二月十八日。僕は『滝川会』と交流がある半グレ、『メビット』の集会場、とある高架下に来ていた。
今日ここで『メビット』と接触し、『滝川会』に潜りこむのが仕事だ。気を引き締める。
夜が深いにもかかわらず、大音量でHIPHOPを流して軽快に踊っている数十人の若者。
「お前ら、ちょっといいか」
音に負けないように声を張って言う。すると僕の顔を見た若者たちの顔が思いっきり引き攣った。「小野さんじゃないですか。なんか僕たちに用ですか」と警戒心たっぷりに問う。
僕の名前と情報は関東中の不良に知れ渡っている。それほどまでに関東最強という異名のネームバリューが大きいのだ。
「『滝川会』に座布団移したくてな。誰か向こうの奴を紹介してくれよ」
「小野さんってたしか『多田組』ですよね。何かあったんですか」
「ちょっと、な。いいから誰か呼べや」
怒気交じりに言うと若者たちは怯んだ。
「じゃあ、電話しますからちょっと待っててください」
若者の一人が電話をかけ出した。それから数十分、長身の男が高架下に現れた。
「お前がうちに移りたいっていう小野か。俺は佐野だ。若頭に紹介すっから来いや」
佐野についていくと、白のセダンに乗せられた。
若頭というのは亜東佳のことか。夏木は佳のことを“頭(かしら)”と言っていたから、ナンバーツーでありながらも佐倉のように組事務所を任されているのだろう。
車が動き出すと、佐野が僕を見やり言った。
「どうしてうちに来たいんだ。その理由を教えてくれ」
「……『多田組』のやり方にうんざりしたんですよ」
「所詮どこの組もやり方は一緒だろ」
「『多田組』は違う。そもそも僕はこの業界に入りたくなかった。だが脅されて無理やりだ。そこからシノギを上げさせられる毎日。そんな『多田組』のことを恨むようになって、復讐したくなったんですよ」
「色々あったんだな。だがそんな手前勝手な私怨でうちに入組できるかわからないぞ」
そうこうしているうちに、『滝川会』池袋事務所の前に着いた。
車から降りて、事務所へと入ると窓際の椅子で優雅にティーカップを持っている亜東佳の姿があった。以前と変わらない赤髪のツーブロック。僕を見るなり「お久しぶりです」と丁寧で試すような口調で言った。
「小野健二、あなたはうちに鞍替えしたいと。その理由はなんです?」
僕は先ほど佐野にした話を繰り返した。すると、佳は鼻を鳴らして、
「復讐ですか。……本当にそんなこと思ってますか? 今の『多田組』と我々の状況が状況だからね。よって正式に入組するかどうかは明朝に伝える“仕事”を遂行してもらってから決めます。それが筋だし信用ってもんでしょう」
僕は強引にでも押し切りたかったがおとなしく引き下がっておく。「わかりました」
事務所から出て、少し歩いて路地に入る。誰もいないことを確認して、泉谷に電話をかける。三コール目でつながった。佳とのやりとりを話すと、
「その“仕事”が何を指すのかわからないな。よし、こっちでも何か考えとく」
「ありがとうございます」
佐倉と違って泉谷は頼れる親分肌だ。そして僕は溜息をつき、夜空を見上げた。佳が言う“仕事”とは何か嫌な意味をありありと感じられて仕方ない。けれども、『赤城』を守るためにはその内容によってはやらなくてはならないだろうと思う。
拳を握りしめて、天へと向ける。自分自身を鼓舞するように——。
*****
その日の深夜三時。佳の事務所から帰った一時間半後のことだ。
インターホンがまるで怒りを宿しているみたいに幾度も鳴り響いた。僕は布団に入ってうつらうつらしていたので急な来訪者に憤りを覚えた。急ぎ足で玄関へと向かい、怒鳴り付ける。
「誰だ、こんな時間に‼」
夏木と北川が立っていた。夏木は恨みがましくこちらを見上げているし、北川はいたって能天気だった。
「お前ら何しに来た」
「俺はたまたまコンビニに行こうとしたらクズ女を見かけて。ついてきた」
「浮気男を締め上げにきたのよ」
「二人とも、深夜に来る理由としては非常識だし、それに夏木はなんだ。浮気男って僕のことか?」
身に覚えがないし。というか眠いし。
「そうよ。まず部屋に上がらせてもらうわ。女の下着のチャックよ」
そう言って、ずかずかと部屋に入ってくる夏木。衣類ボックスやベッドの下などを念入りに調べ上げる。まるで鑑識だ。
僕は溜息をついて、夏木にどうしてこんなことをするのかと質問する。すると夏木は携帯を開いて写真を見せてくる。「これが証拠よ」
そこには、僕の腕に抱きつくあのキャバ嬢――南愛華の姿が映し撮られていた。その写真を興味本意で見た北川の表情が青冷める。
「俺の姉ちゃんじゃねーかよ……」
「は? いやでもこの人の名前、南って……」
北川は顔に手を当て、絶句しているようだった。
「南愛華は源氏名で、本名は北川希(のぞみ)だよ。それにその写真にラブホ映ってんじゃねーか。まさか健二、お前……」
「いや違うって。たまたま腕に抱きつかれただけだよ。それから何もしてないって」
ジト目で夏木はこちらを見てくる。その真意を探るように。
「ほんとに?」
「ほんとだよ。ってか、僕とお前は形上付き合ってるだけだろ。僕が浮気しようが何しようが構わないだろ」
「いいえ。付き合ってる以上、浮気は許さないわ」
そう言って僕を絶えず上目遣いに睨んでくる。北川は横でぶつぶつ何か言ってるし、カオスな状況だった。だから思わず、
「勘弁してくれ」
と声が漏れた。だがそれは誰の耳にも届かなかった——。
7
「聖斗の殺害ですか……」
翌日。佳の事務所で、まるで僕は心を突き刺されたような気持ちになっていた。
佳は人を子馬鹿にするような笑みを見せて、
「奴らは我々に喧嘩を売ってきた。それの報復ですよ。出来ますよね?」
「僕に鉄砲玉をやれと」
「代わり玉は用意しておきますから、あなたが捕まることはないです。大丈夫ですよ」
胸の中の葛藤を全て見透かしたように、佳は言った。「これが成功すればあなたを構成員として認めますよ」
「少し……考えさせてください」
どうぞ、ごゆっくり。と佳は言って紅茶を口に含んだ。どこまでも余裕のある奴だ。それに対して僕は逼迫している。どう転んでも悪い未来しか訪れない選択。
事務所を重い足取りで出て、上原に電話をかけた。佳に命令された仕事の内容を話す。
「そりゃ、まずいな。泉谷組長にも話しておく。それと今夜、代々木公園で集合な」
赤城の集会場だ。僕はもちろんですと答えた。
それから時は過ぎて――。
夜の十一時。不愛想な男たちが酒を飲んでいる光景を傍目に見ながら、僕と上原と北川は煙草を吸っていた。
「――北川聖斗の殺害か。連中は本気だな」
北川は、自身のことなのにいたって平然と言いのけた。上原は溜息をついて、
「佳は小野のことなど信用していない。もし北川を殺しても、そのあとも無理難題引っかけて都合よく利用し、健二を消すだろうな」
そんな上原の予想に、僕は身震いする気持ちだった。これがヤクザの、佳のやり方か。
どうすればいいんだ。
どっちみち入組できないという事実が僕に戦慄させる。
「どうするんだ。八方ふさがりだぞ。やはりお前が座布団を移すっていう作戦を見直すしかないだろ」
「それじゃあ何も変わらない……」
上原の言葉に強く反論した僕。上原は顔を顰めて疑問を投げた。
「どういうことだ」
「僕が滝川暗殺チームに入った理由は『滝川会』につぶされようとしている『赤城』を守るためです。佳はそれをすぐに実行する。だから僕は早く阻止しなくてはならないんです」
「尚更どうするんだ。方法なんてないだろう。諦めるしか……」
僕は、「いや、一つだけあります」と言ってその方法をゆっくりと話した。それを聞いた二人は絶句した。