魔法士団が抱える案件が無いのであれば組合へ赴いて体を動かそうと閃いたヒルデガルダ。突然の閃きは今に始まった事じゃないが彼女が満足しそうな仕事となると上級者向けとなる。サンチェス公爵の養女が度々組合に出入りしているのは有名な話。瞬く間に上級冒険者となっては、片っ端から仕事を持って行くせいで一度組合長からオーギュストに出入り自粛を求められた。
三日不眠不休で動ける不死身の如き体力を持つヒルデガルダに付き合わされるオシカケも寝不足と戦いながらも毎回付き合う為、一般的な人より体力がある。
前に組合に行ったのは一月前。オークの巣を根絶やしにしてほしいという依頼でヒルデガルダは単身乗り込み、半日で洞窟を住処としていたオークを全滅させた。
あの時のヒルデガルダの爽快な表情は何度見ても飽きない、魔界の王に就いていたとは思えない程であった。
「行くぞオシカケ」
「はーい。どこまでもお供しますよ、お嬢」
いざ、転移魔法で組合へ飛ぼうとした瞬間——「ヒルデガルダ!」怒号の如き声で名を呼ばれた。心当たりがあり過ぎるから、面倒くさそうに振り向くと……やはり、いたのはノアンだった。後ろからマクレガー公爵が小走りで来ている。大方、昨日ノアンとヒリスが密かに付き合うのをヒルデガルダとレイヴンが認めたという話をマクレガー公爵から聞き、居場所を聞きつけたノアンが怒りのままやって来たのだろう。
大股でヒルデガルダの側へ近付いたノアンは誰がどう見ても怒りに満ちている。後ろで「言わんこっちゃない……」と手で顔を覆うオシカケをスルーし、溜め息を吐いてからノアンに問うた。
「御機嫌ようノアン様。紳士がレディを大声で呼ぶものではありませんわ」
「さっきマクレガー公爵から聞いた。一体どういうことだ」
「どうもこうも。私もランハイド殿もお二人の関係に目を瞑るという事です。マクレガー公爵令嬢は、このままだと心を壊します。ノアン様だって嫌でしょう? ランハイド殿は理解ある方です。私も貴方をどうこう思わないので、貴方はマクレガー公爵令嬢と恋人として今後も側にいてあげてください」
「昨日ヒリスに話をしに行った時はそんな話にはならなかった」
ギロリと後ろから追い掛けて来ていたマクレガー公爵を睨み付けるノアン。
「し、仕方なかったのです。ヒリスの為にも、サンチェス公爵令嬢とランハイド侯爵令息に協力を求めないといかなかったんです」
「私はついさっき公爵から聞いたが?」
「それは……先にサンチェス公爵令嬢とランハイド侯爵令息の許可を貰ってから殿下に話そうと……」
「私は王族でヒリスは公爵家の人間だ。個人よりも国や家に重きを置く事を幼少の頃より教育されてきた。納得しなくても……受け入れるしかないと」
「で、ですが、二人は認めて下さったのですよ? 二人が黙認するなら、陛下も殿下とヒリスが密かに関係を続けても……」
「私が認めない」
人知れず溜め息を吐いたヒルデガルダの濃い青の瞳が面倒くさそうにノアンを眺める。一国の王子という立場から、常に誠実であろうと気を張るのは仕方ない。婚約破棄されてもヒリスと仲睦まじくし続けたのは、殆どヒルデガルダが理由。ヒリスを泣かせたり、時に飲み物を掛けて全身を汚し、言葉で言い返せないのを良いことにとことん追い詰めた。それは全てノアンがヒリスを悪女から守る光景を見たいが為。
理不尽であるが理由が理由だけに受け入れるのを決意したノアンは、恋愛小説を現実で見ていたかったヒルデガルダにとって興味が消え失せた相手。またとない好機を自ら手放そうとするノアンの心情が理解不能過ぎて興味が消えた。
また溜め息を吐いたら、いきなり腕を掴まれた。相手はノアン。強く腕を掴まれたまま急に歩き出され、咄嗟にオシカケを見やるも行ってらっしゃいと呑気に手を振られるだけで終わった。
仕方なく無言でノアンが引っ張るまま付いて行った。
魔法士団の詰め所を抜け、王宮に入り、王族の住まう住居へ連れて来られた。
第二王子たるノアンの部屋に連れ込まれ、初めて訪れた部屋を興味深げに見たかったが足を止めず、奥の部屋へ連れて行かれた。
腕を離されたと思ったら、腰を抱かれ、天蓋付きの大きな寝台に投げられた。柔らかな寝台のお陰で痛みはないが仰向けに倒れところをノアンに覆い被さられる。
「サンチェス公爵と只ならない関係だという噂の他にもいくつかあるんだ」
「それについては否定しましたが?」
「ああ。サンチェス公爵とは関係がなくても、多数の男の間を渡り歩いているとな」
「……ふふ」
誰が何を流そうが興味はなく、どんな誹謗中傷を受けようと力で捻じ伏せればいいだけ。力や権力で敵わないなら、悪評を流して貶め精神的に追い込む策はヒルデガルダには通用しない。冷たく見下ろすノアンへ挑発的な笑みを見せ、素早く呪文を口にした。
瞬く間に室内を充満したヒルデガルダの魔力が覆い被さるノアンの体に纏わりつき、体の支配権を奪って立場を逆転した。ノアンに見下ろされていたのがヒルデガルダが見下ろす側となった。呆然とするノアンへ悪女の笑みを見せつけた。
「性に奔放らしい私を抱いて無理矢理婚約を納得させようとしたかったのですか? 残念ですわね。呆気なく形勢逆転されて」
「っ!」
羞恥と悔しさから顔を赤く染め、憎々し気に睨み上げてくるノアンを笑いつつ、内心困ったと悩んでいた。時——心配したオシカケがそっと声を掛けてきた。王族の住居内に易々と入り込んだオシカケに驚愕しているノアンと違い、丁度良いタイミングだとヒルデガルダは側へ呼び寄せた。
どう見ても今からヒルデガルダがノアンを襲おうとしている風にしか見えない。
「お嬢に返り討ちに遭っていないかって王子を心配して見に来なきゃ良かった……」
「自分の運の悪さを恨むのね」
「お嬢……おれ出て行っていいです? だって今からお嬢は王子をその……襲うつもりでしょう? おれがいたら……あれ……やりにくいでしょう」
「オシカケがいないと困るの。光景だけなら、昔アイゼンが綺麗な令嬢としているところを見た事がある。ただ……実際にどうするかは一切知らない」
「へ」
性欲を一度も感じた覚えがない。ひょっとしたら、湧き上がる性欲を食欲や破壊衝動に変換して処理していただけかもしれない。事実としてはヒルデガルダに閨での経験は一切ない。驚きを隠せないノアンとオシカケ。特にオシカケは「マジか……」と手で顔を覆う程。
「……え? ちょっと待ってください。なんでおれいなきゃ駄目なンですか?」
「なんでって……同じ男なら、何処をどうすればいいか分かるでしょう?」
「え……え……? つまり……おれがお嬢に指導して、お嬢はおれの指導通りに王子を抱くンですか……?」
絶対に当たってほしくない予想を恐る恐る問い掛けたオシカケ。あっけらかんとした様子でヒルデガルダは頷いた。
ヒルデガルダを襲おうとして返り討ちに遭ったノアンは、逆にヒルデガルダに抱かれる羽目になった。が、肝心のヒルデガルダに閨での知識が皆無なせいで知っているであろうオシカケの指導を頼った。
愕然とし、微かに絶望しているノアンにとっても同情するオシカケであるがノアンの服に手を掛けているヒルデガルダを止められる筈がないと諦め、今年一番大きい溜め息を吐いた。
ヒルデガルダがクラバットを解くと衣服の釦を外すところからオシカケの指示が入る。顔を赤くし、憎々し気に睨み上げるノアンの口は開いても声が出ない。室内全体にヒルデガルダの魔力が充満するせいだ。身動きも取れず、声も出せず。ノアンはされるがまま。愉快そうに嗤うヒルデガルダの目が露わになった上半身にいくと意外だと言わんばかりに目を丸くした。
「思ったより筋肉がない」
「っ……」
恥ずかしそうにプイっと顔を逸らしたノアン。意外だとヒルデガルダの指先が滑らかに胸元から腹を滑った。
「オーギュストやオシカケの方が余程男性らしい体つきをしている」
「オーギュスト様は毎日鍛錬を欠かさない方ですし、おれの場合はお嬢に付き合う為の鍛錬が欠かせませんから……」
「軟弱者め」
「お嬢が体力お化けなンです!!」