平らな肌に手袋を外した指でなぞると微かに肌の持ち主が反応する。男を襲った経験も男に抱かれた経験も前世の時代と合わせて一度もないヒルデガルダは、明後日の方を向いて棒読みで指示を出すオシカケを不審がりつつ、言われた通りにした。
ノアンの上半身は予想していたより筋肉はなく、オーギュストやオシカケの方が余程男らしい体付きをしているというのが最初の感想。実際に触れてみても多少の感想が変わっただけ。女性よりも固いがオーギュストやオシカケと比べると柔らかい。首筋や胸元、腹の周りを撫でていて気付いた。
「オシカケ」
「どうしました」
「男性の肌ってざらざらでごわごわしているものだと思っていたけどそうでもないのね」
日焼けを知らないすべすべな肌は手入れの行き届いた女性の肌と同じ。顔をよく見ると上半身とほぼ同じで日焼けがなくすべすべだ。素手で触れているのもあって両頬を上下に撫でてしまい、口を開きたくても開けない代わりに紫色の瞳に強く睨まれる。
「ノアン様の声を出せるようにしても構いませんよ? そうすると大きな声を出すでしょう? 貴方の大声を聞いて誰かが此処に来たらどんな勘違いを起こしてくれるか」
「っ」
第二王子が婚約者に抵抗する術を奪われ襲われている場面等見られれば一生の恥。睨みが強くなろうがヒルデガルダには通用しない。
それにしても、とヒルデガルダは両頬から手を離し胸板に手を置いた。
「オシカケ」
「今度はなンです」
「脱げ」
「へ」
いきなり告げられた二文字の理解をする前に再度ヒルデガルダは同じ言葉を放った。間抜けな声を出した後、瞬きを数度するとオシカケは「はあ!?」と大きな声を出した。「お前が大きな声を出してどうする」と咎められてもオシカケは意味不明だと叫んだ。
「ノアン王子を襲うのにおれが脱いでどうするンです!?」
「止めた」
「へ」
同じ間の抜けた声を出してしまった。瞬きを何度してもヒルデガルダの言った言葉の意味が解せない。それはノアンも同じ。押し倒されているノアンも唐突過ぎる言葉の連続に理解が追い付いていない。
「いいから脱ぎなさい」
「絶対嫌なンですけど!?」
「お前に拒否権はないの。ほら早く」
「……あ~もうっ!」
一度言い出したら人の話を聞かないのがヒルデガルダ。自棄になったオシカケは上着を脱ぎ去り、ネクタイを外してシャツの釦を全て外した。開けたシャツの合間から覗くのはノアンと違う男らしい上半身。
相当渋々側へ寄ったオシカケとノアンへ交互に視線をやるヒルデガルダ。
「何したいンですかお嬢。……まさかと思いますけどおれにノアン王子を抱けとか言いませンよね?」
「?」
二人の上半身の違いを見比べている時に投げられたオシカケの言葉の意味を今度はヒルデガルダが考える番となった。が、早々に降参した。
「お前は男、よね?」
「生まれてこの方ずっっっと男ですよ」
「男のお前が男のノアン様を抱けるの?」
「……」
本来性行為は男女で行われる。同性での性行為は見た事も聞いた覚えもない。純粋に抱いた疑問を投げかけただけのに問われたオシカケはしまったと言わんばかりに顔を青褪めた。
「え……あ、いや、お、お嬢がおれに脱げとか言うからてっきりそうなのだと」
「男のお前がノアン様を抱ける筈ないでしょう。私だってその程度の知識はあります。お前は偶にオーギュストの鍛錬に付き合っている分、身体つきはノアン様と比べて男らしいから、どの辺が明確に違うのか知りたくなったの」
「そ、そうですか。…………良かったおれの馬鹿…………」
ヒルデガルダから視線を逸らし、独り言を零すオシカケを気にせずノアンの上半身を撫でながらオシカケと見比べる。首は白く細く、男性特有の喉仏が男らしさを出すが筋肉量の少ない様のせいで意味が薄い。擽ったいのかノアンが体を捩じってヒルデガルダの手から逃げる姿勢を見せるも重力魔法の効果は続いたまま。逃げられない、動けない。
盛り上がった大胸筋に、六つに割れた腹直筋、衣服で隠されている腕も筋肉のついて男らしいオシカケ。対してノアンは固いが薄い胸板、鍛えてはいるのだろうが薄らと筋肉が付いているのだろうな程度の腹。
「お嬢。いい加減、ノアン王子を解放しません……? お嬢と言えど不敬ですって」
「今更ね。抑々、私を此処に連れて来たのはノアン様。同意もなしにね」
「お嬢のせいですけどね」
否定はしない。
「っ」
ノアンは変わらずヒルデガルダを睨んだまま。そろそろノアンの素肌に触れるのが飽きてきたヒルデガルダは肩を竦め、シャツの両側を掴むとボタンを付けていった。疑わしい眼差しで睨むノアンへ挑発的な笑みを見せつつ、シャツのボタンを付け終えるとクラバットを結び直し、上着のボタンも全て付けた。
「オシカケの言う通り、ノアン様を解放しますわ。私に抱かれずに済んで良かったですわね」
「おれも服戻していいです?」
「いいわよ」
安心したオシカケは素早く服装を正し、ノアンの上から退いたヒルデガルダは魔力を込めた人差し指をノアンの額に当てた。即眠りに就いたノアンを確認後、ネクタイを締め直したオシカケへ振り向いた。
「終わったか?」
「はい。お嬢が飽きてくれて良かった。このままノアン王子を襲っていたらどうなってたか」
「肉体関係を持つつもり、ノアン様の純潔を奪うつもりもない。これに懲りて妾との婚約破棄なり解消なりに力を入れてくれれば良いのだがな」
――その後、転移魔法でサンチェス公爵家の私室に戻ったヒルデガルダとオシカケ。そこへ丁度ラウラが入って来た。
「お嬢様!? 何時お戻りに!?」
「ラウラが入って来た時と同時だ」
「も、申し訳ありません。ノックもせず……」
「いい。玄関から入らなかったから気にするな。ところでラウラが持っている本は?」
ラウラの腕には一冊の本が抱えられており、興味深そうに見ているとラウラの目がキラリと光った。
「お嬢様は今まで純愛の恋愛小説ばかり読んでこられたでしょう? 十八歳になったのですから、そろそろ大人の恋愛小説も読んでもいいかと思ってわたしのお勧めを持って参りました!」
「ほう」
「ちょっと!!」
待ったを掛けたのはオシカケ。ヒルデガルダの前に立つとラウラの抱える本を指差した。
「一体お嬢にどんな本を読ませる気ですか!?」
「何だって良いじゃない! お嬢様だってそろそろ濡れ場のある恋愛小説を読んで良いお年頃なのよ!?」
「お嬢に要らん知識を与えないでくれますか!? お嬢が調子に乗って王子を虐める知識ばかり増えるじゃないですか!!」