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第一章 自衛軍士官学校 第一期 戦闘試験

第1話 ルームメイトの不思議な先輩

 水の中を泳いでいた。

暗くて黒い、タールのような粘性のある水が、身体に纏わりついて、重くて気持ち悪い。


 鉛のように肩にのしかかるその水を、必死に掻いて掻き分けて、当てもなく目的も見えないまま、前へ前へと進んでいた。


(苦しい)


 息を止め泳ぎ続けようが、一向に見えぬ休息場。

息も継げずに藻搔き泳ぐだけの時間。


 どこまでも続いているかに見えたタールの水は、突然あぶくを無数に生み出し、目の前に浮かぶ。


 息ができる。

そう思ったのも束の間、あぶくのひとつに映し出された映像に息を呑む。


 優しい笑みを浮かべ、常に機嫌の良さそうな女性がひとり。

彼女の腕には、三人の赤子が抱かれている。


 赤子は女性とは似ても似つかない色彩をしていた。

左端と右端の赤子は、まるで鏡に映った姿のように、左右対称のハーフカラー。

黒と白の色が、ちょうど半分の割合で髪色に現れている。

そして真ん中の赤子は、白一色に染まった髪を持ち、親指をチュパチュパ吸いながら、女性の腕の中で穏やかな寝顔を浮かべていた。


(あったかい……)


 タールのあぶくに浮かんだそれは、苦しい世界の中で一滴の暖かさを持っているように見えて、私はそれに手を伸ばす。


 パツン。


 手に触れたあぶくは、あっという間に弾けて消えた。

一つ目のあぶくの消失を皮切りに、無数にあったあぶくにも、たくさんの映像が流れては弾け消えていく。


 二足歩行で立つ赤子が白い赤子を抱き上げて、それを止めてる女性の姿。


 絵本を片手に読み聞かせをする赤子の言葉をぼんやり聞く白い赤子と、それを膝に乗せる女性の姿。


 少し大きくなって、みんなで揃って歩いている姿、大泣きしているハーフカラーの一人を、両脇で手を繋ぎ、挟んで固まっている姿。


 運動会で二位の旗と一位の旗を持って、女性と一緒に実況席の背後で応援をしている姿、参観日で張り切って、大きく手を挙げたはいいものの、答えを間違えてきょとんとしている姿。


 部活をするハーフカラーの中学生用に作られた、重箱弁当と言って差し支えない大きな弁当箱から、つまみ食いをして怒られる白い女の姿、その日その日の出来事を話し、それを楽しそうに聞いている女性の姿。


 旅行でお土産を買う姿。はしゃいで大きな帽子を被ってみる姿。食事を食べる姿。疲れ切って眠る白い女を膝枕する女性の姿――。


 幸せな温度を持ったタールのあぶくは、パチンパチンと消えていき、この手の中に何一つ残らない。


(待って)


 最後に残ったひとつのあぶくに、決意の瞳で涙を流しながら、暗い空間に閉じ込めようとする、女性の姿が映される。


(待ってよ)


 閉じられた空間に差す一筋の光は、続く部屋に灯るもの。


(ねえ、待って)


 少しの言い争う声が聞こえる。


(やめて)


 そして、引き金を引かれて、すべてが消える銃撃音。


(やめろ!!)


 パツン。



―――――――――

――――――

―――

――


 目が覚めた。

最近ようやく見慣れ始めた天井と、頬杖を突きながら顔を覗き込んでくる、女の顔が視界に映る。


 女は緩く口を開く。


「おはよぉ、ちゃん」

「……おはようございます。あと、私はです」

「知ってるよぉ、ね? ちゃん?」


 この不思議なリズムで生きている、クラゲのような女性は、私と同室の先輩。

ふわふわ浮かんで、掴み所がない緩い人。


 彼女はどういうわけか、私をと呼んでいる。

名前を知らないわけではなさそうだけれど。

先輩は、多分人をニックネームで呼ぶ人。そう思うことにした。

……どうして『夏』なのかは分からないけれど。


「体調はバッチシかぁい?」

「いつも通りです」

「ダウナーだねん。夏ちゃんが入ってきて三ヶ月くらい見とるがね。元気いっぱい夏ちゃん見たこと無いんよねん」


 独特な口調で間延びして、緩い笑みを浮かべる先輩は、誰が見ても人当たりのいい、少し変わった人気者。

だが、私は先輩に苦手意識を持っている。

先輩が見つめる笑みの奥。ゆったり三日月に笑うその瞼の奥の目が苦手だ。

を透過して見ているような目が苦手だ。

 だから私は、今日も視線を逸らして誤魔化した。


「んま。ここからは真面目に行こぉね。夏ちゃんが元気いっぱいじゃないとなぁ、今日からの試験の立ち回りが変わってくるんだよねん」

「それは問題ありません。体調は万全に整えております」

「んんむ。良いこと良いこと。ちょっとでもしょんぼりするような元気になっちったらな、チームの誰かに言うんやぞ? 今回のチームはみぃんないい子たちばっかだからに」


 今日から一週間、総合成績順位を決めるための試験のうちのひとつを行う。

これで一定以上の成績を収めなければ、強制退学もあり得る厳しい試験。


 緊張に身を強張らせる。

肩の上がった私の背中を、先輩は軽い調子でポンと叩いた。


「あんま緊張もよくないぜぃ? リラ~ックス、リラ~ックス」

「とは言っても……」

「おっとぉ? 同室の先輩の、実力を疑うのかね?」


 おどけたように両手を挙げて、ピエロのように笑う彼女は。


 士官学校二年次、総合成績三位。音成おとなり 瑪瑙めのう先輩。


 今回の試験は、士官学校一番初めの関門とも言われている、戦闘試験。

一年次生と二年次生の中で、完全ランダムで組まれる五人一組。

この五人で試験を戦っていくことになるのだが、完全ランダムと言うだけあって、当たり外れも大きな試験と言われているらしい。


 瑪瑙先輩は今試験で同じチームとなった、心強い味方だ。


「期待しているぜぃ、航空学科成績一位の、ちゃん?」

「夏じゃないです。それに、それは授業で出た小テスト順位です。公式のものではありません」

「ならばならばよぉ。この試験でたっくさんの人の度肝を抜いたってさぁ」


 ヌゥ、と顔を横並びにする瑪瑙先輩は、とびっきりの悪い顔を浮かべて。


「名実ともに、一位になってやろうじゃないか」


 大胆不敵に言い切った。

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