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第11話 ノアール、再び



「今日は楽しかった!」

「それは良かった。案内を買って出た甲斐があったよ」



 時刻は夜。紺色が空を覆いつくす今は悪魔の活動時間に適していると天使のネロは言うが、限られた種族だけであって魔族であるリシェルには該当しない。主に夜に行動するのは吸血鬼などといった日光に弱い種族だけ。朝も夜も平気な魔族はどんな時間帯でも行動をする。

 リゼルが魔界に戻った後は、先に街に滞在していたネロに案内をしてもらった。途中、気になった店に入っては欲しいと感じた品物を購入していった。財布の管理はリゼルがしていたが、後でリゼルに請求するからと全てネロが支払った。

 天界と魔界の通貨が同じ……なわけがなく、また、人間界の通貨も違う。リゼルが戻ったら請求される。

 夕食も終え、部屋でのんびりと過ごすリシェルとネロ。今頃リゼルは何をしているのか。エルネストはリゼルの言葉に疑問を抱かない。悪魔狩りの追試を信じ、即対応をするだろうが問題は周囲。追試が行われるという情報源を何処から得たのかと他の魔族達が問い質しそうだ。



「悪魔狩りの追試が何時起きるか不安だわ……」

「通常の悪魔狩りと同じで、始まりの合図はあるよ。まあ、何時になるかはお楽しみ」

「……」



 機密情報を教えてくれただけで感謝をするのが当然なのに、ネロの言い方に意地悪さを感じてしまう自分が嫌になってしまった。急に黙ってしまったのを心配してか、ネロが顔を覗き込む。一切の混じりっ気がない純銀の瞳に見つめられると何もかもを見透かされた感覚になる。至近距離からか、若干頬が熱くなってきた。どうしたの、と声を掛けられても何を言うべきか。

 考えても答えはなかった。思っている事をそのまま言葉にしたらネロは可愛い物を見る目で微笑んだ。



「はは。リシェル嬢は可愛いね。君は魔族でありながら性格は人間に近い。いや、リゼ君が過保護に育てたせいかな」

「人間は私みたいに我儘じゃないでしょう?」

「君の言う我儘って例えば?」

「ええっと。欲しい物の値段が高かった」

「人間も天使も同じだよ」

「美味しいご飯以外食べたくない」

「同じだよ」

「パパともっと一緒にいたい」

「同じ」

「……私も、殿下とデートしたかった」

「婚約者とって意味? なら、結局は同じだよ。人間も天使も好きな相手と一緒にいたいと思うのは同じ。悪魔ならではの我儘はないの?」

「う、うーん」



 悪魔ならではの我儘。天使の視点から見て、悪魔の我儘とはどんな物があるのか逆に気になってしまった。



「ネロさんから見て私達悪魔の我儘ってどんなもの?」

「天使の立場で言わせてもらえば、悪魔は皆我儘だよ。我が強く、思い通りにならない事には酷く苛立つ。そして欲深い。どれだけの犠牲が出ても、欲しい物は必ず手に入れようとする。手に入らないと分かった時は壊す。こんな感じかな」



 リシェルが身近な存在で言えばリゼルだが、父に欲しい物はあるのかと今更ながら抱いた。まだ母が生きていた頃は、母と娘が欲しいと強請った物を全て揃えるのが好きだと語っていた。

 病によって体力が低下し、ずっとベッドの上で過ごしていた母は幼いリシェルを膝に乗せて刺繍をしていた。寿命が短くなっている母が娘に残せるものは何でも残しておきたかった親の心配。母が好んで作っていた刺繍はリゼルの好きな花やベルンシュタインの家紋。猫もあった。



「ネロさん。パパに今日食べたサンドイッチを明日の朝、魔界に転送してほしいの」

「いいよ。リシェル嬢が美味しかったサンドイッチを後で教えてね」

「うん! それと今日お店で買ったハンカチも送って」

「君が選んだあの猫のハンカチ?」

「そうだよ。パパは猫が好きなの」

「え……。リゼ君……猫好きなの……?」

「パパは可愛い動物が好きなの。特に、猫は好きだって言ってたわ」

「そうなんだ……。……あのリゼ君が動物好き……」



 ぶつぶつと独り言を繰り返すネロを気にせず、伝えたい件は全て伝えたリシェルはテラスに出た。

 身を突き刺す冷たさはなくても、当たれば寒さを感じる風が吹いて、上着を羽織れば良かったと内心後悔しながら街を眺めた。前の街もそうだが夜はどこも暗い。所々、明かりが点いている。ネロ曰く、夜は酒を好む人間達が集まる店があるとか。きっとそこなんだろう。魔界にもあるだろうが、首都の街へはいつも昼に出掛けていたし、常にリゼルが一緒でそういった場所に入った経験もない。


 一度ネロに行ってみたいと頼むも飲酒経験のないリシェルは連れて行けないと首を振られた。お酒を飲んでみたい気はするがリゼルが頑として許可を出さなかった。曰く、母アシェルの酒癖が酷くリシェルも同じだと一人で飲ませられないから、と。ならリゼルがいる前だけでとお願いしても却下された。


 過保護なのも時々困ってしまう。



「リシェル嬢、寒いから中に入っておいで。あと、浴槽にお湯を入れてあげたから先に入りなさい」

「女の子のお風呂は長いのよ? ネロさんが先に」

「なあに言ってるの。レディファーストさ」

「ふふ、パパと同じ」

「やれやれ。……おや」



 テラスに顔を出したネロに促され、冷えてきた体をお風呂で温めようと足を前へ出し掛けた時。ネロが怪訝な声を発した。瞬間、腕を引っ張られネロの背に隠された。


 何事かと瞠目。知っている魔力を感知した。

 何故また現れた? まさか、リゼルが魔界に戻りリシェルが人間界に残っていると知って? 

 ネロの背から覗くように顔を出し、予想した通りの相手がいて戸惑う。



「……リシェル。その男は誰だ?」



 旅行四日目に現れ、リゼルに強制送還されたノアールが再びリシェルの目の前に。髪が濡れているのと恰好がどう見ても風呂上りなのは……聞きたくもない、知りたくもない。


 青味を帯びた鮮やかな紫の瞳には、隠そうともしない怒気と憎悪が混ざっていて。ノアールに怒られる理由もネロが誰かを言う理由もない。



「……こんばんは、殿下。また何の御用ですか」

「聞こえなかったのか? その男は誰かと聞いている」

「婚約破棄をした私が誰といようが殿下には関係ないではありませんか」

「……」



 事実を言えばノアールは黙った。睨む瞳は依然リシェルに向けられたまま。リゼルがいないのを好機だと来たのだろうが、今は側にネロがいる。彼が天使とは説明しないが父の友人だと話すと顔が歪んだ。リゼルの友人なら、並大抵の悪魔じゃないと勝手に推測してくれる。



「殿下は一体何をしに人間界へ? 大体、前に来た時も理由が不明でしたね」

「言った筈だ。リシェルを連れ戻しに来たと」

「婚約破棄を突き付け、散々嫌いだ憎いと吐き捨てた私を連れ戻して何をしたいのですか!」



 確かに以前もリシェルを連れ戻しに来たとリゼルに言い放ったノアール。彼の思惑が全く読めない。



「……」



 ノアールは語らない。頑なに口を閉ざし、ただただリシェルを睨み付けるだけ。

 ネロの背にしがみ付くと一瞬、ノアールの面差しに暗い影が生まれるもリシェルは気付かなかった。



「ああ……そういう事」



 間に入ってから一言も声を発さなかったネロが何かを納得したように呟き、後ろにいるリシェルに顔だけ向いた。



「彼が君の元婚約者なんだね?」

「はい」

「魔界の次期魔王か。ねえ王子様、君、本当はが好きなんだろう?」



 急な呼び捨てに驚くよりも、ネロの有り得ない発言を即撤回しようにもリシェルは出来なかった。ノアールの様子が大きく変わったからだ。大きく瞳を見開き、動揺を隠せないノアールの反応にリシェルまで動揺が移った。



「原因はリゼ君にありそうだが……やり方が幼稚だね。そんなんじゃ、君が魔王になったらすぐに天使達が魔界へ襲撃に来そうだ」

「なんだと? おれの力が劣っていると言うのか!」

「さてね。どうでもいい」

「っ!」



 暗に現魔王よりも力が劣っているから、ノアールが魔王になれば天使が魔界を襲撃しやすくなると語られた。ノアールの魔力はエルネストにも負けない。リゼルに敵わないにしろ、魔王になるには相応しい魔力の持ち主なのだから。

 怒りの感情のまま、ノアールの矛先はリシェルに向いた。



「リシェル。そいつの側から離れ、おれのところへ来るんだ!」

「嫌です! 貴方の側になんか行きたくない! 大体、そんな、そんな……」



 誰が見ても風呂上り直後だと分かるノアールの姿から、きっとビアンカと情事を楽しんだ後なのだと判断可能で。ビアンカを抱いた後のノアールの側に死んでも行きたくないと叫びたいのに、恥ずかしさから顔が赤くなるだけで何も言えなくなった。リシェルの心を読んだのか、タイミングよくネロが続けた。



「浮気相手と楽しんだ後の君に付いて行きたいなんて思う?」

「なんのはな……」


 言われて初めてノアールは自分の格好に気付いたらしく、違うと慌てだした。



「ビアンカとは何もしていないっ、彼女が言っていたのは虚言だ。おれはビアンカを抱いていない!」

「信じると思いますかっ? 殿下とビアンカ様が何度も口付けを交わしていたのは知っています。なんなら、私の目の前で堂々としたことだって」

「ぷ、あ、はははははははははははははっ!!!」



 二人が隠れてキスをしている場面を見た時の絶望と悲しさ。

 二人がリシェルのいる目の前で堂々とキスをした時の怒りと悔しさ。

 どれもリシェルは忘れていない。


 今更肉体関係がないとノアールが否定したところで嘘としか思えない。

 すると、何が面白いのかネロが大笑し出した。ギョッとするリシェルとノアールに構わず、涙目になったネロは頬に流れた雫を指先で拭った。



「ははは……。はあ~……全く、面白いね王子様。いや、傑作だ。さすが魔族。性に奔放だね。リシェル、責めちゃいけない。彼は実に悪魔らしい」

「……でも」

「君の怒りは理解してやれる。だが、彼はどうも君にご執心だ。さっきも言った通り、原因はリゼ君にありそうだが君にも原因はあるんじゃないのかな?」

「私?」



 ノアールと出会う以前からも同年代で仲良しな異性はいない。

 毎日ノアールに気持ちを伝えて、会いに行った。自分がどれだけノアールを好きなのかを伝えてきた。嫌われるような心当たりがないから酷く戸惑った。誰に聞いても分からず、ノアールに聞いても何も答えてもらえない。



「その辺は後でゆっくり考えようね」

「うん……」



 ネロの背に額をコツンと当てた。さっき、ネロはノアールが好きなのはリシェルだと言った。小さい頃なら信じられた。あの頃は確かにお互いの気持ちは繋がっていたんだ。今は離れてしまって正直ノアールが何を考えているのかさっぱり分からない。

 ノアールの焦った声がリシェルを呼ぶも、顔は出さなかった。出してもまた言い合うだけ。



「リシェル……っ!」

「王子様、もうお帰り。でないと君、魔界に戻れなくなるよ」

「……ベルンシュタイン卿の友人と言っていたな。なら、悪魔狩りの話を受けていたと?」

「まあ、そんなところかな」



 悪魔狩りの追試が始まれば、すぐさま人間界へ通じる扉は閉められる。当然、悪魔達は再び扉が開けられるまで戻れなくなる。

 何時開始されるか不明な今、王太子が人間界にいるべきじゃない。

 ネロが説得してもノアールはリシェルを諦めない。

 いい加減、ノアールの勝手な言い分と行動に怒りの限界が達していたリシェルがネロの後ろから出て来てノアールと対峙した。



「帰って下さい殿下! 殿下と魔界に戻るなんて冗談ではありません!」

「お前はおれと戻るんだ!」

「帰って!!!!」



 人生で最大量の大声を出した瞬間だった。息を荒く繰り返し、喉が少し痛むも出し切った感があった。ショックを受けたノアールの瞳が濃い青味に染まった。傷付いた時に出るノアールの特徴と言ってもいい。

 チクリと胸が痛んだ。盛大に拒絶をしたのは初めてだった。行き場を無くした子供みたいに視線が彷徨うノアールの背後が歪んだ。


「あ」とネロが声を出すと同時に物凄い勢いで後方へ引き寄せられて行ったノアール。声を出す間もなく、姿が消えた。



「リシェル」

「パパ!!」



 ノアールと入れ替わるようにリゼルが現れた。空間の向こうの景色はリシェルもよく知る、魔王城の庭園。

 リゼルに抱き付くと強い力で抱き締められた。愛用の香水の香りを嗅いだだけで多大な安堵がリシェルを包んだ。



「またあのノアール大バカがリシェルの前に姿を現すとはな。俺やエルネストが対応に追われている隙を見たんだろう」

「らしくないねリゼ君」

「うるさい。それより、あのノアール大バカに何もされなかったか?」

「大丈夫だよパパ。ネロさんもいたし」



 行動よりも言葉のダメージが大きい。



「そうか。リシェル、少しの間ネルヴァといてくれ。すぐに終わらせて戻るから」

「うん。気を付けてね」

「勿論だ」

「殿下は何処へ行くの?」

ノアール大バカの部屋まで飛ばした。部屋に仕掛けてもしておいた。一晩楽しめばリシェルの前に姿を現す気もなくなるだろう」

「?」



 悪い顔で、他者を魅了する美しい笑みで不穏な呟きを零したリゼルを不思議に思いつつ、強い風が吹くと自分の体を抱き締めた。



「お風呂に入っておいで。長く外にいて体は冷えただろうから」

「う、うん。行ってくるねパパ」

「行っておいで」



 ネロに促されたリシェルは浴室へ向かって行った。


 リシェルがいなくなるとネロはある疑問をリゼルに投げかけた。



「ねえリゼ君。あの王子様、本当に魔界の王子様なの?」

「どういう意味だ」

「正確には……エル君の息子なのかって話。彼の見た目がどうも引っ掛かって。それに、あの瞳の色……特徴があり過ぎて覚えていてね」

「はあ……どうせ知っているんだろう? お前なら」

「はは、バレた?」



 態とらしく知らない振りをしてもリゼルには見抜かれてしまう。

 初めてノアールを見た時浮かんだ記憶があった。事実なら、逆に何故? と疑問が生まれた。



「独り身のお前には分からんよ」

「ひど! 私だって好きで独身貴族を謳歌してないのに……!」

「知るか。俺はもう行くぞ。ネルヴァ、リシェルに手を出すなよ。出してみろ、その時は」

「それより、王子様の部屋に仕掛けをしてるって言ってたじゃない。どんな仕掛け?」



 話を遮られた挙句、どうでもいい内容を問われて深い溜め息を吐いたリゼルだが、話さないと煩いので一言で纏めた。



「媚薬で発情した雌犬と仲良く戯れるように手助けをしてやっただけだ」

「あ、ははは! それは良い。王子様はきっと意地を見せるだろうねえ」

「下らん意地だ。俺は行くぞ」

「行ってらっしゃい。リシェル嬢の心配はしなくていい。私がいるからね」

「手を出したらお前毎天界を灰にしてやる」

「本当に起こりそうだから止めて」



 念には念をと釘をさしてくるリゼルが空間の向こうへ行った後、一人になったネロは独り言ちた。



「……リシェル嬢に恋を教えてあげるつもりって言ったら、リゼ君絶対怒るだろうなあ」


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