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第20話 罠。後に絶望をー愚か者ー



 よしよしと琥珀色の頭を撫でつつ、唖然とするノアールが見る見る内に激情を露にするのを愉しげに眺めた。下手な劇作家が書いた脚本も演者の実力次第では化ける。今度お勧めの劇を観に行こうとリシェルを誘おう。王国には有名な劇場があり、毎日のように公演がされている。魔界にも似た娯楽はあるだろうが過保護リゼルは行かせない。

 ビアンカを貰う発言。理由は言った通り、天使達のストレス発散。大きく開き掛けた口を手で制して。



「訳を教えよう。天使は清廉潔白に見えて娯楽は好きでね。裏切者や堕天使の公開処刑を好んで見る」

「悪趣味な奴等だっ」

「違いない。天使はストレスに弱い。故に、多少の汚さは目を瞑ってストレス発散をする。君の浮気相手、強い魔力を持っているし、頑丈そうだからちょっとくらい突いても簡単には死ななそうだから天使に渡すよ。彼等は大喜びするだろうね」

「悪魔のくせに天使側につくというのか!?」

「だって私が住んでるのは天界だからね」

「なっ」



 エルネストからは友人と知らされているだけで天使とは一言も聞かされていない。

 本当は天使でもないのだが、天界出身者なのは事実。

 驚き、固まったノアールは治癒魔法を掛ける手は休めない。出血は止めたようで。リシェルを片手で抱き、空いた片手を前に出して掌を下に向き。人差し指を曲げた。



「あ……!」



 ノアールの腕の中からビアンカを出し、体を急上昇させていく。意識はあったビアンカが悲鳴を上げる。



「ビアンカ!」

「殿下あぁ!!」

「ビアンカに何をする気だ!」



 上昇が続くビアンカの悲鳴。激昂し、魔法を飛ばす寸前のノアールには呆れしかない。

 リシェルを外界の音から切り離して正解だった。ノアールの頭にはビアンカしかいない。


 飛び掛かる直前にノアールの体を光の輪で拘束。危害を加えられない苦肉の策。無理に外そうとすれば拘束力は強くなる。強い締め付けに顔を歪めるノアールを魔法で仰向けにした。遠い空の上に漂うビアンカの周囲に何かが集まりだした。


 大きく鳴る羽の音。

 次第に姿が見えて来た。



「あれは……」



 大きな白い翼を背に生やし、様々な武器を持った大勢の天使がやって来る。

 今回は開始の合図無しに悪魔狩りの追試は開始されたと告げれば、彼の整った相貌は面白いくらい絶望に染まっていく。

 次期魔王の恋人と知らなくても、容姿から上位の悪魔だと判断される。目に見えない力でビアンカは拘束されているせいで暴れることすら不可能。唯一自由な声でノアールに助けを求めていた。



「止めろ、天使を止めろ!」

「悪魔を狩る天使を止める? 天使の私に言うの?」

「……」



 自分の言っている言葉の矛盾に気付き、助けることも天使を追い払うことも叶わないノアールは力なく空を見上げるしかなかった。


 天使はまだまだ集まって来る。

 攻撃はまだしていない。ネロの予想が当たっていれば、天使達は集まり切ったところで一斉に攻撃を仕掛ける筈。誰がどう見ても罠だと分かる光景なのに、とネロは嘆息する。ビアンカの周囲に自分の神力を混ぜて正解だ。


 ネロ――ネルヴァからのプレゼントだと勝手に思い込んでくれている。

 押しに弱い甥っ子の為。彼の側にもリゼルのような鬼畜でも優秀な補佐官がいてくれたら……。と言おうものなら、神の座を押し付けるなと泣かれてしまう。リゼルが魔王にならないと知った時点で神になる気が失せた。

 リゼルが魔王になったら、自分も神の座に就き。

 魔界と天界を全面衝突させる。のがネルヴァの野望であったが、エルネストが魔王になると知ると神の座を離れ人間界に降りた。後継者のいないネルヴァが退けば、神が不在という前代未聞の事態となる。聞く耳を持たないネルヴァを弟夫妻が練りに練った策で天界に留まらせた。

 夫妻に子供が生まれ、神の座に就いても十分になったら退いてもいいというもの。


 やる気のやの字もなかったネルヴァも渋々受け入れた。

 ……実際に甥が生まれたのは二十数年前。約二百年近くは神の責務を全うした。態と子作りしなかっただろうと詰っても周囲が全面的に夫妻の味方をしたせいで逃げられてばかりだった。


 今回の悪魔狩り追試。開始の合図を出すという決まりを破ることを、功を焦った上層部に押され甥っ子は渋々認めた。



「王子様」



 呼んでやると虚ろな瞳がネロに向けられる。



「しっかりと見ておきなさい。愚か者の末路を」



 人間に救いを齎す天使さながらの、慈愛に満ち溢れた微笑みはノアールとビアンカにとっては死刑宣告と同等。


 天使達が一斉に武器を振り上げた。


 ――直後、空は炎に包まれた。広大な空が炎に染まっていき、燃えた天使達が次々に落ちてくる。



「面倒くさくてもルールは守らなきゃ」



 涙が引っ込み、もう音も遮断しなくてもいいとリシェルを慰めていた手をそっと離したネロは額にキスをしたのだった。



「も、もう、私のおでこにキ、キスして楽しいですか!?」

「楽しいというか、可愛いからというか」

「だ、大体、状況を! ……え?」



 泣いていた自分への気遣いなんだとはリシェルも段々と分かってくるも、恥ずかしいのは恥ずかしい。泣きすぎて目元が赤く腫れていそうだ。鏡があったら化粧で隠したい。

 揶揄うのを止めないネロのお腹をポカポカ叩き、周囲に目をやって異変に気付けた。空が燃えている。更に、燃えた何かが次々に落ちてくる。

 上空を見上げれば大量に燃えた何かが力尽きて落下していく。一つ、白が浮いていた。目を凝らすと白は揺れており……髪の毛だと知るとそれが何かも瞬時に悟った。


 ビアンカだ。

 傷だらけなのは変わらず、ドレスも破れかろうじて服の役割を成していた。

 ビアンカが上空にいるのも、空が燃えているのも、燃えた何かが落下してくるのも。自分が泣いてネロに慰められている間に起きた。

 なら、これらをやったのは誰か。



「殿下……」

「リシェル……」



 光の輪に拘束されて地面に転がっているノアールが気遣うように見てきた。今まで散々冷たい瞳か睨んでくるかのどちらかだったのに。今になって向けられても困るだけ。ずっと見ていたら、また期待する自分が前面へ出ようともがく。

 ノアールには期待しない。したって、最後に捨てられるのはリシェル。ビアンカがリシェル達に何をしようとしたか碌に聞きもしないで敵視してきたのだ。ずっと、敵意を向け続けたらいい。


 ハッとなったリシェルは燃える落下物が地上に触れれば厳重に守られる自然が台無しになると、水の魔法を念じるもネロの手が頭に乗って止められた。



「安心して。地に着く前に消える」

「でも!」

「見てごらん」



 促された先に見たのは、ネロの言った通り美しい緑に直前まで迫った落下物は白い光に包まれ消えていった。一つ二つじゃない。次々に消えていく。



「もうそろそろ、天界は大騒動になるだろうねえ」

「もしかして、これはネロさんの仕業?」

「そうだよ。ルールを守らない愚か者には痛い目を見させないと」

「あ」



 ネロが手を掲げ、人差し指を下へ向けた。上空に漂っていたビアンカが降りてくる。ノアールの光の拘束を解き、ビアンカを側に置いた。失神しているが命に別状はない。ホッとするノアールの横顔からネロへ視線を変え、何が起きたか説明を求めた。

 喋ってくれるまで逃がさないと服の裾を掴んだら、目を丸くされた。が、すぐに細められ純銀の瞳は一瞬リシェルから違う方へ向けられるもすぐに戻った。何処を見たのかと、問う間もなく大好きな声がリシェルを呼ぶ。

 パッと振り向いた先には、裂けた空間から父リゼルが片手に放心しているアメティスタ家当主の首根っこを掴みながら足を踏み入れた。決して軽そうには見えないのに、リゼルは軽い塵を捨てる動作でビアンカの元へ放り投げた。突然のリゼルの登場にノアールも意識を持って行かれ、あ、と気付いた時には当主はビアンカの近くに倒れた。



「君にしては遅い登場だねリゼ君。何をしてたの?」

「色々とな。おいで、リシェル」



 ネロへはぶっきらぼうに、リシェルには過保護極まる父親の声で。


 リシェルはネロを見上げた。



「? どうしたの」

「行って来るね、ネロさん!」



 子供扱いをされ、揶揄われてばかりだったがずっと守ってもらった。大好きなリゼルが来たから何も言わず飛んで行くのは失礼で、彼がそうとは抱かなくてもリシェルは意思を伝えてからリゼルの許へ駆け出した。



「……」



 父と娘の二日振りという、長く離れていないのに久しぶりの再会を果たした空気を横に置いて。リゼルがリシェルに夢中になっている間、自身の顔が若干熱くなっている気がして違う方向を向いた。

 勝手に行ってもネロは何も言わない、何も思わないのに。リシェルは態々言葉にして離れて行った。



「……ああ、うん……。リゼ君が過保護になる気持ちは分かるけど…………」



 嫌いだ、憎いと言い続けていたらしいノアールの執着理由をなんとなく解した。

 純粋で、素直で、リゼルの過保護教育の賜物で立派な箱入り娘に育ったリシェル。無邪気に笑って慕われるリゼルを憎む気持ちも、その愛らしさを自分の隣で浮かべ続けてほしい気持ちも解してやれる。


 ただ、やり方を間違え過ぎている。


 顔の赤みが消えると父娘の所へ。


 リシェルの頭を、両頬を沢山撫で口付けるリゼル。擽ったそうに笑うリシェルも大きな手に頬擦りする。額を合わせられ、至近距離でリゼルと見つめ合う。



「俺がいない間、危険な目には遭わなかったか? ネルヴァを置いて行ったから大丈夫なんだろうが」

「今朝は天使に襲われて私が撃退したけど、ビアンカ様達からはネロさんが守ってくれたよ!」

「は……?」



 他意はない。近況を求められたから、答えただけ。

 リシェルが嬉々とした様子でネロが守ってくれたと語っても、最初の天使襲撃をリゼルが耳にした時点で機嫌は急下降していった。

 凄まじい殺気を放ってくるリゼルへお構いなしに近付き、微笑んだネロは肩に手を置いた。



「私が今朝エル君に君の話を聞きに行った時にね」

「……ネルヴァ」

「小言は後で聞こう。今は、先にやるべき事があるだろう?」



 純銀の瞳がチラリと見る先には、未だ放心状態のアメティスタ家当主と失神中のビアンカが転がっていた。

 小さく溜め息を吐いたリゼルは「後で覚えていろ」と呟き、リシェルに耳と目を塞いでいなさいと言うと二人に近付いて。



「起きろ」



 当主の顔を踏み付け、ビアンカには冷水を浴びさせた。





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