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第23話 そして一人の少年は決断した。

 三日後。二十二日。昼の十二時。佳の事務所には僕と佳の二人しかいなかった。


「答えは出ましたか?」


 にやにやとしながら佳は紅茶を飲んでいる。この時間を楽しんでいるようだ。


「ええ、出ましたよ」

 僕は不安と焦燥を肌で感じながら、ジャケットから拳銃を取り出した。それを見た佳の顔が歪んだ。「何をしようとしているんです」

 その銃口を佳の頭部に向けた。すると佳は震える僕の手を見て、嘲笑を浮かべた。


「あなたに人が殺せますか。引き返すなら今ですよ」


 うるせぇよ、と言って発砲した。佳の頭がかすかに揺れて、床に倒れた。血液が溢れる。

 溜息をついて、そしてその場に崩れた。激しい動悸がする。胸を掴んで鼓動が早まる心臓を抉り取ろうとするが叶わない。苦しい。苦しい。苦しい。

 初めて人を殺したことに、がたがたと震えるような恐怖が体を襲う。

 でもここに長居は出来ない。事務所を出て、泉谷の許へと向かう。

 そこから記憶がとぎれとぎれだった。たしか独断で佳を殺したことに泉谷は怒って、僕を殴った。その後命令で、事態が動くまで自宅謹慎となった。

 自分の家の部屋に戻り、膝を抱えうずくまった。しんどくて、ただしんどくて。

 飲食や睡眠も忘れて、そうしていた。時が経ち、室内の闇の中で僕は絶望していた。死んでしまいたい。そう思っていた。

 すると——何度かインターホンが鳴った。そして夏木が「鍵開いてたから入るよ」と言って室内に入って来る。


「健二、大丈夫……じゃないよね」


 うずくまっている僕を見て、夏木が心配してくる。「何か食べる? 食事食べてないんでしょ。軽いものなら……」


「帰ってくれ」


 強く言い放った。それほど余裕がなかった。

 すると僕の背中に温かい感触が触れた。夏木が抱き付いてきたのだ。それが鬱陶しくて、腹が立った。

「離せよ。どうせお前は僕を馬鹿にしにきたんだろ。性格悪いもんな、お前。——いいから、嗤えよ」

 何度も夏木を責める言葉を言う。しかし何も反論せずただそれに応えるように夏木は抱き締める力を強めるだけだ。


「僕は……一体どうすればよかったんだろうな。人を殺すしか、なかったのかな」

「あんたの行動をたとえ世界中が否定して、断罪したとしても私はあんたを肯定し続ける」

 やっと発した言葉は、僕を守るものだった。

「なんでそんなこと言えるんだよ。僕は人殺しだぞ」

「そんなの、私には関係ないもの。だって——」

 彼女がくすりと笑ったのが背後でわかった。

「私はあんたの恋人ですもの。たとえ偽りの、偽物だとしてもね」

 僕は、どう答えたらいいのかわからなかった。でも彼女の想いを感じて救われた。だからありがとうと心の中で呟いた。


*****


 三月二十日。警察が佳の殺人事件を捜査している頃。頻繁にニュースで報道がされた。

 僕は買い物に行かなくては、と思い帽子を目深にかぶりアパートから出た。

 いつ逮捕されてもおかしくない状況。佐倉からも事が落ち着くまで事務所に顔を出すなと言われていた。

「健二——」

 思わず名前を呼ばれて肩を震わせる。警察か、と思って振り返るとパーカ姿の相原が立っていた。

「へ」と状況が信じられなくて間抜けな声が出る。どうして見殺しにした相原から声をかけられたんだ。


「信じられないって顔だな」

 相原が人懐っこい笑みを浮かべる。その表情はずっと見てきたものだった。

 近くの川の土手に移動して、相原に疑問を投げた。

「どうして生きてるんです」

「生きてちゃまずいか?」

そんな皮肉に僕は「すみません」と謝るしかなかった。


「いや、いいんだ。実はあの二日後。自然と手の縄がほどけてな。それから組には戻らずホテルで隠遁生活を送っていたんだ」

 最近お前はどうだ、と問われて僕は人を殺したことを伝えた。


「そうか。それは大変だな。マル暴も懸命に捜査しているだろうから捕まるのも時間の問題だな。懲役くらう前に誰か会いたい人に会っておけよ」

「でも会って大丈夫なのかなって」

「女か?」

 僕は頷いた。すると上原はけらけらと笑い、

「大丈夫だって。その人もお前に会いたいかもしれないしな」

 僕は相原に言われて、そうしようかと思った。

「これから俺は田舎に移るつもりだけど、お前はどうすんだ? ヤクザ続けんのか」

「出来れば、もうやめてしまいたいです」

「なら、罪を償ったらヤクザやめて、ちゃんとした仕事に着けよ。俺はずっとお前のこと、応援してるぜ」


 相原は僕の背中をはたいた。その力強さに、僕は励まされた。

 そして四月一五日。僕は北川にお願いして江美に会う機会を作ってもらった。

 夜の帳が降りている。僕ははやる気持ちを押さえつけながら、江美の到着を待っていた。

 ここ、代々木公園には他に『赤城』の人間もいる。

 煙草を吸いながらぼんやりと虚空を見つめる。すると、明るい声が僕の耳に届いた。


「健二君——」

 江美が小走りでこちらに向かってくる。僕はすぐに煙草を捨てて、江美に抱き付いた。

「ごめんね——」

 江美のぬくもりや、彼女の髪の甘いシャンプーの香りを感じつつ、幸福を感じていた。

 ベンチに並んで座り、二人だけの時間を楽しんだ。私はつまらない日々を過ごしていたんですよ、とか会えて本当に嬉しいです、と歓喜を零す彼女の姿に胸を打たれた。僕と同じように江美も再会を切願していたんだ。

 空が朝日を帯びてきて、人のベールを包む闇が消えてきた頃。江美はもう時間だから、と言って去ろうとした。僕は衝動的に彼女の腕を引っ張り、驚き強張った彼女に口付けした。それはとても長く、でも刹那の時間だった。そんな時間の感覚が曖昧になるほどの口付けで。


 その後、彼女は照れた顔で俯き、「びっくりしましたよ……」とかすれた声で呟いた。

 江美が今度こそこの場から去り、近寄ってきた北川に僕はこう言った。

「何年かかるかわからないが、あの子のこと頼んだ」

 北川は面倒だと頭を掻いて、でも「任せろ」と言ってくれた。

 彼女とまた会う日を祈って、僕は天を仰いだ。登り始めた太陽の光彩が、僕を見下ろしていた。

それから一週間半後、自宅に逮捕状を持った刑事が現れた。手首につながれた鎖は僕の罪を責め続けるようで。体が緊張した。


 そして警察署の取調室に入れられた僕は、あのマル暴の飯塚に、今回の殺害は組からの命令ではないかと問われた。しかし口をつぐんだ。黙秘し、抗争のことも決して喋りはしなかった。

 拘置所で暮らす中、僕は絶望していた。もう自分には明るい未来は訪れないのかと悲観に暮れて——。




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