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第48話 林間学校 5 陸の世界

 とうとうこの時間がやって来てしまった。


「時間過ぎるの早すぎんだろ」

「言うほど早くはなかったよね」


 思わず呟く隣でツッコむ海。

見ないでもわかる。これは呆れたジト目をしている声だ。


 昨日はあれからずっと眠ることができなかった。遥のことを悶々と思い出して。

今日一日、俺はずっと何をしているのか分からなかった。

今も今日のことを思い出せと言われても、俺は今日何をしていたのだろう。って返すしかない。


「昨日出かけたことと何か関係あるの」

「は?!」

「カマかけ。やっぱり出かけていたんだ」

「コイツ……っ!」


 見事に引っかかった。

海が俺を指さしてにやりニヒルに笑う。


「眞鳥さんだろ」

「もはや質問ですらないのかよ」

「顔赤いぞ」

「マジ?」

「ウソ」

「このやろ」


 胸元で拳を握る。

海はきゃー、と棒読みで距離を取った。


「陸ー、海ー。マイムマイムー」


 単語を発音するだけの妹が来た。


「……じゃあ、頼む」

「はいはい」


 海と手を繋ぐ。反対側に、空が飛びついて来る。

炎が中心で燃え盛る。

組んだ木の隙間から、火がチロチロと舌を出す。

まるで俺の無様を嘲笑っているようなそれ。

両隣で繋がれた体温は、それから守られているような温かみを持っていた。


「ねーぇ? 空さん、陸くんの隣変わってよ」


 空が俺の反対側で手を繋ぐ女子から文句を言われている。


「いやー、ごめんね? この子、臆病な森の賢者ゴリラだから……」

「はぁ?」

「飼育員として責任もって保護しますので……。せめて心を覚えた森の人オランウータンになるまで待って」

「はぁ?!」


 どういうことよ! 怒鳴られていても、空は素知らぬ顔。

空。身内ネタは、身内にしか伝わらないから身内ネタって呼ばれているんだぞ……。

思わずツッコミたくなった口を、唇を嚙んで噤む。


 マイム、マイム、マイム、マイム。

独特のメロディを口遊みながら、輪を縮め、広げ、また縮め。


「たーのしーねー」


 独特のメロディに釣られた、独特のイントネーションで空は上機嫌に笑う。


「陸。もう大丈夫だよ」

「なにが?」


 笑いながら、空は笑顔を向けて俺に言う。

繋いだ片手を持ち上げて、心底嬉しそうな蕩けた笑みを浮かべて。


「陸の手は、もう、誰も傷つけない」

「は」


 一瞬、何を言っているのか理解が追い付かなかった。

だけど、徐々にその言葉が頭に染みわたって、途端に怖くなる。


「いや、空、お前、何を言ってるんだよ」

「言葉の通りだよ。陸は、もっと外の世界にいるべき人」


 やめてくれ。やめてくれよ。


(ずっと、一緒に手を繋いでいてくれよ)


 この手を振りほどかれたら、俺はどこに行けばいいんだ。

どこに放り出されるというんだ。


 恐怖に怯える犬のように震えだす俺の腕を、海がしっかり握って、俺の目を見つめてくる。


「大丈夫。お前の手は、誰も傷つけない。ちゃんと力加減はできている」

「言葉が足りなかったかも。ごめんね」


 空が申し訳なさそうに眉を下げ、言葉を語り、増やしていく。


「陸。空たちは、陸の隣にずっといるよ。もしも物理的に距離が離れても、ずっとずっと、空たちは陸の味方」


 俺を見る空の目は優しい。

反対側を振り向けば、海も同じ光を宿していた。


「だけど、空たちと手を繋いだまま、陸はたくさんの人と手を繋いでほしいの」


 たくさんの人に、陸の手を知ってほしいから。

持ち上がった手は、空の頬に当てられる。


「空、陸の手はあったかくって好き。ケガする前より、もっと、もーっと暖かくなって、大好き」


 だから。

頬から手が離される。繋がれた手は、それ以上のぬくもりを伝えてくる。


「陸。怖がらないでいいんだよ。陸はね、化け物なんかじゃないんだよ」


 繋がれた手から伝わる言葉。

震える俺の手を、海は無言で離す。

次の瞬間、繋がれたのは別の誰かの手。


「な、なにをっ!」

「怖がるな」


 静かに。けれども力強く。

太く色づけた一言に、体がわずかに硬直する。


「お前の手は、誰に繋がっている? その人のことを、ちゃんと見れているのか?」


 言われるがままに確認する。

海と場所を代わったのは、遥だった。


「お前は眞鳥さんの手を、今、握り潰しているのか?」

「……そう見えるなら、イかれてるよ。お前の目」


 ああ。世界が歪んでくる。

いっそ流れてくるものが、炎の熱に溶かされて、跡形もなく干上がってしまえばいいのに。


(俺、二人以外と手を繋げているんだ)


 その事実が、どうしようもなく嬉しかった。

遥とは逆の隣を見る。

闇に浮かぶ、真っ白な少女が笑う。


「よかったね、陸」

「ああ……!」


 震える声を素直に吐き出す。

そうして、ようやく気付く。

俺の心は。俺の中身は。俺が何をしたいのか。


「陸」


 心は決まった。

だから、なんとなく想像のついた遥が次にいう言葉も、落ち着いて返すことができたんだ。


「どうした、遥」

「この後、時間を頂戴?」


 意味を理解するのに、時間はまったくかからなかった。

俺は頷く。

最後のマイムが響き、音楽は止まった。


 踊りきったことへの安堵。

一瞬の空気のゆるみ。

その隙をついて、遥は俺の腕を掴んで引っ張る。


「行こ、陸」


 ちら、と二人の方を見る。

マイムマイムが終わった瞬間、空は三浦さんを捕まえては楽しげに笑い合い、海もそれに同席している。

二人の視線はこちらに向くことなく、各々の世界に没頭していた。


「……行こうか」


 だから、何を言われる前に早々にその場を離れた。


 誘われたのは、炎の裏側をもっと離れた場所。

小川の流れる、静かな場所。

遥はそこで、縋るように見上げてくる。


「もう一回言うね。あたし、陸のことが好き。恋人になってほしい」


 遥の真剣な視線に射抜かれる。

ようやく触れられるようになった手の温もりも、だけど炎の熱には遠く及ばない。


「……多分、遥と付き合ったら楽しいと思う」

「……うん」

「女子力高いし、細かいとこにも気が回るし、みんなに優しいし」

「そうだよ」

「だけど、やっぱり比べちまうんだ」

「……うん。でも、あたしはそれでもいい」

「違う。俺が、あいつのことが大切で、守りたいやつで……」


 ようやく、言葉ができたんだ。

ようやく、俺の中身を語る言葉ができたんだ。

俺は遥と目を合わせる。

蜃気楼の錯覚は、もう、無い。


「遥が、空よりも優先順位が高くなることは、きっと無い」

「……空ちゃん、妹じゃん。いつかお嫁に行っちゃうと思うよ」

「それでもだよ。それでも、俺は空を守りたい」


 大事な妹なんだ。

見上げる瞳に映る俺は、きっとこれ以上ないほど幸せな顔を浮かべている。


「だから、ごめん」


 離す手。離れる距離。


「……知ってたよっ!」


 背中にかかる声は、思ったよりも明るい。


「空ちゃんとこ、早く行ってあげな!」


 炎の熱には振り返らない。

たとえ作られた明るい声に、湿っぽさが滲んでいても、振り払って向かう。

空のもとへ。


「あっ! 陸くぅん、お話は終わったのぉ?」


 ……行く前に、甘えた猫なで声で群がってくる女子たちがひふみのよ。

空気を読んでいたのか、見つけられなかったのか。

……見つけられないようにしてくれていたのか。

真相は分からないけど、輪の中心に立たされた俺は、囲む女子たちの告白を、聖徳太子の耳して聞く羽目になった。


「ま。オモテになること」


 その輪の外で、後方妹面の空。

からかいの含まれたニマニマ笑顔で海と囁き合っている。

 対する海は、さもありなんと頷いている。


「陸は見た目もいいし、将来スポーツ選手にでもなれば稼ぐことは分かりきっているからな」

「?!」


 驚いたように海を二度見する空。

俺もびっくり。

なに? 俺ってそんな目で見られていたの?


「将来性を見据えた投資ってやつ? 女子って計算高いよな」


 さっきまでの空と似たニマニマ笑顔で海が言うと、焦ったように空が叫びながら駆け寄ってきた。


「だ、だめーっ! 陸は、陸が幸せになれる女の子にでないとあげません! 空、許しません! 不純な動機、ダメ、絶対!」


 群がる女子の群れに果敢に立ち向かうも、その入り口で弾かれた空は、ぷきゅっと音を立てて地面に転がった。


「空は……無力だ……」

「元気出して」


 オロオロ事の成り行きを見守っていた三浦さんが、力なく地面に寝転がる空へ、ハンカチを差し出していた。


「ふっ、あはははははっ!」


 とうとう、堪えきれなくなった俺は、何とか耐えようとしていた大声を開放し、笑う。

それは大爆笑と言って差し支えない勢いで、周囲に群がる女子たちも、一瞬たじろぎ距離を置く。


「ほれ、空」

「ん」


 女子の群れを掻き分け、地面に大の字で寝転がる空の手を取って助け起こす。

空を抱え上げ、人の群れに叫んだ。


「悪い、みんな! 俺、手ぇかかる妹がいるから無理だわ!」

「なぁっ?! 空のせいにすんなーっ!」

「あっははははっ!」


 肩で暴れる空の声が、薪の爆ぜる音にも負けず、元気に星へと昇っていく。


 カラッと晴れた、夜の晴天。

空の元気な声を乗せて、にぎやかな夜は過ぎていく。



***


 中学最後の夏の思い出、そのひとつ。

俺たちは夏を過ぎ、またひと回り、年を取る。


「……まーたお前らも一緒かよ」

「んへへ、いーじゃん、いーじゃん」

「陸ひとりだと何かやらかしそうだし、お目付け役は必要だろ」


 お揃いの真新しい制服に身を包み、軽口を共に叩き合う。


「……にしても、海はともかく、空はよく同じ高校に入れたな? 普通科にしても相当難しかっただろ?」

「頑張った」


 問いかけになぜか海が答える。

遠い目をしたその顔は、疲れを思い切り滲ませていた。


「あぁ……」


 察した俺のその横で、空は得意げに、

「がんばってもらった!」

などとのたまい、海に拳骨をくらっていた。


「みんな、忘れ物ない?」


 リビングから母ちゃんが顔を出している。


「無い!」


 元気に返事。靴ひもを結ぶ。


「行ってきます!」


 行ってらっしゃい。その声を背に、俺たち三人は高校生としての一歩を踏み出した。

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