目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第26話 力の差




 アイゼンを制し、結界も使わなかったのは浴びたところでヒルデガルダに媚薬は効かず呪詛返しをしてもヒリスに死は訪れないと分かり切っていたからだ。自身の策が成功し喜ぶ面持ちを崩してやりたいだけの感情赴くままに待っていたら、予想外の相手がヒルデガルダの代わりに媚薬を浴びてしまった。愛する人の凶行をノアンは見過ごせなかった。どの様な液体か知りもしないで浴びたノアンを馬鹿か、と罵倒してやろうとした。髪や顔が濡れたのをそのままに、後ろにいるヒルデガルダへ振り向いたノアンには今までにないものがあった。



「お前に掛かっていないな」

「……ええ。ノアン様、よく知りもしないで前に出るなんて無謀にも程がありますわよ」

「王家に生まれる者は毒の耐性を得る訓練を受ける。仮に毒ではなくても、王家の加護により効果は半減される」

「マクレガー公爵令嬢が私に浴びせようとしたのは媚薬です」



 毒と媚薬が同類と判断されるかは不明。王家の加護とやらに聞かないと。

 紫水晶を瞠目し、顔を青褪め震えるヒリスを複雑な色の瞳が映す。



「ヒリス……」

「ち、違う、これはただの水ですっ。ヒルデガルダ様の言いがかりですっ」

「貴女から送られた手紙の思念を読み取り、貴女が魔女から購入した媚薬を私に使おうとしているのが分かりました。誘いに乗っていたら、どうせ碌な目に遭いそうもないと乗らなかった。『交流会』でやらかすとは予想していませんでしたが」



 軽々と事実と嘘を交ぜて話す。手紙から読み取った思念は偽らない。更に顔を青くしたヒリスがその場に座り込む。騒ぎを起こした以上ヒリスが晒した醜態は隠せない。ノアンとの再婚約が難しくなったとヒルデガルダが溜め息を吐くと「ヒルダ」とアイゼンに邸内を見てごらんと促された。

 誰も今の出来事に注目していない。誰一人として視線が移っていない。何故? と考える必要もなかった。



「ヒルデガルダ」



 オシカケを連れたオーギュストが現れた。



「マクレガー公爵令嬢が庭に出た時点で人払いの結界を張っておいた。お前達以外誰も見ていない」

「随分と準備が良いのね。まあ、お陰で助かったけど」



 ノアンとヒリスの再婚約を果たすには、ヒリスのやらかしは大きなマイナス点となる。


 但し、都合の良い点もある。



「っ……」



 初めは平然としていたノアンの顔が薄らと赤く染まり、呼吸の方も荒くなりだした。媚薬の効果は半減されないようで歩こうにも足を動かしただけで足下がふらつき、膝を地につけた。「ノアン!」泣きながらヒリスが駆け寄るも首を振られた。



「いいっ、リスト侯爵に言って客室で休ませてもらうっ」

「で、でもっ」

「ヒリス。サンチェス公爵が騒ぎを起きぬよう配慮してくれたと言えど、お前がしようとしたことはマクレガー公爵家の名に泥を塗る行為だ」

「分かっていますっ、でも、ノアンともう一度婚約するには、ヒルデガルダ様を……!」


「……」



 正当な理由がないとノアンとヒルデガルダの婚約解消なり破棄は国王が認めない。ヒルデガルダが傷物となれば、国王も納得するとヒリスなりに考えての行動。媚薬で苦しむノアン、愛する人ともう一度婚約したくてやらかしたヒリスを見てヒルデガルダが考えるのは一つ。



「ノアン様、マクレガー公爵令嬢」



 ヒルデガルダが呼ぶと二人は同時に向く。



「丁度良い機会です。媚薬で苦しむノアン様をマクレガー公爵令嬢が鎮めてさしあげれば、晴れて二人は本物の愛し合う者達となれます」

「ヒルデガルダ……? 一体何を」

「何をってノアン様」



 困惑の表情を見せるノアンに近付き、顔を近付け妖艶に微笑む。微かに目を見開くノアンへ掛ける言葉は一つ。



「私と婚約解消なり破棄なりする絶好の機会ですわよ。マクレガー公爵令嬢を抱けば、晴れて私から解放されます」

「!」

「可哀想なノアン様を漸く解放させられる瞬間が来て私も嬉しいですわ」

「ヒルデガルダ……っ!」



 恋愛小説を現実にした愛し合うノアンとヒリス二人をこれからも見られる。ノアンの為でもヒリスの為でもない、自分が純愛を見たいだけの欲望そのまま。恍惚とした笑みで語るヒルデガルダを強い非難を帯びた紫水晶の瞳で睨み付けるノアン。



「何故怒るのです? 媚薬を浴びて苦しむノアン様をマクレガー公爵令嬢が慰めるだけではありませんか」

「ヒリスの気持ちはどうなるっ」

「形はどうあれ、ノアン様と再び愛し合えるなら、マクレガー公爵令嬢だって本望でしょう。ノアン様はどうしてお喜びにならないのですか」



 分からない。

 心底分からないと首を振ればノアンの表情はより険しくなる。人の心ほど複雑かつ厄介な代物はない。そろそろノアンとヒリスの二人を客室に送り届けよう、とノアンから離れ指を鳴らした。瞬時に発動した転移により二人は消えた。



「オシカケ」



 オーギュストの側で心の底から呆れ果てた眼差しでヒルデガルダを眺めていたオシカケを呼び、行くぞ、と歩き出した。何処へ? と訊かずとも解せる。客室へ送り込んだノアンとヒリスの許。元婚約者との不貞を目撃した体にして国王にノアンとの婚約解消を求めるのがヒルデガルダの策。今後も二人の純愛を見たい欲が強いヒルデガルダを止めたところで意味はない。



「お嬢って」

「うん?」

「鬼畜にも程あるでしょう。あれ絶対王子怒ってますって」

「怒る理由が妾には分からん。形はどうであれ、マクレガーの娘と復縁が叶うというのに」

「悪魔の台詞ですね」

「ああ。妾は悪魔……魔族の元王だぞ。何を言う」

「そういう意味での悪魔じゃないですよ」

「悪魔に他の意味があるのか?」

「お嬢に言っても理解されないンでこの話は終わりにしましょう」



 自分から言っておいて強制終了させたオシカケを不満げに見つつも、取り敢えず客室へ行くと気持ちを切り替えた。

「オーギュストは行かないの?」とアイゼン。



「ああ。行きたいなら行けばいい」

「うん、行くよ。……ミラの言う通り、怒っていそうだ」

「やり方がこれだからな。正攻法でいっても陛下は納得しないとなるとこうするしかない」

「それもあるけどさ」



 愉し気にしながらアイゼンが言うには、ノアンはヒリスを愛しているのは事実だがヒルデガルダにも少なからず執着を持っていると話した。嫌いで憎らしい婚約者なのに気になって仕方ない。側を離れていこうとすると如何なる手段を使っても留めておきたい。子供か、と呟くオーギュストに子供だよ、と肯定した。



「僕やオーギュストからしたら、どんな人間だって子供だろう」

「確かにな」

「じゃあ、僕は行くね。あの二人がどうなろうと知ったことじゃないが、王子にはヒルダを諦めてもらわないと」



 ——客室へ飛ばされたノアンとヒリスが着地したのはベッドの上。ヒルデガルダの嫌がらせだ。媚薬の効果で身体が熱く疼く。どうにか早く鎮めたいが時間のかかる代物と見える。此処にヒリスがいてはヒルデガルダの思う壺。名を呼ぼうとしたノアンを震える手が押し倒した。



「ヒリス……」

「ノアンごめんなさい……私……私はノアンとやり直したい、ノアンが一緒じゃないと嫌。ヒルデガルダ様の思惑通りになろうと構わないっ」



 服に手を掛けたヒリスの手首を掴み、退かせようとするが上手く力が入らず、ヒリスが本気でヒルデガルダが望む通りになろうしているせいか普段より力が強い。媚薬のせいで力が入らないノアンでは邪魔をするのがやっと。



「お願い、ノアン」

「……すまないヒリス」



 動かし辛い腕を動かしてヒリスの手を掴み魔法で眠らせ、上に乗る彼女を退かせベッドに寝かせた。

 身体を巡る魔力の流れを把握し、媚薬の効果を少しでも薄める作業に入った。時間は掛かっても効果が切れるのを待つよりかはマシだ。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?