放課後の校庭。悠斗は友達と笑いながら遊んでいる。夕暮れの風が心地よく、いつもより長く外にいたせいか、額に汗がにじんでいる。
「おい、もう帰ろうぜ」と友人が声をかける。悠斗は腕を拭いながらうなずいた。
「そうだな、そろそろ帰らないと」
家路を急ぐ途中、友達がからかうように言う。
「悠斗、転校生のリュシエルって子、綺麗だよな。お姫様みたいだろ?」
悠斗は苦笑を浮かべて答える。
「だな。俺には高嶺の花だけどな」
家に着くと、汗ばんだ体をそのまま風呂場に運ぶ。べたつきを洗い流し、疲れを癒そうとする。
脱衣所の戸を開けた瞬間、思わず声をあげた。
「リュシエル!」
そこにはバスタオルを巻いたリュシエルが立っていた。浴室の湯気がまだほんのり漂い、彼女の金色の瞳が大きく見開かれている。
その声に気づいた妹の彩乃がすっ飛んできて、怒った口調で言った。
「お兄ちゃん! 何勝手にお風呂のぞいてるの! 変態!」
母の美佐も台所から声を張り上げた。
「悠斗、ちゃんと確認しなさい! リュシエルちゃんがいるのは知ってるでしょ!」
悠斗は頭を抱えながら、自室へ駆け込む。ドアを乱暴に閉めた瞬間、母の怒鳴り声が響いた。
「ドアは静かに閉めなさいって言ってるでしょ!」
ベッドに倒れ込んだ悠斗は、何が起きたのか理解できずにいる。
「あの子って、今日入学した子だよね?なんで家にいるの? しかも親戚って…?」
悠斗はざわめく胸を押さえ、先ほどの風呂場のリュシエルの姿を思い出す。
「バスタオルは巻いていた。俺は悪くない……そうだ、俺は悪くない!」
「でも、尻尾があったぞ。先が三角の……」
そこにあったのは、リュシエルの腰から伸びる細く黒い、まるで生きているかのように揺れる悪魔の尻尾だった。
夢かと思い、自分の頬を強くつねる。
「いてっ!」思わず声をあげる。痛みが現実を突きつける。
遠くから嗚咽が聞こえた。音のする方へと歩み寄ると、それは妹の部屋からだった。
そっと扉を開けると、リュシエルが小さく震えながら嗚咽を漏らしている。
肩を震わせ、涙が頬を伝う。
「もう、お嫁に行けない……」
悠斗は優しく声をかける。
「ごめん、何も見てない。心配しなくていいよ」
リュシエルはすすり泣きながら、少し顔を上げた。
「あなた、尻尾を見たでしょ……」
悠斗はとぼけるように答える。
「そんなの見てないよ、俺は見てない」
リュシエルは声をあげて泣き出す。
「尻尾は悪魔の一番恥ずかしいところ……」
悠斗は彼女の言葉に胸が締め付けられる。
「ごめん、俺はどうすればいいんだ?」
返事は返ってこない。静かな空間に彼の言葉だけが響く。
「俺も男だ。責任は全部取る」
覚悟を込めて告げると、リュシエルはふっと笑い声を漏らした。
「契約はこれで成立よ。これからは、あなたは私の眷属。『お嬢さま』と呼びなさい」
そんなの関係ない。お前って呼ぼうとしたら、口が勝手に動いて『お嬢さま』と言ってしまった。
リュシエルは舌をちょっとだけ出して、くすくすと笑う。
けれど、その頬は真っ赤に染まっている。
自分の一番恥ずかしい場所を見られたことは事実だった。
食堂から母の声が聞こえてくる。
「ごはんよー、みんな集まって!」
母の美佐は箸を置き、やわらかな笑みを浮かべて言う。
「リュシエルちゃん、うちの家族になってくれて本当に嬉しいわ。まだ慣れないこともたくさんあるだろうけど、何でも話してね」
リュシエルは少し照れたように目を伏せ、微笑み返す。
「ありがとう。ここは……温かくて、不思議な安心感があるわ」
妹の彩乃は興味津々な目でリュシエルを見つめ、口を開く。
「リュシエルお姉ちゃん、初めての学校はどうだった?」
リュシエルは少し考えてから、ゆっくりと微笑む。
「人間の学校はおもしろい。私を見るとみんな驚くの」
母が優しい声で続ける。
「あら、そうなの。リュシエルちゃんは西洋のお人形さんみたいだもの」
彩乃は元気よく頷く。
「そうだよ! お姉ちゃん、お人形さん!」
リュシエルは顔をほんのり赤らめ、照れくさそうに笑う。
「ふふ、ありがとう。これからよろしくね」
三人は笑顔を交わし、穏やかな時間が食卓を満たしていく。
だが、悠斗だけはその輪の中に入れずにいた。心ここにあらずといった様子で、黙って箸を動かすだけだった。
隣の席のリュシエルはまだ頬を赤く染めている。
ふと小さな声で悠斗に囁いた。
「ねぇ、あなただけ、私の暗示魔法が溶けたのよ。一度かかると解けないのに、不思議ね」
そして、いたずらっぽく舌を出して笑う。
「眷属にできたから、もう悠斗君は私のいいなりなんだから」
悠斗は驚きと戸惑いが入り混じった表情でリュシエルを見る。
「くそ、かわいすぎる。俺、ひょっとして、すごくラッキーなのかもな」
「でも、お嬢さまは、悪魔だぞ」と呟きながら。
鈍く光る目は、まだ【さなだ】の暖簾をじっと見つめている。