●15.ヒューストン
ケリーが借りたレンタカーはダラス・フォートワース空港に向かっていた。運転席に座るケリーは飲酒運転になるので、ハンドルから手を離し、追加料金となる自動運転に切り替えていた。
「せっかくアメリカに来たのだから、スティーブ・シムズに会って、遠隔診療ロボットの販路を交渉したかったが、どうですか」
林原は自動運転の精度を気にして、ハンドルの動きを見ていた。
「シムズ氏は、相変わらず多忙ですから」
ケリーは渋い顔をしていた。
「あのぉ、せっかくですからテキサスBBQでも食べて、この後どうするか考えるのも手ではないですか」
木本は腹を鳴らしながら、英語でも言っていた。
「林原さんは、お腹が空いていませんか」
ケリーは後部座席の林原を覗き込んでいた。
「私は空港で何か手早く食べようかと思ってました」
「ちょっと味気ない気もします。彼女も言うように良い考えが浮かぶには、腹ごしらえも大切ですから」
「あ、はい。でも美味しい店を知ってますか」
「フォートワースで私がお薦めなのは、やはりアンジェロズBBQです。案内しますよ」
ケリーは自動運転の目的地設定を変更させていた。
アンジェロズBBQの天井が高い店内にはBBQの煙が漂い、様々な人種の客でにぎわっていた。
「もっと甘ったるいのかと思ったけど、絶妙な味になってます。こりゃ旨い」
たっぷりとグレイビーソースがかかっている肉を頬張る林原。木本は黙々とビールと肉を口にしていた。
「日本人の口には合わないかと思いましたが、そうでもないでしたか」
ケリーは林原と木本の様子を嬉しそうに見ていた。
「ケリーさん、なかなか戻って来ませんね。トイレで倒れているといけないから、あたしが見て来ましょうか」
「ケリーさん酒が強いから飲み過ぎて倒れることはないだろうし、それこそ君の方が酔っぱらっているだろう」
林原は木本の赤ら顔を心配そうに見ていた。
ケリーはニコニコしながら戻ってきた。
「朗報です。店の人から聞いたのですが、シムズ氏は自社の宇宙船の管制を視察しに、ヒューストンのジョンソン宇宙センターに来ているそうです」
「同じテキサス州とは言え、ヒューストンまでどのくらいありますか」
「だいたい360キロですから、車でも行けますが、空飛ぶ車なら2時間ぐらいです」
「それじゃ、こちらで一泊して翌日行っても、余裕じゃないですか」
翌日、林原たちの乗った空飛ぶ車は、フォートワースの街中から飛び上がると、低木と草原が広がる大地の上空を南に向かった。ほぼ州間高速道路45号線に沿って自動操縦で飛行していた。
3人乗りの前席に座る林原とケリー。後部座席には木本が乗っていた。
「テキサスってなんか平らで、同じような感じね」
初めははしゃいでいた木本だが、だんだん単調な景色に飽きてきたようだった。
「木本、飽きて来たか。俺が操縦したら刺激的になるかもな。ケリーさん、これって、自動を解除できますか」
「解除はできますが、それは緊急事態となるので、すぐに異常事態発生の通報が管制基地局に発せられます」
「そうか、自由に操縦できないのか」
「林原さん、残念でしたね。あたしとしては、命拾いしたかも」
本木は冗談っぽく言っていた。
だいたい1時間程飛ぶと、バッファローのガソリンスタンドの近くにあるバッテリーステーションに着陸した。林原たちはバッテリー交換の間、近くのデイリークィーンで腹ごしらえしてから、再び飛び立った。
空飛ぶ車は、見学者用のヒューストン宇宙センターとNASAのジョンソン宇宙センターの間にある空飛ぶ車専用のポートに着陸した。空飛ぶ車がフレンド・アエロスペース社製ということもあって、着陸ポートの係員は皆、フレンド・アエロスペース社のキャップを被っていた。
「この度は当社のフライング・タクシーをご利用いただきまして、ありがとうございます」
係員が車のドアを跳ね上げていた。林原は特に係員に設定していないのに、ケリーのスマホから日本語が聞えてきたことに驚いていた。
「ケリーさん、手回しが良いですね。ちゃんと設定していたのですか」
林原が言うとケリーは怪訝そうにスマホを見ていた。
「いえ、新たに設定を追加したのはモーガンさんだけです」
「それじゃ、どうして」
「お客様、どういたしましたか。ヒューストン宇宙センターはこちらです」
「あ、はい」
林原は係員の顔をしっかりと見ていた。
「あのぉ、あなたはシムズさんに似ていると言われませんか」
「良く言われます」
係員は照れ笑いをしていた。
「林原さん、その方は、本物のシムズさんですよ。スマホの話者表示が彼を示しています」
ケリーはスマホを見て驚いていた。
「オー、バレましたか。私はフレンド・アエロスペース社CEOのスティーブ・シムズです」
シムズは林原の顔をじーっと見ていた。
「あなたは、どこかでお見かけしたような…、確か…新興宗教の郷に従えの教祖でしたっけ」
シムズは軽く頭をひねっていた。
「いえ、ちょっと違います。郷に従え党の党首です」
「あぁ、そうでした、そうでした。今日はなんでまたこちらに来たんですか」
「遠隔診療ロボットを開発したもので、シムズさんの所と提携できないものかと、会えるかどうかわかりませんが、立ち寄ってみました。しかし、奇遇というか、こんな形で会えるとはラッキーでした」
「そういうことですか。我がフレンドグループでもロボットは開発しているので関心はあります。しかし今の所、宇宙船開発を重要視しているので、提携などはもう少し後になります」
「アメリカは広大なので、遠隔医療は必ず必要となるはずです。その際はお役に立てると思います」
「そうですか。あっ失礼」
シムズはスマホを耳に当てていた。
「何っ、ドッキング装置に不具合だと、それでステーションとは行き来できないのか」
シムズの顔色は目に見えて変わっていった。
「急用が入ったもので、ここで失礼する。あなたとは、不思議な巡り合わせがあるようだ。いずれまた」
シムズは小走りに去って行った。
「んー、ラッキーと言うか、アンラッキーと言うか。話ができただけか」
林原は、複雑な表情を浮かべていた。
「少なくとも、林原さんのことは認識しているようですから、この先の様々な交渉のとっかかりにはなると思います。しかしお忍びで係員をやっているとは、お茶目な面があるのですね」
ケリーはテキサスの日差しが眩しく感じたのか、サングラスをかける。
「当初私は、郷に従えを広めるために保守色の強いシムズ氏に接近したのですが、党の方はモーガン氏に任せられるから、ビジネスで活用する方が得策かもしれません」
林原はテキサスの空を見上げていた。
「私もそう思いますが、いずれ大統領選で第三の党が伸びた場合、シムズ氏とモーガン氏の両方にツテがあると意外な相乗効果があるはずです」
「しかしアメリカの二大政党制が崩れますかね」
「私は時代が動いている気がします。世界秩序も変わる時期に差し掛かっているはずです」
「あぁ、それでケリーさんには、日本の党本部に来てほしいのですが、いつ頃から来れますか」
「日本ですか。学生の時に京都に行っただけです。今度は東京ですね。…来月には行けると思います」
「ストロベリーが林原さん、チョコがあたしで、ケリーさんはバニラでしたね」
木本は近くの売店で買ったソフトクリームを持ってきた。パラソルが広がるテーブル席に座っている林原たちの前には、スペース・シャトルを乗せたジャンボ機が横たわっていた。
「どうする、この後はヒューストン宇宙センターの方を見学するか」
「林原さん、賛成ですけど。日本語ガイドはどうしますか。あたしもケリーさんも必要ないけど」
「木本、君が日本語ガイドとして訳してくれ、それで事足りるだろう。せっかく連れて来たのに、何かに役立たせないとな」