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第3話 偽りの契約


 時は西暦2300年初頭。

 地球外知的生命体探査SETIプロジェクトが実を結び、惑星間交流が現実のものとなった世界は大宇宙時代に突入し、惑星間では大規模銀河ネットワーク、通称:響律世界レゾナンスワールドが構築された。


 そんな他種族共生が急速に進む中、地球の姉妹惑星・ガイアで暮らしていた一組の母子は、突如として銀河ネットワークの――通称:裏律界ディスコードゾーンと呼ばれる未開領域へと迷い込む。


 彼女たちが辿り着いたのは、赤い雲が空を覆う大国・黎煌国れいこうこく

 銀河や惑星が正常に保てなくなる"ゆがみ"と呼ばれる異常現象に侵された国だった。


 この歪み現象は、"調律士コードネア"とよばれる人材にしか究明できないが、彼らの存在は希少であり、その存在は銀河共生機関GCOに秘匿・管理されていたため、個人が公に語られることはほとんどなかった。


 ――『銀河調律論』より一部抜粋(著:W.G)




 *




 「……つまりきみは、別の惑星から来た、と?」



 再確認するような藍飛ランフェイの問いに、ヒナタは微笑みを返す。



 「旅行帰りだったのですが、星間ワープ――惑星間移動の事故に巻き込まれたようで……」

 「……帰る手立ては?」

 「銀河ネットワーク内だったら救援も望めるんですが、座標の分からないこの惑星を特定するには少し時間がかかるかと……」



 もちろんすでに何度か救難信号は送ったが、この広大な裏律界ディスコードゾーンでそれを見つけ出す者がいるかどうかは正直わからない。


 もしもそれを可能とする人物がいるとすれば――


 そう頭をよぎる長い黒髪を思い出して、ヒナタは少しだけ目を細めた。

 だが、いくら神出鬼没な彼でもこの裏律界ディスコードゾーンまではやってこれないだろうと意識を振り払う。


 今重要なのは、この気難しい世界で子供たちとどう生きていくかだ。



「助けがくるまで時間がかかるってことか。となると、御夫君ごふくんもさぞ心配されているだろうね」



 藍飛の何気ないその一言に、ヒナタは無意識に指輪を撫でる。

 もう、広い宇宙のどこにも……この指輪の対は存在しないのだ。



 「夫は、亡くなってますので」



 藍飛が思わず眉を寄せ言葉を詰まらせる。凪いだようなヒナタの微笑みが、どこかいびつにも思えた。



 「……申し訳ない」

 「いいえ。でも、私より巻き込まれる周囲を心配したと思いますよ。そういう薄情な人だったんです」



 淡い笑みを浮かべれば思い出の中の懐かしい声が笑った気がして、ヒナタは少しだけ遠くを見つめる。

 だが、その表情もほんの一瞬のことで、目線はすぐに宝珠たちに向けられた。



 「なので、当面の問題はこの国でどう生きるかですね」



 にっこりと笑うヒナタに少しの興味を持ったのか、藍飛が宝珠に目線を向けて肩をすくめる。



 「いろいろ聞きたいことはあるが、今日はこの情報だけで手一杯だ。――そうだ、宝珠。この屋敷は部屋も余ってるし、しばらくの間、きみがヒナタ殿たちを保護するってのはどうだい?」

 「……は?」



 唐突な提案に、思わず宝珠が布越しに目をしばたかせた。

 本来、身寄りのない者は国を支える四部省しぶしょうの一つ、祀省ししょう祭司局さいしきょく預かりになるのだが、それを踏まえた上で藍飛は言葉を続ける。



 「もちろん祭司局でもいいけど、法部ほうぶのきみとしても他文化は気になるんじゃない? あぁ、対面問題があるなら、きみがヒナタ殿を見初めたことにすればいいじゃないか」

 「……お前の思考はいつも理解できない」

 「それはありがとう。それにこちらの問題ではあるけど、ヒナタ殿の返答次第ではきみの婚約者問題も片付くだろう?」

 「お前。夫君を亡くしてる女人に……」

 「私は構いませんよ?」



 宝珠の至極真っ当な言葉をヒナタは遮り、そのあっけらかんとした口調に思わず宝珠の視線も向く。



 「私としては子供たちの身の安全さえ保証していただければ。……恋人でも婚約者でも妻でも、どれでも構いません」



 そう言って、少し蠱惑的な笑みを浮かべるヒナタの目は本気だった。



 (――何を考えている)



 ヒナタは宝珠の顔も、素性も、何一つ知らない。

 だが、短い会話の中でも、その行動原理にあるのはいつだってあの幼い子供たちなのだということは宝珠にも理解できた。

 母としての彼女は、恐らくそれだけを軸にすべてを計算しているのだろう。


 それにこの偽りの婚約話は、藍飛の言う通り宝珠にとっても悪い話ではないのだ。

 形式だけであっても、ヒナタたちがいれば当面の間は面倒なしきたりに対応ができる。


 彼女らが元の星に帰る時には、婚約破棄をすればいいだけの話。



 「おめでとう、宝珠。きみに初めての婚約者殿ができそうだね」

 「どこがだ」



 してやったり顔の藍飛の軽口に冷ややかな視線を送った宝珠は、しばらくの沈黙ののちにため息まじりに口を開く。


 これは、一時の茶番だ。

 互いの利益が一致した、形式上の契約にすぎない。



 「……偽りの婚約者になるのなら――そなたと子供たちを保護してもいい」

 「えぇ、喜んで」



 ぶっきらぼうなその物言いにも、ヒナタは何のためらいもなく笑顔で応える。

 この日を境に、ヒナタは顔も知らぬ――冬宝珠という男の偽りの婚約者となったのだ。


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