対してその態度はないでしょ。それに、龍介は私の弟分なのよ。少しは私の顔も立ててくれていいじゃない。」


綾斗は心の中で冷笑した。顔を立てろだと?俺の立場はどうなる。


二人の間には重苦しい沈黙が流れた。すると、龍介が悲しそうな顔で言った。「織奈さん、僕は帰ります。ここにいても、あなたと綾斗さんの関係を悪くするだけだし、あなたに迷惑をかけたくないから。」


龍介は出ていこうとしたが、織奈がその手首をしっかりと掴んだ。「行かないで。」織奈は綾斗を睨みつける。「彼は本当に気が利くのよ。あなたはいつも疑い深すぎる。そんなの誰だって嫌になるわ。」


綾斗は無表情のまま、「じゃあ、俺が出ていく」と言った。


「待ちなさい!」織奈は慌てて龍介の手を放し、「龍介、先に車で待ってて。ちょっと綾斗と話すから。」


龍介は素直にうなずき、名残惜しそうな顔で「うん、待ってる」と言って出ていった。


織奈は安心させるように微笑み、龍介を見送った。


綾斗と織奈はダイニングテーブルを挟んで向き合う。綾斗は、今日こそ全てはっきりさせようと決めていた。だが、織奈の口から出た最初の言葉は、彼を完全に虚を突かせた。


「私、妊娠してるの。もう2ヶ月以上になるわ。」織奈はふっくらとしたお腹に手を当て、「昨日、検査結果をもらったの。」


彼女は検査結果の用紙を差し出した。そこに記載されたHCGの値が、綾斗の目に鋭く突き刺さる。ふと、2ヶ月前の社長会議の日を思い出した。織奈はある案件で綾斗とひどく口論になり、「この会社はあなたのものじゃない!出ていきなさい!」と怒鳴って社長室に籠った。その夜、防犯カメラには、時雨龍介のベンツが深夜2時に駐車場を出ていく姿が映っていた。


あの時、綾斗はスイスにいた。アルプスの麓で精密機器工場の買収を成功させるべく、23日間休みなく働いていた。その間、龍介のSNSはプーケットからの投稿ばかりで、そこには織奈と一緒にビーチで遊ぶ写真が並んでいた。


「これで後継者ができたわ。」織奈は微笑みながら綾斗の手を握り、現実に引き戻した。いつの間にか、織奈の左手には結婚指輪が戻っている。「だから、もう私たち、くだらないことで喧嘩するのはやめましょう?これからは仲良くやっていけるでしょう?」


綾斗は勢いよく手を引いた。織奈は困惑した表情を見せる。「どうしたの?」


「ずっと子どもが欲しいって言ってたじゃない。やっと赤ちゃんができたのに、嬉しくないの?」


綾斗は手のひらを強く握りしめ、目には怒りが滲んだ。「織奈、2ヶ月前、俺はスイスにいた。その後も君とは一度も……」言葉を濁し、織奈の反応を見た。


だが、織奈は少しも動揺せず、「そうよ、だからもう2ヶ月になるの。忘れたの?2ヶ月半前の夜、家のソファで……」


「覚えてる。」綾斗は遮った。だが、それだけで子どもが自分のだと証明できるわけがない。しかも、織奈は痛みを怖がって子どもを作るのを嫌がっていたから、毎回きちんと対策をしていた。この子どもは……。


「NT検査の結果を見せろ。」綾斗の言葉に、織奈は一瞬固まる。


次の瞬間、織奈はけたたましく笑い出した。「専務は今や妊婦検診まで監査するつもり?綾斗、そこまで疑わなくてもいいでしょう?まさか、この子があなたの子どもじゃないとでも?」


「じゃなきゃどうなんだ?」


織奈の表情が一気に崩れ、今にも泣き出しそうになった。「綾斗、最低!」彼女は手元のティッシュを掴んで綾斗に投げつけた。「この子があなたの子じゃなかったら誰の子なのよ!私はあなたの妻よ。どうしてそんなひどいことが言えるの?まさか、あなたこそ他に女がいるんじゃないの?答えてよ!」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?