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最終回

「があっ!」


 伝ってくる衝撃を力ずくでねじ伏せると同時に、キン、とガラスが縦に割れるような音が空気を裂いて伝わる。

 確かな手ごたえ。

 空間を分けていた見えない隔壁の砕け散る音がして、結晶化した力の欠片のような光がきらきらとタガーへと降りそそぐ。行き場を失い、逆流した力は術師のシャンリルの体を背後へ弾け飛ばせ、風乱の補助も断ち切られた彼はそのままそこで動かなくなった。


 そんな使い捨ての小道具の行方を気にかける余裕など、今の風乱にはない。


「ええい……」


 再び自分のなかに生まれた疎ましい感情を嫌悪し、歯軋りとともにそんな言葉を口にする。

 またもや欺かれていた怒り、苛立ち。

 そして消しがたいおびえに、身を震わせた。


 今だかつて、こんな思いをしたことがあったろうか? こんな……。


「そんなはずはない!」


 全身から放たれた否定。そして同時に振り切られる腕。

 今までのものとは比較にもならないほど凄まじい爆音をたてて漆黒の風刃が地を疾走し、タガーへと肉薄する。だがタガーはそれを正眼にかまえた剣の切っ先で、いともたやすく左右に散らしてしまった。


 風乱が手を抜いたわけではない。2つに裂かれた力はタガーの背後に広がる崖に重い地響きをともなって、2つの巨大な亀裂となって刻みこまれたのだから。


(どこだ……)


 魘魅は創られたまがいものの魅魎。用うる力のすべては、依り代より出ている。依り代さえ砕けば、その瞬間に魘魅は消滅する。


 獣が深く牙を突きたてたような激痛に、今にも崩折れそうな体を必死に支える。もうすでに手足の感覚はほとんどなかった。


 足はちゃんとあるか? 本当に立っているのか?

 それすらもあやふやで分からない。


 だが、死ぬわけにはいかないのだ。

 この身からどれだけの血が流れようと、たとえ腕をなくそうと。契約を果たし、あの魅魎を倒すまでは。


 テアを取り戻すまで!


 ぐい、と乱暴な仕草で目に入りかけた血をぬぐう。

 死の崖縁に立ち、生きたいという願いが過剰とも思えるほどの力を導く。一際冴えた碧翠の瞳に切りこむように入った一筋の朱線は、依り代のありかを正確に伝えた。


 真円を描いて濃い庫気を全身へと漲らせる、そのありかは、額!


「てめえなんか、消えっちまえーっ!」


 地に叩きつけるような叫びもろとも走りこむ。


「ぬかせ!」


 たかが人間ごときが!


 がっと指を開き、仰向けた掌の上に球体ができた。真昼の太陽のごとく強い輝きを放ちながら膨れあがったそれを高々と掲げ、空で解放する。

 飛び散ってゆく風の刃がありあらゆる方向からタガーを襲う。裂かれた空間は疳高い悲鳴を上げ、地は唸った。


「なめるなあっ!」


 目前に迫ったそれに向け、ひるむことなく剣が横に振り切られる。

 ほとばしる黒い力は雷のように空を伝い走り、ともに真っ向からぶつかりあった。


 巨大なもの同士がぶつかりあう音が低く轟き渡り、白い光の闇が一帯を覆い尽くす。

 怒涛の一瞬の後、雌雄は決したのだった。




「ば、かな……この、私が……」


 割られた額に手をやって、風乱がうめく。

 己の内より流れ出た血で黒く染まった手。蒼白し、信じがたいといった目をして背後のタガーを振り返ろうとした、その刹那。割られた依り代は完全に砕け散る音を周囲に響かせ……風乱の体は一握りの砂塵となって地表へ散っていったのだった。


 風乱の支配から解き放たれた風が、それをどこへともなくさらってゆく。


「……へっ。現実を見ることだ」


 頭を振って、血を飛ばしながら答える。

 ま、もう遅いか。


 風乱が消え、ようやく正気を取り戻したシャンリルが身を起こすのが目端に入った。途中、横倒しになった木の又にひっかかっていた鞘を拾い上げて櫻をしまって、服の端を破いた布で右目をおおいながら近寄ると、タガーは満足そうにうんうんと頷いた。


「やっぱ、銀だったな。おまえの目の色」


 かけられた言葉に、え? という顔をしてタガーを見返す。


「ここは、もしかして西はずれの……? なぜ……。私はたしか……。

 あの、私は……」


 操られていた間の記憶が徐々に戻ってきて、混乱しているのか、シャンリルは鈍い痛みのするうなじに手をやりながらつぶやいていた。


「おまえはあのばか魅魎と一緒になって、俺を殺そうとしてたんだよ。

 覚えてないのか?」


 その言葉に、あらためてタガーへ意識を戻す。

 血にまみれた姿にそれがうそではないことを悟ると、シャンリルはすうっと表情を失い、信じられないといった顔でゆるゆると首を横に振った。


「操られるくらい、闇の傷が残ってるってことだ。

 目も戻ったことだし、さっさと浄化しちまえ」


 言って、よっこらせとシャンリルを引っ張り立たせる。

 シャンリルが完全に立ち上がった直後、かわるようにタガーの体が後傾した。


「いてっ」


 倒れ込んだ先、何かに肩をぶつけて痛みに声を上げる。ごそごそと肩の下を手探りして、痛みの元を引っ張り出すと、それは剣の柄だった。


「何だこれ?」

「それは――」


 シャンリルが血相を変えたのを見て、ああ、とタガーも察する。


「そうか、これが町の者たちが、生け贄を出しても隠そうとしてたやつか」


 顔の前に持ち上げた、それは透明感のある碧翠色をしている。

 自分の右目と同じ色、というので、タガーはむうと眉を寄せた。


 あの男を喜ばせた、碧翠の目。

 嫌いだ、こんな物。


「やる。持って帰れ」


 そわそわと落ち着きない様子でタガーの手の中の竜心珠の剣柄を見ていたシャンリルに向かってそれを投げた。


「……いいんですか?」


 その値打ちを知るシャンリルは、タガーがこれも自分の物と言い張って、売り払おうと考えたらどうしよう、と思っていたのだが。どうやらタガーにその気はないようである。


「いい。そんなの、いらねえ」


 不満を言うようにうずく右目を、あてた手の下で感じつつ、タガーは断固として言い切った。


「俺には櫻がある。ほかの魔剣なんか、いらねえんだよ」

「? はあ……」


 タガーが何を言ってるか分からない様子で、とりあえず相づちを打ったシャンリルを見るように、タガーが首を傾ける。


「おまえのせいで、もう指1本動かせねえ。疲れたから、ちょっと寝ることにする。

 今度は、ちゃんと客室で頼むぜ」


 出血の多さに気を失いかけているというのに、しっかり釘をさすことを忘れない。


「まったく、あなたという人は……」


 あふれ出す親しみと感謝に言葉をつなげられず、苦笑する。

 優しいいたわりの眼差しを向けるシャンリルの腕の中、タガーは安らかな眠りをつむいでいた。


 その脳裏をかすめた者がだれであるか、知る者はいない。







『魔断の剣5 隻眼の魔剣士 了』


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