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第13話 件の男の子



 両手にホットココアが注がれたクマのマグカップを持ち、向かいに座るオーギュストに今日の出来事を報告したオシカケの目は終始遠かった。話を聞いたオーギュストも目が遠くなっていた。

 恐らくノアンは私室にヒルデガルダを連れ込み、婚約者である事実を無理矢理分からせようとしたかったのだろう。が、一枚も二枚も上手だったヒルデガルダに形勢を逆転された挙句——襲われた。屈辱以外の何物でもなかった筈。



「お前は律儀に付き合わなくて良かったんじゃないか」

「逃げられるなら逃げてましたよ……お嬢はやり方が分からないから、おれを何が何でもいさせようとしたでしょうね」

「魔族の女王だったのにか?」

「魔族なのに、お嬢は性知識が一切ないンです。アイゼン様も吃驚してました」



 出自が孤児だったせいもあり、一般教養がなく、力だけで魔族の王に座までのし上がった。そんなヒルデガルダに知識や教養を教えたのがアイゼンだっだ。



「アイゼンは人間界へは来ないのか? 何度か来ているが最近はめっきり姿を現さないじゃないか」

「あの方は魔界の高位貴族ですからね。一応、お嬢個人宛には定期的に手紙が届いていますよ」

「そうか」



 問題はやはりヒルデガルダがノアンを襲った件。オーギュストに国王からのお叱りの声が届いていないというのは、つまりノアンが誰にも話していないということとなる。あくまで現時点では。



「ミラ。お前、子供の相手は得意か?」

「例の魔族の子供ですか?」

「そうだ。三日後、正式にサンチェス家の養子として引き取る旨が決定した。ヒルデガルダでは怯えさせてしまう可能性が高い」

「オーギュスト様はもう会っているのですか? 子供に」

「ああ、院長に頼んで一度だけ話をさせてもらった」



 十歳くらいの子供にしては背が低く、孤児院で衣食住を与えられてからマシになったとは言え、通常より手足も身体も細かった。言葉はたどたどしく、読み書きも殆ど出来ないに等しかった。



「魔界で碌な目に遭っていないのは、アイゼンの手紙で知ってはいたが私の予想以上だ」

「子供の名前は?」

「確か、リュカ、と名乗っていた」



 自身の名を告げる時も震えていて、危害を加える気は一切ないとオーギュストが話してもリュカは終始震えていた。リュカを引き取るにあたり、孤児院へは多額の寄付と大量の食糧と子供達の新しい服を寄贈した。



「後は、ヒルデガルダがリュカを威圧しなければいいがな」

「その辺は大丈夫でしょう。ああ見えてお嬢は、子供にはとっても優しいですから」



 約四百年前、瀕死のオシカケを拾い、全快するまで看病したのは紛れもないヒルデガルダ本人。弱い生き物だの、一日に何度も生きているか? と生存確認をされたのをよく覚えている。ヒルデガルダからすれば気紛れなのだろうが助けられた側としては一生の恩。人間の世界に戻してやると言われようが死ぬまで仕えると決めたのだ。



「前から聞こうとは思っていたんだが、お前はヒルデガルダに本名を名乗っていないのか?」

「お嬢はおれの名前がミラだって知ってますよ。知っててああ呼ぶんです」



 オシカケ、と呼ばれるのは助けてくれた恩を返したいと動けるようになったミラが毎日毎日ヒルデガルダに押し掛けたからだ。それとオシカケという、人の名前ですらない呼び名で呼んでいれば嫌になってミラが離れて行くと考えたのだろうがヒルデガルダが甘かった。好きなように呼べと言ったのはミラ。諦めたのはヒルデガルダ。



「お嬢って、人に対しては押しに押しまくるくせに、自分が押されるのは滅法弱いンです」

「初耳だな」

「長くいたら気付きました。だからおれは思うンです……今回の件で王子が何かに目覚めて超押しの強い人になったら、お嬢は負けそうだなって」

「あいつが負ける、か。見て見たいものだ」



 問題はそんな日が本当に来るのか、どうか、である。






 三日後。件の魔族の子供がサンチェス公爵家に来る日。部屋で待っているようオーギュストに言い付けられ、仕方なく待つ間ラウラお勧めの恋愛小説を読んでいた。現在読んでいるのは、今まで一度も手を出さなかった濡れ場のある大人向けの恋愛小説。後ろでオシカケがラウラに文句を言っているが本に夢中なヒルデガルダには届いていない。



「お嬢が変な知識を増やしたら……ラウラ、貴女のせいですからね」

「いいじゃない! お嬢様だってもう成人を迎えた大人なのよ? 大人の恋愛小説を読んでも罰は当たらないわ!」

「そういう問題じゃありません! もし、お嬢が性に関して強い興味を持ったらどうするンですか……!」

「持ったってお嬢様は王子殿下と白い結婚になるのだから、現実にはならないわよ」

「本当に白い結婚になるかは分かりません。……あの王子の様子からして絶対仕返しをしてきそう……」

「何言ってるの?」

「なんでもありません」



 ただ、濡れ場のある恋愛小説でも純愛はある。ラウラが勧めてくれたこの本は純愛。愛憎満載のドロドロな恋愛小説はオシカケから却下された挙句、折角ラウラが持ってきた本を没収してしまった。



「ふむ」



 終盤まで読み進めて思ったのは、三日前ヒルデガルダがノアンにしたように女が男を襲う場面は一切描写されていない。女は男からの愛撫に感じ、快楽に蕩けている。よく分からないと内心首を傾げる。前世でも経験がないから、同じく経験のない今世で分かる筈もない。

 もう少しで読み終わる、といったところで執事のセバスチャンがオーギュストの帰宅を報せた。本に栞を挟んだヒルデガルダは未だに言い争うオシカケとラウラを連れて玄関ホールへ足を運んだ。

 銀の髪を縛るリボンを解いたオーギュストの足下には、小さな少年が所在なさげに立っていた。


 黄金の髪、海のように淡く透き通るアクアマリンの瞳を不安げにあちこち動かしていた。



「オーギュスト」



 ヒルデガルダの声は少年を怯えさせた。目前まで近付くと少年を見下ろした。



「この子供か」

「ああ。あまり怯えさせるなよ、お前は何もしていなくても相手を威圧するんだからな」

「してるつもりはない」



 と言っても現に子供は怯えている。小さく溜め息を吐いたヒルデガルダはそっと後ろに下がり、ちらりとオシカケをみやった。視線を受けたオシカケは慎重に子供に近付き、目線が合うよう跪いた。



「こちらのお嬢は見た目に迫力があって怖いですが中身はそうでもないのでご安心ください」

「どういう意味だ」

「お嬢は黙ってて」



 見た目に迫力……魔族の女王時代は、赤い髪と金色の瞳を持ち、今よりもキツイ顔立ち。今の方がマシになった筈、とは本人の意見。ヒルデガルダが口を開く気配を察した子供がビクッと震えるのでオシカケの言う通り大人しくするとした。



「オーギュスト様から先に説明を受けているかもしれませんが此処に君を害する人はいません。安心して暮らしていいのですよ」

「……」



 ヒルデガルダを気にしつつも、緊張した面持ちでオシカケの言葉に頷きを見せた。



「ラウラ」

「はい!」

「この子の専属が決まるまで暫くお前が付いてくれ」

「お嬢様のお世話は……」

「ヒルデガルダにはミラがいるから、まあ……あまり心配はいらん」



 微妙な間があるのは何故かと問いたいが自分が声を出すと子供に怯えられてしまう為、不満げな視線をオーギュストにやるだけで終わった。オーギュストに名前を言うよう促された子供は背中を押され、前へ出された。



「リュ……リュカ…………です」






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