浴室で大きな桶にお湯を溜め、椅子に座って足だけをお湯に浸けて寛いでいるヒルデガルダはぼうっと天井を見上げた。湯浴みをするのにはまだ早く、かと言って、リラックスしたい気分に陥ったとオシカケに愚痴ると足湯をしてはどうかと勧められた。名の通り、足だけを湯に浸す。たかが足を温めた程度でリラックスになるものかと馬鹿にしていた少し前の自分こそが馬鹿だった。全身を浸からせるのとは違ったリラックス効果があり、お湯から出ても足を拭くだけで終わり楽である。
「ふう」
今日は疲れることはしていないがリラックスしたい気分になった。十分くらいしたらオシカケを呼んで足を拭かせるか、と決めた時。「ヒルダ」とアイゼンがやって来た。
「何してるの」
「足湯、というらしい」
「へえ」
「アイゼンもしてみるか?」
「僕はいいよ」
即席で作り上げた椅子をヒルデガルダの隣に置き、腰を下ろしたアイゼンの手には丸い器が載っており、中に入っているのはチョコレートソース付きのアイス。
「ヒルダと食べようと思って探していたんだ。足を温めていると体全体が温まるから、アイスを食べるのに丁度良かったね」
「ほう。そうなのか」
アイゼンからアイスを受け取り、器に載せていたスプーンを持ち、アイスを掬う。口の中に入れた直後に広がる冷たさと甘さはヒルデガルダの味覚と感覚を歓喜させた。冷たい物は温かい場所で食べると美味しいとオーギュストやオシカケが言っていたのを初めて理解した。もう一口食べても感動は消えない。
「美味しい」
「良かった。持って来た甲斐があった」
「ありがとう、アイゼン」
魔王だった時もアイスクリームを食した機会は何度もあったが今のような感動を果たして抱いただろうか。ヒルデガルダは続けてアイスクリームを食べていった。
――足湯をしたままアイスクリームを食し、夕食までのんびりと部屋でアイゼンと共に過ごしていると今日の勉強を終えたリュカがやって来た。開いた隙間から室内を覗き、目が合うと扉を大きく開けてヒルデガルダに一直線に向かった。飛び付いたリュカを難なく受け止めたヒルデガルダは黄金の頭をそっと撫でてやる。今日も頑張ったのだから、頭を撫でてやるくらい何度でもしてやるのだが、隣にいる男はそう思わないらしい。さっきまでの女性を虜にする甘い笑みは消え失せ、冷淡で無感情な瞳がリュカを見ている。リュカが見たら怯えてしまうとアイゼンの片頬を摘まんだ。
「子供相手に大人げないぞ」
「男なんて皆大人げないよ」
「オーギュストやオシカケはしないが?」
「はいはい、僕だけですよ」
頬を摘む手を離されると幾分か表情は和らぐ。これならリュカが見ても怯えないと判断したヒルデガルダはこれ以上何も言わなかった。
「今日も頑張りましたね~リュカ様~」とのんびりとした口調を発するのはオルチナ。毎回泣いて嫌がるリュカを少々強引に家庭教師の許へ連れて行く。リュカが嫌がる度に気後れする侍女では駄目だと考えた際、真っ先に向いているのはオルチナだとオーギュストが任命した。
涙目でオルチナを見やったリュカはすぐに顔をヒルデガルダの腹に埋めた。
「あら~? 私嫌われちゃいました~?」
「リュカ。オルチナが嫌いか?」と問うと恐る恐るといった感じにリュカは顔を上げた。
「き、嫌いじゃ……ないです……。で、でも、いつも笑いながらぼくを引きずるからちょっと怖くて……!」
「良いですかリュカ様。笑顔は大事ですよ~? どんな相手でも、どんな状況でも、取り敢えず笑顔でいれば大抵のことは切り抜けられるのですよ~?」
「嘘だあ……!」
「ふふふふふ」
涙目なまま否定したリュカは再びヒルデガルダの腹に顔を埋めた。オルチナが言うのは嘘ではないが事実とも異なる。純粋な子供であるリュカが知るのはまだまだ早い。
「時にお嬢様。交流会に着るドレスが少し前に届きました」
「ああ、あったな」
交流会は覚えていてもドレスについてはすっかりと忘れていた。元々持っているドレスで一度も袖を通していないのでいいだろうとヒルデガルダは考えていたのだが、偶にはお洒落でもしろとオーギュストに言われて新調した。サンチェス公爵令嬢になって魔王時代と比べるとかなり気を遣っているつもりでも、周りの目にはそう映らない。
「さて、リュカ様、そろそろお部屋に戻りますわよ。お嬢様リュカ様を引っぺがしてください」
「え~!?」
意地でも離れないと強く抱き付かれ、痛いくらいに顔を腹に埋められてしまい、どうしようかとヒルデガルダは黄金の頭を見下ろす。引き剥がすのは容易いがそれだとリュカが可哀想になる。隣にいる男が纏う温度が急低下した。また頬を摘むと「分かった、分かったから子供扱いは止めて」と抗議され、言われた通り手を離した。
「リュカ。お前が日々努力していると知るのは妾だけじゃない、屋敷の者も皆知っている。お前ならやれる。頑張ってこい」
「……はい」
渋々、かなり渋々ヒルデガルダから離れたリュカは涙目なままであるが頭を下げるとオルチナと共に部屋を出て行った。
「健康になって子供なのを良いことにヒルダに甘えてばかりじゃない?」
「子供なんだ。甘えたって良いだろう」
昔のオシカケを世話しているようでリュカの相手は苦じゃない。
「交流会であの頭でっかちとマクレガーの娘をどうにかしてやれるといいが……」
どうなるかは、当日のお楽しみ。