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第21話 マル暴

 渋谷事務所に出勤すると、見慣れた黒スーツの猫背がいた。暴力団関係者を主に捜査している組織犯罪対策部捜査四課の刑事——通称マル暴の飯塚だ。飯塚は僕を見やると、応対していた大友に訊ねる。

「何度も聞くけど、新しく入ってきたあの人、未成年じゃないよね。ヤクザが未成年雇うなんて今時許されないからね」

「わかってますよ。そんな馬鹿な真似、しませんって」

「未成年を鉄砲玉なんかにしたら、事務所丸ごとガサ入れて、紐付けて組員しょっ引くからね」

「物騒なこと言わないでくださいよ。それにうちは今、どことも抗争なんて話はありませんよ」

 いたって丁寧に、だがしたたかに大友は飯塚を煙に巻こうとしている。

「『滝川会』と抗争しようと企てるんでしょ。連中のケツ持ちしてる店を襲撃したのもお前たちだと噂が流れているよ」

 大友は目を見開き驚いた——フリをした。

「知りませんね。そんな噂があるなんて。事実無根です」

 飯塚は埒があかなくなったのか、「じゃあ今日はもう帰るから、馬鹿な真似はしないでね」と釘を刺し帰っていった。


 大友は溜息をつき、同じ渋谷事務所に属する田村に、「奴ら警察も感付いているな。俺は今からソープの回りだから、若頭が帰ってきたらその旨伝えておいてくれ」と言った。

「わかりました」

 そうして大友も事務所から去っていく。

 もちろん田村とは『吐夢走夜』の斎藤を殴りつぶした男。佐倉の側近で、ヤクザ歴は五年だ。

 田村に軽く会釈して、話しかける。

「田村さん、今から泉谷組長のところに行くんすけど、そのこと若頭に伝えてもらってもいいですか」

 田村は苦笑して、「俺は伝書鳩じゃねぇんだけどな」と嘆息した。

「まあがんばれよ。若頭も喜んでたぜ。お前が主体的に行動してくれることをな。やっとヤクザらしくなってきたんじゃねぇか」

 田村は温情派だ。強面の顔面でありながらも、人懐っこい表情をよく浮かべる。ヤクザになりたての頃も、仕事のイロハを教えてくれた。

 僕は田村に別れを告げ、心の中で気合いを入れ池袋事務所へと向かった。


 以前来たときは閑散としていた池袋事務所の部屋には、新たにソファ二つと円卓が置かれていた。そのソファに五人の男たちが座っている。その中の一人が上原だった。こちらに気付くと上原は驚いた。

「小野、お前もこのチームに?」

「ええ。そうです」

 すると栗髪ボサボサの三十代ぐらいの男が僕らを見やり、

「上原の知り合いか」

「ああ、東堂。族時代の仲間なんだ」

 東堂と呼ばれた男は、ソファから立ち上がり僕に手を差し出した。「よろしく。東堂だ」律儀な奴だなと思って、僕はその手を握る。「小野です」

 ソファとは離れたオフィステーブルの側の椅子で、仏頂面にA四用紙の束の資料を見ている泉谷が、「全員揃ったな」と言うと全員が直立した。

「では挨拶を始める。東堂、確認を」

「かしこまりました。只今滝川暗殺チーム、通称『ALPHA(アルファ)』を設立しました。このチームの存在は極秘裏にすること。ここでの定例会議の情報も、もう一度述べますが内密に、絶対に”外部ネットワーク”に流出しないこと。それを徹底してください」

 外部ネットワークとは他の暴力事務所との情報のやり取りをする時に活用するものだ。関東おろか日本中に張り巡らさられていて、組が公開できる情報を自由に閲覧できる。その方法は、ネットの裏サイトだったり、ツイッターでの暗号化されたメッセージなどだ。

 こうして正式に滝川会会長、滝川元(はじめ)の暗殺チームが旗揚げされた。

「では、定例会議を始めます——」

 早速始まった会議、もちろん本題はどう滝川を殺すかだ。だが滝川は消息不明で、裏から佳に指示を出しているという現状。居場所の尻尾さえ掴めない。

 組員の提案に東堂が答えていく。相当頭が切れるのか、東堂は理路整然と答えている。

「『滝川会』に半グレを使って中にコネクトを作るというのは?」

「半グレも今時、そんなスパイの真似事なんて誰もしねえよ。どれだけ金を積もうが危ない橋は渡らねえ連中だからな」

 半グレは暴力団にとって手足のような存在だ。金を積めば暴対法で自由に動けない暴力団に代わって犯罪をやってくれる。だが今回のように巨大な暴力組織の潜伏調査といった毛色の違うものは誰もやりたがらないだろう。連中の報復が怖いからだ。

「じゃあどうする? 奴らの内部情報が掴めないぞ。闇雲に動くのは得策じゃない」

「あの——」

 僕は意を決して声を出した。泉谷の目が光る。「どうした」

「僕が建前で『滝川会』に座布団を移すというのはどうでしょう」

 座布団を移す、鞍替え。『多田組』から『滝川会』に移るというわけだが。それに消極的になったのが泉谷や東堂だった。

「そんなこと出来るのか。連中を信用させて、その上で佳に接近するなんて難しいだろ。一歩間違えれば殺されるぞ」

 そんな泉谷の言葉に、僕は「わかっています」と言った。

「覚悟の上です。僕なんてまだまだこの業界では新参。この命が少しの役に立てるだけでも本望です」

 そんなこと、思っていない。ただの嘘でしかないが、それを泉谷や他の組員も信用したらしい。東堂は、「さすがだな」と呟いた。


 会議が定刻通り終わり、それから再び集まった深夜二時。僕と上原と東堂は、歌舞伎町の『多田組』がケツ持ちしているキャバクラで豪遊していた。

 普通、水商売の店は入店時に年齢確認が求められるが、『多田組』の組員だと言ったら、そんなのは関係なしに通してくれた。

 そして、左右に可憐な女性をはべらせ、酒を飲むこの時間。僕は普段味わえない独特の浮かれた雰囲気を感じていた。

 僕の左に座る女性は南愛華と言った。金髪ロングで、店のナンバーワン嬢だ。鼻筋が通っていて、慈しむような涙袋。大きく開かれた瞳。まるで機械人形のように人間らしさがない女性だった。

 東堂が大分と酔ってきて、くだらない下ネタを口にしひとりでに笑っている。キャバ嬢の顔が引き攣り、あははと愛想笑いを見せている。

「随分とお若いんですね」

 南が僕に視線を投げてくる。僕はどう答えたらいいものかと少し悩んで、正直に「はい。まだ十六です」と言った。

「え、その歳でこの職業を?」

「いろいろありまして……」

 南が僕の手にそっと自身の手を重ねる。


「教えてくれませんか?」

 南の一つ一つのしぐさが艶めかしく思えて、ドキリとする。年上の女性にこうも言い寄られたことなどないから。


「身内を殺すと脅されて仕方なく……この世界に入ったんですよ」

 ごめんなさい辛気臭い話で、と言うと南は、


「苦労されているんですね」

 と温かい笑顔を見せた。それが僕にはどこか特別さを感じられて、でもキャバ嬢の笑顔なんて誰にも見せる作り笑いでしかないとわかっているのに、心をくすぐられた。

 東堂の呂律も怪しくなってきたので、帰ることにした。席を立つとき南が「このあとアフターに行きませんか」と微笑んできた。

 特に用事は無かったので頷いた。アフターがどういうものかわからないが、きっと飲食店とかで会話をすることだろう。

 それから四時、営業終了後店を出て、酔った東堂と共にタクシーに乗り込んだ上原は、僕に「明日からがんばれよ」と言った。明日、僕は重要な仕事がある。それを鼓舞してくれているのだろう。ありがたく、礼を言っておく。


 タクシーを見送ってから、数十分後。店の裏口から私服姿の南が現れた。


「お待たせ」


 僕と南は繁華街を歩く。いたるところにあるネオンサインは夜の街を照らし、そこにいる人々を淫靡なものに見せる。

「普通はこんなこと聞かないんですけど、小野さんって彼女いるんですか?」

 やけに普通ってところを強調してくるな。特別感の演出はキャバ嬢のマニュアルにでも載っているのか。

 まあ、彼女と言われて夏木の名前を出すのは嫌だ。だからこう答えた——。

「いませんよ。前はいたんですけどね。すごくかわいくてでも脆く儚い子なんです」

「別れた今でも、その人のことが忘れられないんですか」

 忘れられるわけがない。ヤクザになってから、僕は彼女のことをずっと想ってきた。シノギを上げられなくて兄貴から怒鳴られた時も、孤独の夜で絶えず先の見えない未来に絶望していた時も、ずっと想像の世界では江美の姿があった。


「忘れられません。忘れないと、駄目なんですけどね」

 過去に未練を残していても先へは進めない。すると南が腕に抱きついてきた。南の胸が当たり、主張してくる。

「じゃあ今夜、私が忘れさせますよ」

 目の前にいつの間にかラブホテルがあった。僕は昂揚を感じながらも、

「すみません。僕には……」

 すると、すっと南が腕を離し僕の背中を叩いた。「冗談ですよ。冗談。かわいい年下をからかいたくなったんですよ」

 また笑顔を見せたが、それは営業スマイルなんかではなく、彼女の陽気な性格を露わしているかのようだった。

「ほんと、純粋だな十六歳。私、その頃に戻りたいよ」

「僕は早く大人になりたいですけどね」

 そんな話をしているうちに二十四時間営業のカラオケ店に着いた。「ここでアフターしよっか。酔いが覚めるよ」

 キャバクラで、東堂から無理に酒を多く飲まされていた僕にはそれがありがたかった。もしかしたら南は気遣ってくれたのかもしれない。


 店に入り受付を済まして部屋に入る。すると楽しげにデンモクを触り始めた南は、「私、高校の頃、軽音楽部でボーカルやってたんだ。すごく歌うまいからびっくりするよ」

 自分で歌うまいっていう奴は大したことないんだよな。と思っていると、恋愛ソングのイントロが流れ出した。

 南が歌い出すと、体が震えた。南の歌唱力は少し聴いただけでもわかるほど卓越していた。なめらかな歌声、細かな音楽技法。圧巻してしまう。

 曲が終わり、南が笑いかけてくる。「どうだった?」

「確かに、すごくうまかった」

「でしょ」

 それから互いに何曲か歌い終わって、デンモクを操作している傍ら会話をしていた。


「私ね、四つ年下の弟がいるんだけど、生粋の不良でね。どこかの暴走族に所属しているみたいなんだけど。そこでも喧嘩ばっかり。どうして男って皆、喧嘩好きなんだろう」

「僕は嫌いですよ。暴力」

「じゃあ今の職業、やってて辛くない?」

「正直言うと辛いです。でも身内を守るために仕方なく」

「そっか……。私の弟に小野さんのすごさ、教えてやりたいよ。一度ね弟が血だらけで帰ってきた時はびっくりしてさ——」

 弟のことを語る南の顔は、まるで愛情に包まれていた。そして不思議とどうしてか北川と南の雰囲気が似ているなと思った。どことなくそんな面影があるような。


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