朝早くからマクレガー公爵から届いた抗議の文を宙に浮かせ、左手にクッキー、右手にウサギが描かれた可愛いマグカップを持って読むオーギュストは苦い珈琲を一口飲むなり小さく息を吐いた。昨夜の夜会でヒルデダルダがノアンとの間に入ったヒリスにワインを掛けた事に対する抗議の文だ。一年前、ノアンとヒリスが婚約破棄されてからマクレガー公爵から度々嫌らがせを受けて来た。王国一の魔力を持つ魔導公爵を恐れながらも愛する娘の為に対立する娘想いの父。
「はあ」
「朝から溜め息を吐くと幸せが逃げると聞くぞオーギュスト」
「誰のせいだ、誰の」
「妾か?」
「お前だよ」
向かいに座ったヒルデガルダの頭の天辺には一本の毛がぴょんと跳ねていた。所謂アホ毛というやつだ。直しても直しても跳ねる為、もう面倒になってこのままにしているとか。
「それは?」
宙に浮いている紙を指摘するとオーギュストは面倒くさそうにマクレガー公爵から届いた抗議の文だと答えた。昨夜の件についての、と言われるとヒルデガルダも心当たりがあるので「ああ」と納得した。
「大変だな貴族は」
「マクレガー公爵家は、王国で最も強い権力を持つ筆頭公爵家なんだからさ、婚約についてはそっちで勝手にしてくれって感じだっつうの」
「無理だから、態々抗議の文をお前に届けたのだ」
「ほぼお前のせいだけどな」
今朝届いた抗議の文に関してオーギュストは一切悪くない。悪いのはヒリスにワインを掛けたヒルデガルダだ。
「
「オシカケなら早朝に出掛けているぞ。私が読みたい恋愛小説を隣国の首都まで買いに行っている」
「主思いな従者だな。何時から従者をしているんだ?」
「妾が今になる前だから…………もう四百年にもなる」
「へえ」
意外そうに目を丸められる。オーギュストの知る魔界の元女王は側近も部下も作らない、孤高の魔族であった。長い生に飽きると道端に落ちている小汚い塊を拾う余裕が生まれるのだとヒルデガルダは面白おかしく話す。
「瀕死のオシカケを助ける時に妾の魔力を与えた。オシカケは元々人間ではあるが半分魔族でもある」
「飽き性のお前が四百年も側に置くなんて余程気に入ったんだな」
人間に転生した現在も従者として側に置いているくらいなのだ。
「ああ。何度か人間の世界へ戻してやると言ったんだがな。“おれは貴女に仕えている方が楽しい”と宣ったんだ。面白いからそのままずっと置いている」
「お前の側にいると面白い事が大好きな性格に変わるのかね」
「さあな」
話をしながらもオーギュストの目はしっかりと抗議の文を読み、ヒルデガルダは運ばれた朝食に手をつけていく。オーギュストの趣味なのか、毎朝ドルチェが運ばれる。塩味の効いた料理は昼以降となる。
今朝のメニューはチョコレートクリームが挟まったコルネット。飲み物はホットミルク。お子様の飲み物だと馬鹿にしていたが砂糖やハチミツ、チョコレートをトッピングしたホットミルクを味わってから考えを変えた。人間でいる今は十八歳。魔族であった頃の年齢は二百を超えた辺りで数えるのを止めた為覚えていない。
「旦那様」
代々サンチェス公爵家に仕える家系出身の執事セバスチャンが王家の家紋が押された手紙を持って来た。
「先程、城から参った使者の方が旦那様へと」
「ありがとう」
一旦クッキーとマグカップを置いたオーギュストは手紙とペーパーナイフを受け取り、器用に手紙の封を切って便箋を取り出した。
開いた便箋には何が書かれているのか。ホットミルクを飲みながら観察しているとオーギュストは手紙を燃やした。
「ヒルデガルダ。朝食が終わり次第、私と登城してもらう」
「どうした」
「王都から南に位置する村の付近に魔物の群れが現れたと情報が入った。部隊を編成して討伐せよとのご命令だ」
「なら妾一人行こう。部隊など必要ない」
「お前ならそう言うと思った」
貴族の建前としてオーギュストと共に登城し、国王からの指示を受ける必要はある。
いつもより少し早く朝食を終わらせたヒルデガルダは席を立ち、食堂を出て行った。
通常なら馬車を使って登城するのだが、転移魔法を使えるオーギュストとヒルデガルダの場合はそれを使って登城した。ピンクがかった銀の毛先は緩く癖が入っており、侍女が毎朝真っ直ぐにしようと奮闘してくれるが毎回虚しく終わる。
「妾の髪はこうも手強かったか?」
「さあな。城に入るから、ご令嬢の口調で頼むぞ」
「はあ、疲れる」
周りにいるのがオーギュストやオシカケだけ、サンチェス公爵家の屋敷内であれば魔族時代からの口調で良い。他の人間がいる場合はご令嬢口調で話せとオーギュストに言われてから渋々使っている。元の口調が一番楽で良いのに、とは本人の台詞。
「謁見の間へはもうすぐだ。ヒルデガルダ一人を向かわせるつもりだが国王が何と言うか」
「足手まといは要らぬと進言する。村に被害がないのなら、医者や治癒魔法士もいらんだろう」
超威力、広範囲の魔法を得意とするヒルデガルダにとって他人がいると非常に使いづらい。周りを気遣っての戦いに慣れていないのが原因である。
謁見の間に着くと玉座に腰掛ける国王、側にはノアンやマクレガー公爵もいた。内心「げっ」と嫌な気分になるオーギュストの心情を見抜きながらもヒルデガルダは華麗な礼を見せた。三歳の幼女に転生した後、公爵家で受けた淑女教育は無駄にしていない。
「オーギュスト=サンチェス、ヒルデガルダ=サンチェス、国王陛下にご挨拶申し上げます」
内心を顔に出さぬよう心掛け、国王に頭を垂れたオーギュスト。満足げに頷いた国王の言葉で二人は顔を上げた。
「急な呼び出し済まなかったな。用件については、先に手紙を送った通りだ」
「部隊を編成し、速やかに魔物の討伐をと事ですが——部隊の編成は必要ありません。ヒルデガルダ一人向かわせれば十分です」
「ふむ」
大量の魔物の討伐は部隊を編成した後向かうのが常。一人で常人を超える力を持つオーギュストやヒルデガルダなら単独での任務は可能。オーギュストの言葉には説得力があり、実績があるだけに国王はヒルデガルダ単独での討伐を視野に入れた。その時、否定の声が上がった。
「サンチェス公爵。既に魔物により、村人への被害が出ている。ヒルデガルダ一人向かわせるのは得策ではありません」
声を上げたのはノアン。攻撃魔法だけではなく、治癒魔法も使えるヒルデガルダであるが魔物討伐を終えるまで村人に気を回す時間はない、
となれば。
「では、医療班を編成し、完了次第オーギュストの転移魔法で村へ届けてください。私は今から向かいますわ」
「詳細な任務内容を聞かず勝手に動くつもりか?」
「些細な問題です。私より弱いノアン様では、無理でしょうね」
「っ!」
最も気にしているであろう部分を突いてやると面白いくらい反応する。冷徹な紫色の眼はより冷たくなり、眼光だけで相手を射殺せんばかりに睨む。
挑発的な笑みを浮かべてやると上から頭を押さえられた。
誰だ? ——オーギュストだ。
「止めろ馬鹿。王子を刺激するな」
「事実を申し上げただけ。弱いのは事実。私に言うことを聞かせたいなら、ノアン様が私以上に強くなる以外術はありませんわ」
「ヒルデガルダ」
強い口調で呼ばれるとヒルデガルダは肩を竦め、一礼を見せた後謁見の間を出て行った。背が消えるまで深い憎悪に染まった紫水晶はヒルデガルダに向けられ続けた。
いなくなると「サンチェス公爵」と厳しい声色に呼ばれた。
声の主はマクレガー公爵だ。
「ご息女のあの態度、とても王族に見せるものではありませんな」
「私の頭痛の種の一つですよ」
「自身の力を過信し過ぎではありませんかな。いつか、痛い目を見ますぞ」
「そんな機会があるなら是非やって来てほしい。だが実際、ヒルデガルダは強い。私以上に強い。それは覆らない事実だ。だからこそ私はヒルデガルダを迎え入れた」
「一体何処で見つけたのですか」
「私の古い伝手を頼ってな」
実際は長い生に飽きていた魔族の女王を口説き落とした。
この場には国王、ノアン、マクレガー公爵がいる。
「陛下。一つよろしいですか」
「言ってみよ」
「以前から申していますがヒルデガルダとノアン王子の婚約を解消して頂きたい」
「ふむ……」
良い機会だと判断した。一年前婚約した直後から言っているが国王は頑なに解消をしない。ノアンとマクレガー公爵という当事者がいる場なら、少しは耳を傾けてくれると期待した上での発言である。
「ヒルデガルダの強い魔力を欲しているのは存じていますが
ちらりと顔を強張らせたマクレガー公爵とノアンを一瞥した。ちょっかいを掛けているのはヒルデガルダでありノアンから行った回数はない。主にヒリスがヒルデガルダに突っ掛かり返り討ちに遭っているだけ。主にノアンがいる場合が多いからヒリスも態とやっている節がある。この旨をヒルデガルダに伝えたところで返される言葉は言わなくても分かる。
「昨夜、ヒリスにワインを掛けた件についてヒルデガルダ嬢には謝罪を要求した筈だが?」
「聞く耳を持つ筈がないだろう。
「っ」
強気で迫ったマクレガー公爵もヒルデガルダの実力はよく知っており、これ以上は何も言えなかった。王国中を探してもヒルデガルダよりも強い人間は早々いない。
「如何ですか、陛下。このまま継続させると王子とマクレガー公爵令嬢への被害が増えるだけです」
「ノアンよ。抑々の話、お前はヒルデガルダと交流を深めようとしたことはあるのか?」
矛先をノアンに向けた国王を止めたのはオーギュストだった。相当不本意ではあったノアンは、王命なのだと無理矢理自身を納得させ、何度かヒルデガルダと婚約者として会っている。会っているがどれも険悪さを加速させて終わっている。
理由? ——ヒルデガルダが原因だ。
「ノアン王子とマクレガー公爵令嬢の関係は有名ですから、当然ヒルデガルダも知っています。王族として王命に従ったノアン王子を揶揄っては怒らせ、交流を持とうとしないのはヒルデガルダの方です。なので陛下、ノアン王子へのお叱りはどうか無しの方向で」
「オーギュストよ。其方がヒルデガルダを大切にしているのは知っているが少々甘やかし過ぎでないか?」