リゼルに言われるがまま、耳と目を塞いだリシェルだが果たしてそれでいいのかと自問した。これからはアメティスタ家に罰を与える。アメティスタ家はベルンシュタイン家に敗北したと言っても過言じゃない。敵とみなした相手に一切の容赦はしない。それが父。
このまま、安全で綺麗な場所にいるだけでいいのか。魔王の妃になるべく育てられた、ベルンシュタイン家の娘だ。
リシェルが今まで目にしたことのない残酷な光景になっても、目も耳も塞がないと決めたのはリシェル自身。
目と耳から手を離し、瞼を上げた。
開けた先には、顔を両手で覆い転がり回る当主とびしょ濡れなビアンカが怯えきった表情でリゼルを見上げていた。欠伸をしているネロの純銀の瞳と目が合った。驚くネロが光景を遮ろうと前に立つもそっと手を掴んだ。
「私……ちゃんと、最後まで見る」
「リゼ君の娘だから?」
「それもある。一番は今までアメティスタ家やビアンカ様に嫌がらせをされた。あの人達の最後を見届ける」
野太い悲鳴が上がった。二人同時に向くと何らかの魔法攻撃を受けて当主は苦しんでいた。真っ青な顔で震えているビアンカは恐怖で声も出せていない。ふと、ノアールはと見たら、いない。
「殿下は……」
「ついさっきリゼ君が魔界に戻したよ。彼等への仕打ちを見たら煩いからって」
「……」
ノアールならば、そうだろう。
いない方がいい。
ネロから離れ、リゼルに近付いた。
声を掛けなくてもリゼルは気付いていて。「リシェル」と呼ばれた。来るな、という意味だろうがリシェルは構わず腰に飛び付いた。
怪我を負った人を見るのはたったの数度。現在進行形で暴力を受ける人を見るのは初めて。腕に力を込めて抱き付くと深い息を吐かれた。呆れと迷いが混ざっていても、無理にリシェルを遠ざける真似はしない。
「そこにいなさい」
「うん……」
リシェルが強く抱き付いてもリゼルにはどうということはない。
リシェルは改めて彼等を見下ろし、リゼルの言葉に耳を傾けた。
「さて。大馬鹿共。覚悟は出来ているな」
「な……どう、して、リゼル様が……」
手下の男が見せた魔法の映像に映っていたのは確かにリゼルだった。リシェルもネロから事前に聞かされていなかったら信じてしまっていた。
「ああ、魔力を奪われていたのはお前達の跡取りだ」
「な!!」
「俺が間抜けにも罠に嵌ったと大喜びしていたのに残念だったな。お前達のことだ、どうせ碌でもない企みでもしているんだろうと警戒していたらこれだ」
「嘘よ! お兄様なわけないわ! だってお兄様は」
「お前達が見ていた跡取りは、俺の作った偽者だ」
証拠を見せてやると言ってリゼルが現れた空間の裂け目から、アメティスタ家の騎士服を着た男性が出て来た。当主とどことなく顔立ちが似ており、無感情な面でやって来る。リゼルの隣に立つと淡い光となって消えた。
顔を青から白へ変えたビアンカと痛みに悶えながらも瞠目する当主。リゼルの言った通りの偽物。
罠に嵌め、魔力を奪い続けていたのは大事な跡取りで、兄であると知った二人は絶叫した。
「パパ……」
「辛いなら」
「ううん、私が決めたの。あの令息が偽者だって気付かれなかったのはどうして?」
「生前の奴の口調・行動・記憶を全てコピーして作ったからだ。本物の跡取りは、完全に魔力を奪われミイラとなった」
「……」
可哀想、と小麦の一粒程度には同情するが一歩間違えたらリゼルがなっていた。口にはしない。
「俺に姿を変えたミイラを見せてから、真相を暴露してやっても良かったんだがエルネストが思いの外早く動いてな」
「陛下が?」
「ああ。アメティスタ家を条件付きでの公開処刑が決まった」
毎年、騎士の入団試験や昇格試験の開催だったり、騎士だけじゃなく悪魔が正式な決闘をする場としても使用される闘技場とは別に。罪を犯し、魔王に死刑判決を下された悪魔を処刑する処刑場がある。死刑執行のサインはエルネストがする。これはリゼルでも押せない。
「家門含めたアメティスタ家の者は十日後、処刑場に集められる。そこである条件を満たせば処刑は免れる」
鬼畜と名高く、魔王を扱き使う補佐官を陥れようとした挙句、愛娘を質の悪い貴族に売り飛ばそうとしたアメティスタ家は見逃せなくなった。
「あんまりですわ!! これくらいで処刑だなんて……!」
「異議があるならエルネストに言え。大体俺は今この瞬間からお前達を殺してやりたいものを、あいつが最後の
リゼルの腰を指で突き、気になっていた疑問を投げかけた。
「陛下は……なんとなくだけどアメティスタ家に甘いというか……弱いというか……」
「ああ……埃一つ分くらいは同情してやるさ。俺には関係ないがな」
「どういうこと?」
「終わったら話す」
「……殿下がビアンカ様を恋人にしたから?」
「それ以前の問題だよ」
個人的な関わりがあり、アメティスタ家に強く出られないのだと一人納得した。
強い視線を感じる。ビアンカが忌々し気にリシェルを睨んでいた。
「どうして……どうしてわたくしがこんな目に……! リゼル様がいなかったら何も出来ないリシェル様なんかに負けないと……ならないの!」
「ビアンカ様……」
「ノアール殿下はわたくしを愛していると囁いている時も、口付けをして下さる時もどこか上の空だった。殿下が真っ直ぐわたくしを見ている時は必ず側にリシェル様がいたっ」
「え」
「そうよね、殿下を立てようとせず、リゼル様に引っ付いてばかりの貴女が忌々しかったのよ!」
初耳だ。
「わたくしは愛する殿下にも愛され、魔力にも恵まれ、愛情深い家族にも恵まれた。恵まれたわたくしが処刑されてわたくしよりも劣るリシェル様が生き残るのはどうしてよ! 不公平よ!!」
「……」
さっきのノアールについて知りたいが、ビアンカに言われっぱなしで苛立ちが募っている。抱き付く腕の力が増していく。
面と向かって会うのはこれが最後になる。ビアンカも解しているからこそ、最後にリシェルへ自分が優勢なのだと主張した。
口を開き掛けた時、直接脳内にネロの声が響いた。
『待った。こういう時は無反応を貫こう。惨めになるのは相手だ』
『一言くらい言い返さないと!』
『なら、王子様にぶつけるんだ。抑々、その子が調子に乗った原因は王子様だ。落ち着いたら王子様に沢山文句をぶつけるんだ』
『……うん』
渋々、かなり渋々ネロの言い分に納得して、冷静に冷静にと言い聞かせ、落ち着いた――を行き過ぎて無感情な瞳でビアンカを直視した。
挑発されても一切反応しないでいるとビアンカは見る見るうちに勢いをなくしていき、最後には泣き出した。
「なんとか言いなさいよおぉ! なにか、あああぁ……言いなっ、ひっく、うぅっ」
ノアールの治癒魔法の効果で傷は塞がっても痛々しい姿は変わらない。隣の当主は憎々し気にリゼルとリシェルを睨むが口を開き掛ければ、リゼルに爪先で顔を蹴られてしまう為、唇を噛み締めていた。
公開処刑するにあたり、条件付きと語っていたがその条件とは何か訊ねた。
「とても簡単だ」
恐ろしいまでに美しく、残酷な笑みもリシェルの好きな父リゼルのまま。
「たった一人でもいい。俺の首を取れば、一族の公開処刑は中止される」
――離れて話を聞いていたネロは最初から許す気が毛頭ないのに、慈悲を与えたと見せかけた非情さに笑ってしまった。
一方、魔界に強制送還されたノアールが到着したのは魔王の執務室だった。呆然とする間もなく、ハッとした矢先に両頬を限界まで引っ張られた。
「はあ。僕は人間界に行くのは厳禁だと言ったね。なのに、それを破って行くなんて」
呆れ顔で両頬を引っ張ってくるのは父。暫くして手を離されるが痛みは十分残っていて。痛そうに頬を擦るノアールは呼ばれるがまま、隣の休憩室に入った。人払いの結界を貼られ、こっちと指示されたソファーに座った。
「言い訳を聞こうか」
「しません。おれが父上の言い付けを破ったのは事実ですから」
「そう。ふう……君がリシェルちゃんを助けに行ったのなら、鼻を摘む程度に済んだのに。ビアンカを助けに行ったの?」
「……」
ビアンカ達が人間界にいるリシェル、一緒にいるネロという男を狙っていると聞いて、すぐに駆け付けた。リシェルを助ける気でいたのは嘘じゃない。
しかし――
「いざ着いたら、血だらけで倒れているビアンカがいて……彼女を放っておけませんでした」
「リシェルちゃんとやり直したかったなら、ビアンカは放っておくべきだったんだ」
反論する言葉もない。情があっても、リシェルとやり直す機会を掴みたかったならリシェルの心配をするべきだった。
見捨てられなかった。
「おれが……人間だからビアンカを放っておけなかったんです」
「かもしれないね。ただ、種族を理由に言い訳をするのは違うんじゃないかな。人間だろうと、大事なものとそうでないものを天秤に掛ける時、重く傾いた方を優先する。ノアールの場合はビアンカへ傾いた。それだけだよ」
「……父上。アメティスタ家はどうなりますか」
向こうが魔力を奪っていると豪語していたリゼルが登場、しかもアメティスタ家の当主を持って。
「魔王の補佐官を陥れようとした挙句、リシェルちゃんを売り飛ばそうとしたからね。アメティスタ家には、色々と堪忍袋の緒も切れかけていた。リゼルくんには最後の機会を与えてほしいと頼み、条件付きでの公開処刑を命じてもらう」
「条件付きの公開処刑?」
一体、どの様な処刑か。
内容を知って仰天し、絶対に助からない条件を付けた理由を訊ねた。処刑にはビアンカも含まれているとのかと問うと「そうだよ」と肯定されてしまった。ビアンカを庇っていた父がここにきてビアンカを見捨てた? 言葉が見つからないノアールは諦念が浮かぶ笑みを向けられた。
「言ったろう。ぼくは薄情な奴だって。血の繋がった娘より、人間の息子を選んだんだ」
「どうして……」
「ずっと側で成長を見守り続けたっていうのもあるけど。……リゼルくんを罠に嵌めて当主と揃って高笑いしている姿を見て、ああこの子は僕と妃の娘じゃなくなったのかと今更ながら実感させられた。ビアンカは事実を知らないから、仕方ないといえば仕方ないけど」
人の性格というのは育った環境によって大きく作用する。稀に当て嵌まらない者もいるが。
愛情深く、家族思いな両親や優しい兄弟、使用人達に囲まれて育ったビアンカは深く愛される代わりにかなりの我儘娘に育った。悪魔で我儘じゃない方が珍しいので可笑しくない。
当主の願いを退け、ビアンカと双子で育っていたらどんな風に育っていたんだろう。我儘なのは変わらなくても、もっと別の生を歩めていた。
「アメティスタ家や傘下の家門全員処刑しては、人手不足になる懸念がある。リゼルくんが怖くても当主に無理矢理従わされていた子もいる。選別をするから、手伝ってくれるねノアール」
「それは、勿論です」
「死刑囚は決まり次第、処刑場の牢に入れる。それが済んだらリシェルちゃんと話しなさい。リゼルくんにはもう話は通してある」
「はい……」
あのリゼルの了承を得ているのは驚きだが、最後の機会と意識しないと二度とリシェルとは話せなくなる。
名簿を受け取って選別を開始する。心の片隅では、ビアンカを助けてほしい思いがあった。自分のせいでビアンカを巻き込んでしまった罪悪感があったから。
初めて会った時、ノアールの話を聞かず勝手に話を進めては強引に引っ張っていくビアンカが不快だったものの。何度か会って行くとその強引さに不快感を抱かなくなっていった。リシェルと距離を作ってしまい、自分でもどう昔のように接したらいいか分からなくなって余計辛く当たっていた時期だった。父から何度もリシェルとの関係改善を求められるも、リゼルを最愛だと告白したリシェルが忘れられず……ズルズルと年月だけが経っていった。
次第にビアンカの人柄を知り、悪魔らしくありながらも品のない派手な風はなく、自分に自信を持ち、向上心の高さに感心した。
彼女からの好意を利用して恋人になってリシェルに近付いた時、傷付きショックを受けたリシェルは逃げるようにその場を去った。
過去に傷付けられた仕返しの暗い満足感を得ても、即座に襲ったのは激しい後悔。
正反対な二つの気持ちを何度も同時に得ていると感覚は麻痺していき、何時しかこの後悔すらもリシェルのせいだと憎しみに変わった。
けれど……婚約破棄を告げた時、あんな晴れ晴れとした表情を見せられると誰が抱くか。
「ノア? 手が止まってるよ」
「す、すみません」
今は余計な事を考えるなと