強い力をオーギュストに求め、『ドラゴンの心臓』と呼ばれる魔法石の取り込みに成功したノアン。五日も経つと体に慣れ始め、漸くまともに起き上がれるようになった。五日間ベッドに倒れていた体には、きちんとした食事が必要なのであって激しい運動はまだ早いと医師に止められたが一日でも早く魔力を完全に自分の物にしたくて鍛錬を始めた。
体力が落ち、普段なら疲れない時間でも体は疲れを見せ始めた。額から流れる汗をタオルで拭い、再び魔力制御の鍛錬を開始しようとした矢先。従者がノアンに客が来ていると告げた。先触れもないということは、余程の相手。名前を聞き、オーギュストの名を出されると「すぐに向かう」と一旦鍛錬を中止した。
素早く水で汗を流し、新しい服に着替えたノアンはオーギュストが待っている部屋に足を踏み入れた。
「サンチェス公爵、待たせたな」
「いえ。急な訪問にも関わらずありがとうございます」
「いや」
オーギュストの訪問理由は何となく察している。
彼の向かいに座ると早速体の調子について訊ねられた。
「今日やっと起き上がれるようになったところだ」
「本来であれば、しっかりと栄養を摂ってから鍛錬をしてほしいのですが」
「医師にも言われた。だが何時までものんびりしていられない。折角公爵から与えられたチャンスを無駄にしたくない」
「そうまでしてヒルデガルダに勝ちたいですか」
無論だと強く頷く。危険を承知で『ドラゴンの心臓』を体内に埋め込んだのは、あの憎き婚約者を打ち負かす為。
「酷な話をしますが仮令殿下が魔力を完全に制御したとしても
「……」
「私はヒルデガルダをよく知っています。殿下がヒルデガルダに勝ちたいと思う気持ちを否定する気はありませんが、勝負を仕掛けても殿下に勝てる見込みはありません」
「なら……公爵、ヒルデガルダに勝てる方法は何かないのか」
命の危険を冒しながらも手に入れた魔力を持ってしてもヒルデガルダには勝てないと断言するオーギュストへ縋る紫水晶の瞳。苦い面立ちをし、重く口が開かれた。
「ヒルデガルダに勝てる人間は恐らくいないと断言していい。魔族すら太刀打ちは困難でしょう」
「ずっと気になっていたんだ。公爵は何処でヒルデガルダに会ったのだ?」
「私の古い伝手を頼って、とだけ言っておきます」
「……」
幼い彼女の手を引いて登城したオーギュストが何処から強大な力を持つ彼女を連れて来たか誰も知らない。ヒルデガルダもサンチェス家に来る以前の話をしない。何気なく訊ねたことはあるがすぐに話を逸らされる。
膝の上に置く拳を握り締めた。自分よりヒルデガルダを詳しく知るオーギュストすら方法はないと言うのだ、もう、本当にないのかもしれない。
「ヒルデガルダについては一旦置きましょう。殿下、マクレガー公爵令嬢と会わないのですか」
「ヒリスには新しい婚約者が決められたんだ。いくら、ヒルデガルダやランハイド侯爵令息が私やヒリスが秘密裏に会うことを許したと言っても」
「ふむ」
人の上に立つ者として生まれた以上、誰よりも誠実であれと幼い頃より叩き込まれた。愛し合っていても、もう愛し合うことは許されない立場となってしまった。ヒリスとて公爵令嬢。個人の感情だけではどうにもならないことがあると何時か理解する。
「殿下、貴方は必要以上に誠実であろうとする。殿下の欠点でもあります」
「欠点?」
「今マクレガー公爵令嬢は、殿下との復縁だけを夢にしています。ランハイド侯爵令息が歩み寄ろうとしても彼女にその気がなければ、いずれ二人も両家の関係も破綻します。貴族ならば家を重視するのは誰もが分かっていること。ランハイド侯爵令息は、それが分っているから貴方とマクレガー公爵令嬢の逢引を見逃す方針にしたのです」
彼自身、亡くなった婚約者を忘れられないと言え、次期ランハイド当主。新たな婚約者を決めて家を存続させなければならないのは承知済み。
「そこで殿下に頼みがあります。マクレガー公爵令嬢の説得を殿下に頼みたい」
「私が? だが、一度ヒリスとは話をつけた」
「殿下はそう思ってもご令嬢はそうじゃない。もう一度、話をしていただきたい」
真摯に訴えるオーギュストの瞳に押し負けたノアンは了解した。
——屋敷にオーギュストが戻ったと執事から報せを受けたヒルデガルダは玄関ホールを訪れた。長い銀の髪を煩わし気に払い、疲れた溜め息を吐いたオーギュストに声を掛けた。
「戻ったのか」
「ああ」
「なんだか疲れているな。王子との話は困難だったのか?」
「いや。そうでもない。殿下にマクレガー公爵令嬢の説得を頼んだ。ただなあ……」
「?」
言葉切れの悪いオーギュストに詳しく聞くとノアンはヒリスに婚約者が決められた以上縒りを戻す気はないらしく、受け入れるように説得をすると語られた。オーギュストの望みとしては強大な魔力を手に入れた今、ヒリスと共に国王を説得する方向で話をしてもらいたかったらしい。
そうなるとレイヴンの婚約者が再び不在となる訳だがオーギュストに当てがあった。
「当て?」
「ああ。隣国の公爵令嬢なんだが令嬢の家は魔道具の特許を幾つも持つ技術家系でな。無論、農具に関しても特許を持つ。ご令嬢の嫁入り先を探していると以前聞いていてな、まだ婚約者を見つけられていない筈だ。ランハイド家もその家の農具を欲していると聞く。どうにか上手く話をつけたいところなんだが」
「お前なら上手くやれるだろう。珍しいな」
「貴族の世界というのは、お前が思うより面倒でな」
人間として生活して早十八年。サンチェス家はオーギュストがいる限り、オーギュストが当主であり続ける。政治に関して全く興味のないヒルデガルダは「そうだな」と笑う。
強大な魔力を手にしたノアンとヒリスに既成事実を作らせるしか、やはり二人が再び婚約をする方法はない。ふむ、と思案したヒルデガルダは踵を返して部屋に戻った。丁度入って来たオシカケにレイヴン宛に先触れを出せと命じた。
「ランハイド侯爵令息に? またなんで」
「さっきオーギュストが言っていてな」
先程の会話の内容を話すとオシカケは「上手くいくと良いですけど」と言い残し部屋を出て行った。ホットミルクをテーブルに置いて。
出来立てのホットミルクが注がれたマグカップを手にしたヒルデガルダ。あくまで予想であるがレイヴンはヒルデガルダの先触れも提案も断るとは思えない。オーギュストの話が事実なら、前の
ホットミルクを味わっていると扉をノックされる。返事をしたら、入ってきたのはアイゼン。ヒルデガルダの隣に座るとピンクがかった銀糸に触れた。
「ご機嫌かなヒルダ」
「分かるのか」
「分かるさ。良い事でもあったの?」
「これから次第だ」
理由を話すと「へえ」とアイゼンは興味がある声を漏らす。
「利益に重きを置くなら、君の考えは通るんじゃないかな」
「そうだといいがな」
残る問題は国王のみであるが、既成事実を作ってしまえば最早二人の再婚約を認めるしかない。醜聞は立つだろうがずっとヒリスが塞ぎこんで周りが頭を抱えるよりマシだろう。ノアンも心から愛する人と永遠に暮らせる道が出来上がるのだ。初めは怒るだろうが後になれば怒りも鎮まると予想する。
アイゼンの手が髪から首に移り、肌を滑り腰に添えられる。ギュッと力を入られ、引き寄せられるとマグカップに口を付けたままアイゼンを見上げた。
「ヒルダは自分の婚約者が元の婚約者と結ばれてほしいの?」
「元々妾の楽しみの一つだったんだ、あの二人は。それを勝手になくされた挙句、妾の婚約者にされても困る。妾が見たいのは、あの二人の純愛だけ」
人間になって最も見ていたかった二人の純愛を再び見られると言うのなら、幾らでも汚名を着せられても構わない。噂に振り回される性質ではないのがヒルデガルダ。誠実であろうとするノアンならば、既成事実を作ってしまえばヒリスの為に責任を取る。
以前オーギュストの言っていた交流会は二日後に開催。人間界へ逃げたリュカの父親は交流会を終えた後始末する。今最も楽しみなのは交流会であってリュカの父親ではない。後回しにしようと問題はない。
一応、王都で悪さをしないか見張りは付けてある。現在は下町の破落戸が集まる最下層におり、身分の高い自分が何故と屈辱を味わいながらも生活している。衣食住に困らず、死にはしなくても苦痛を強いられる生活と惨めで権力も金もない今どちらがマシか、リュカの父親は後悔に苛まれているがヒルデガルダには関係ない。
リュカの方は日々マチルダに強制連行されるとは言え、徐々に勉学やマナー教育を意欲的に受けるようになり、元々飲み込みが早いのもあり成長を続けている。高位貴族の子供として生きていく知識をリュカなら問題なく覚えられる。心配するところとすればヒルデガルダに対し、他より甘える仕草を多々見せる。生まれた時から母親はおらず、異母や異母兄弟達に虐げられてきたせいか愛情に飢えており、サンチェス家に来てから世話焼きな人間達に挙ってお世話されて満たされていると思っていたが違う気がする。
ヒルデガルダに母性でも感じている節がある。昔瀕死のオシカケを拾って全快するまで看病した名残がヒルデガルダにはまだあるらしい。
「ね、ヒルダ」
「うん?」
「オーギュストの言っていた交流会ってやつ僕も行くからね」
「人間の集まりに興味があったのか」
「ヒルダが行くなら僕も行きたいなってだけ。まあ、ヒルダの言うように人間の集まりに興味もある」
「お前も楽しんだらいい」
既成事実作りは交流会当日。リスト侯爵邸で実行する。以前ヒリスの誘いの手紙を断ったら、しつこいくらいヒルデガルダを誘う手紙が届けられ、態々オーギュストを出向かせ手紙を止めさせた。その代わり、今度の交流会にはヒルデガルダも参加すると伝えさせた。無理に早く会わずとも会える日が必ず来る。
「僕から一つ言っていい?」
「どうした」
「ヒルダは懐に入れた相手以外興味を示さないだろう? だから、あの婚約者が元の婚約者と縒りを戻そうとしないのをヒルダは分からない」
「興味は持っているぞ」
持っていなければ何故ノアンが頑なになるのかと考える素振りは見せない。
「持っていても僕やサンチェス家にいる人間と比べると小さい。元の婚約者を好きなのは変わらなくても、君に対してもきっと本人にも理解しきれない執着があるのさ」
可能性があるとすれば、一度ヒルデガルダに屈辱を味わわされたからだろう。仕返しをしたいからこそ、命の危険を冒してでも強大な魔力を手に入れた。致命的な間違いはただ一つ。強大な魔力を手に入れたところでヒルデガルダには勝てない。
「いくら強い魔力を手に入れようと短い期間で完璧に扱えはしない。どんな天才だろうと天賦の才を持っていようと。王子が妾に勝てる可能性は万に一つもない」
王国にとっては朗報だと言える。将来、臣籍に下り守護役を担うノアンの魔力が強い方が守護もまた強くなる。頭の固い人間は嫌いじゃないが度が過ぎれば呆れの感情が生じる。何事も程々が一番。ホットミルクを飲み干してしまい、マグカップを浮かせテーブルに置いた。