●14.GNSP
林原が議員会館で割り当てられていた部屋は、ガランとしていた。
「ベルガーさんを秘書にするわけにはいきませんよ。対等な立場の党首同士ではないですか」
「ミュラーはどうですか」
「彼はAIやITのソフト開発などに欠かせませんから」
「柿沢さんはどうですか」
「任期を全うするまでは無理ですし、経理ですから。募集をかけましょう」
林原は窓の外の街路樹を眺めていた。
18人の面接をすべて終えた林原。手元の履歴書には、大学を出たばかりの若者から、いろいろな議員の秘書をやってきたベテラン、東大やハーバード大を卒業した者、弁護士などの様々な経歴が並んでいた。しかしどれも一見優秀そうには見えるが、日本を愛するパッションのようなものが感じられなかった。採用しても、いずれ袂を分かちそうな感じがしていた。
議員会館の林原の部屋に春奈ミュラーがタブレットPCを持って書類を取りに立ち寄った。
「先生、面接の結果はどうでしたか」
「先生はよしてくれ。林原で構わない。それにしても皆同じ感じで何か足りない気がする。一人だけ異質なのが、今時ギャルメイクをして現れたハワイからの帰国子女のこの女性だ」
「ええっ、面接にこのメイクでですか」
春奈はその女性の履歴書を手に取っていた。
「世間知らずと言うか、カワイイやギャル文化に憧れていたからというが…面接だからな」
「でも、経験豊富で優秀ってことはないですか」
「政治家秘書の経験も下地も全くゼロだが、唯一英語がベラベラだったけど」
「日本語はどうですか」
「日本についてハワイで勉強していたから、意外に古い言葉も知っていたよ。でもな」
「あのぉ、林原さん、アメリカのケリーさんから渡米して欲しいとの連絡がありました。詳細データは、スマホに転送しておきました」
「そうか」
林原はスマホを手にして、メールや画像などのデータを見ようとした。
「あれ、なんか調子悪いな。…あぁなおった」
林原はスマホをとんとんと叩いていた。
「あぁ、でも翻訳機能が作動しなくなっている。参ったな」
「林原さん、ケリーさんは急いでいる見みいですから、主人を呼んで直させましょうか」
「…南條村からか、…ケリーさんは急いでいるんだろう。それにまた壊れたらな。そうだ。あの帰国子女の…木本由香里に連絡して、即日出勤できるなら採用して連れて行くか」
ダラス・フォートワース空港に降り立った林原たちは、ケリーの運転するレンタカーでフォートワースのグレープバイン湖周辺にある高級住宅街に向かっていた。
林原はケリーに英語で話しかけられると、変な違和感があった。
「彼女は私のスマホで翻訳すれば、良かったのにと言っています」
ケリーの言葉を木本が訳していた。
「それもそうでした。すっかり忘れていました」
林原が言うと木本がすぐに訳していた。
「このキュートな女性を採用したい、口実でしたか」
ケリーは素早く自分のスマホを日本語に調節してから、ニヤニヤしながら喋った。
「別にそういうわけではないのですが…」
林原は、自分でも驚いているのだが、なんとなくはにかんでいる感じであった。
「図星でしたか。それはそうと、今日は富豪の社会活動家エバンス・モーガンに会ってもらいたくてテキサスまで来てもらったのですが、ご存知でしたか」
「全く知りませんでしたが、ここに来るのあたってモーガンのことは調べて来ました。物凄い金持ちで株式投資で儲けているということでしたから、自宅はさぞかし豪邸なんでしょう」
「日本式に言うと20LDKLDKって感じでプールが2つでテニスコートが3面ありますが、グレープバイン湖周辺では、特に目立った豪邸とは言えないようです」
「凄過ぎませんか。飛行場なんかもあったりするんですか」
ダイレクトに英語で聞き取れている木本が日本語で口をはさんできた。
「あぁ、そうですね…。飛行場はないですけど、邸宅とつながっている専用のボートガレージはあります」
ケリーは広大な敷地の入口にあるゲートの前で車を停車させた。
ゲートの監視カメラが車内を捉えると、ドローンが飛んできて車の周りをゆっくりと一周した。すると鉄柵のゲートがスルスルと開いた。車は敷地内の道に入っていくが、まだ建物は何も見えなかった。
ホワイトハウス風の邸宅内の廊下を執事に導かれ歩く林原たち。1階から2階に上がる階段室の窓からテキサスの日差しが水面を照り付けるプールが見えた。優雅に泳いでいた初老の紳士は、セクシーなコスチュームのメイドに呼び止められると、プールサイドに上がってきた。
挨拶を済ませ、プライベート・バーカウンターのストゥールに座る林原たち。バーテンダーの恰好をしたモーガンがテキサス・フィズを作り、カウンターに並べていた。
「郷に従えとは、なかなかストレートな党名で良いと思います。わが国でもルールに従わない不届き者が横行し目に余るものがあります。とても共感しています」
木本がモーガンの英語を訳している間、ケリーがスマホの翻訳機能をモーガンにも調整していた。モーガンはカウンター内のストゥールに座り、様子を眺めていた。
「不法移民はアメリカの生活や治安を乱しているようですが、特に治安ではメキシコから入る薬物が一緒に入ってくることに気をもんでいるようにも見えます」
林原がテキサス・フィズを口にしながら喋っていた。
「日本に居てもそれがわかりますか。ですから、国境線に塀を建てるのも苦肉の策と言えます」
「でも二大政党では選択肢は両極端になるのではないでしょうか」
林原とモーガンはスマホを介しているものの、直に話している感覚であった。
「第三の政党が望まれるのですが…。わが国では今までなかなか第三の政党が伸びない風土がありました。しかし1990年代以降の世論調査によると二大政党という選択肢に疑問を抱く人が増えてきたとされます。そうした中、1992年の大統領選で、テキサスの大富豪ロス・ペロー氏は一般投票率19%を獲得しています。これは大政党以外の候補者としては、1912年に一般投票率27%とした革新党のセオドア・ルーズベルト以来の高い数字です」
「ロス・ペロー氏のことは日本でも報じられていました」
「そうですか。さらに2000年選挙の直前の世論調査によると、アメリカ国民の67%が大統領、連邦議会、州の公職選挙で、共和党と民主党に対抗して候補者を立てられる、強い第3政党の出現を望んでいるという結果もあります」
「67%という数字は、初めて知りましたが、結構高くないですか」
「これを受けてか、近年では二大政党のどちらの候補者にも投票したくない大統領選にもなっています。ですから新たな選択肢としても第三の政党が伸びるチャンスが到来していると思います。私はペロー氏から後継者として認められていますから、このチャンスは見逃せません」
「なるほどチャンスと捉えますか」
「そこで私は『郷に従え』党に着目したのです。シンプルでわかりやすい」
「ありがたいことに、アメリカでも、党員が少しずつではありますが、着実に増えています」
林原はケリーの功績と言いたげで、彼女に視線を送っていた。
「…ただ、ゴウニシタガエでは日本色が強く、人によっては抵抗感があるかもしれません」
モーガンは鋭い目で林原を見ていた。
「アメリカ人にとっては目新しい言葉ですから、より愛国的な保守層には、抵抗感がありますかね…」
林原はテキサス・フィズをゴクリと飲み込み、少し考えていた。
「林原さん、次は何にしますか。リクエストにお応えしますよ」
モーガンは林原の空になったグラスを見ていた。
「お構いなく」
「林原さん、せっかくなんだから、おかわりもらいましようよ。あたしは、モスコミールで」
木本が日本語で言っていたが、スマホが翻訳しないので、そのままであった。本木が気が付いて、英語で言いかけたが、ケリーにさり気なく止められていた。
「日本にマクドナルドが進出する際に、McDonald’sのままだと、馴染みにくい発音なので、マクドナルドとしたことで、日本の隅々まで進出できたと言われています。郷に従え党もGo Need Shitagae Party、GNSPにした方が受け入れやすい気がしますが、いかがでしょうか」
林原が突然言い出したので、モーガンは若干目を丸くしていた。
「あなたは本来、日本語の『郷に従え』を『かわいい』のようにそのまま世界に広めたいという事ではなかったのですか」
「もちろん、そのつもりでしたが、Go Need Shitagaeでも、発音上ではそれほど違和感がないので、良いと思っています」
「…略してGNSPですか。良いネーミングではないですか」
モーガンは目から鱗のような顔をしていた。
「もしモーガンさんが、よろしければアメリカのGNSPつまり『郷に従え』党の党首として、このムーブメントを広げていただけますか。ぜひとも資金力のあるあなたにアメリカの党員を束ねてもらいたいと思います」
「あぁ、でもケリーさんがその役割をしていたのではないですか」
「そうでしたが、モーガンさんが仲間に加わっていただけるのなら、ケリーさんはグローバル政党としての『郷に従え』党の本部に居て欲しい存在なのです」
林原は、モーガンとケリーの両方の顔を見ていた。
「アメリカで強い第三の政党を作るのが私の目的ですから、GNSPの件は望むところです。今日は林原さんと話ができて良かった」
モーガンは力強く握手をしてきた。